本日6時半、起床。朝食は昨夜のカレー。
“がっちりマンデー”“報道2001”“サンデーモーニングのあっぱれー”だけを視た。関口宏以下出演者は朝日を攻める資格はない。あなたがたも国民への釈明と謝罪をしなさいよ。
10時、ブログを更新。
11時、やらなくてはと思いつつ・・暇と道具が揃わず何年間も手付かずだった庭の高木剪定を再開。
午前中は盆前に中途半端にしていたヒバ(檜葉)を仕上げた。ちょっと刈り込み過ぎたかな・・。
13時前、昼食。暑いので休憩。
15時、午後の剪定はイトヒバ(糸檜葉)。

頂部を1m低くカット。疲れた〜。右腕が痛くて仕方ないので、残りは後日のお愉しみ。
18時、“世界遺産”を観ながら夕食。
20時、NHK大河ドラマ“軍師官兵衛 第37回城井谷(きいだに)の悲劇”を観た。
歴史ドラマ史上初めて、
宇都宮鎮房(うつのみやしげふさ)にスポットが当てられたのではないだろうか。
豊前宇都宮氏は
下野宇都宮氏の分家筋、1195年源頼朝によって豊前守護職に任ぜられた宇都宮信房、後に城井(きい)氏と改名するが、城井谷に城井城を築城し400年に亘り治め、時においては豊前全域に及ぶ勢力を保った。
鎮房は身の丈6尺(180cm)の大男で怪力の弓矢の名手ながら、領民に慕われた名将。家柄も藤原鎌足の流れを汲む由緒ある鎌倉武士の末裔であり、百姓上がりの秀吉に従うことは抵抗があったはず。
「この城井谷の山川草木のすべてがわしの一部だ」というセリフがあった。
秀吉から3万から伊予12万石へと、好条件の国替え要求にも従わず、先祖代々400年守ってきた土地と民を手放さなかった。それが戦国大名になれなかった理由である。
中津や城井の地元では、今でも黒田家が嫌われ宇都宮家が慕われているという。
宇都宮鎮房は、我が栃木に由緒を持つ歴史に名を残すべき武将である。
22時前、帰省して来た長男と酒を呑みながら歴史談義。歴史マニアの長男は、秀吉に任じられた官兵衛による九州攻めについてもよく知っていた。小生にとっては至極幸せなひとときである。
1時半、就寝。
★今日の言葉 ≪ いま、ここに生きる ≫
ここを離れない。
ここを見限らない。
ここに踏み止まる。
横田南嶺(円覚寺管長)

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