「検証 選挙公約のカジ切り替えて 山武市長はなぜ翻意した?」
新聞記事より
(以下、新聞記事)
検証 選挙公約のカジ切り替えて 山武市長はなぜ翻意した?
山武医療センター
「新構想」に見た県の強い意思、元に戻らない成東病院の現状
椎名市政に迫った厳しい現実
昨年7月以降実質的な進展がなかった「山武地域医療センター計画(中央病院計画)」の打開に年明けから県が積極的に動き、「新構想」を山武市、横芝光町、芝山町の各首長に1月24日、同26日に示し、問題の早期解決を促した。
県が強い決意で決断を促した背景には1月12日におこなわれた今年初の郡市長首長会議で取り上げられた新たな二つの合意事項があったようだ。
この「新構想」を県の強い意思と受け止めた椎名千収山武市長は、1月29日夜に開かれた医療センターに係る郡市長首長と県会議員との意見交換の席上、選挙公約の主張と基本的に異なる、センター計画の骨組みと同様の「新構想」受け入れを表明し、これがいっせいに報道された。
「新構想」は中長期を見据え、従来の山武地域のワクを取り払い、長生をも含めた山武長生(九十九里)救急・地域医療センター構想と言うスケールメリットを狙った大きなものとして提示された。
だが、財政的見地から公立医療センターは地域内に一つあればいい、東金市丘山台への中央病院設置は反対と言う選挙公約とは違う。
「新構想」は形を変えたセンター計画ともいえる。
椎名市長はどうしてカジを切り替えたのか時系列にこれを追い検証した。
(2007年2月20日 新千葉タイムス)
(注:容量の関係上、新構想の説明を「続きを読む」以降に、
椎名市長のカジ切り替えについてはすぐ上のページに書きます)
県が提示した構想は、まず山武、長生の公立病院が一体的運営を行ない、長生が山武地域医療センターに全面的に参画することが将来的に望ましいこと、としていた。
そのためには山武郡市と長生郡市のすべての市町村が参画して2次医療圏を一体化し、山武・長生の拠点病院(中央病院)の創設が必要で、場所は東金市丘山台とする。
長生病院は現在の敷地か、南部へ移転し立て替える。
成東病院は山武地域北部を受け持つ。
中央病院の建設費は、県(東金病院の昨日相当分)、山武郡市、長生郡市の市町村が出し、両郡市町村で運営にあたる、などとした。
構想はさらに新設中央病院を格に、支援病院1を長生病院、支援病院2を成東病院とする。
中央病院は山武、長生の急性期を受け持ち400床程度の病床を持つ。
うち救急を50床、あとは一般病床に。
支援病院1,2はいずれも地域の一般診療を行い、病院1は200床程度、2は150床程度とする、などとした。
大網病院、東陽病院は一般外来を行ない、病床は療養病床もしくは老人保健施設に転換し、リハビリ機能を強化する、などとしており、老人保健施設にするならば民間委託を検討する、などと役割分担を決めていた。

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