本日7時起床。そのまま出社。ブログを更新。
8時、朝食は“いざ!関ヶ原納豆”↓。
9時過ぎ、午前中は来年の雇用労働条件通知書及び雇用労働契約書を更新した。
12時、昼食。
13時過ぎ、奥さんと千代田町にある『ジョイフルホンダ』さんへ行って、年末の大掃除に必要な物等を購入した。
17時、帰宅。
18時半、夕食。
19時半、家族と一緒に“坂の上の雲 最終回 「日本海海戦」”を視た。戦闘シーンのCGは素晴らしい出来だった。本シリーズは全編を通じて、司馬遼太郎の原作にほぼ忠実に作られていたと思う。
司馬遼太郎は、太平洋戦争末期、当時22歳で学徒出陣により従軍し、戦車連隊の一員として佐野市内に駐屯、陸軍少尉として終戦を迎えた。
弊社に長く勤めていた長老の従業員から昔聞いた話によれば、田沼高校の東側にある唐沢山麓の斜面で、現在遺跡発掘をしているところに、数え切れないほどの戦車部隊が集結していたそうだ。
佐野で敗戦を迎えようとしていた司馬さんは、避難してくる人々を轢き殺して戦車を進めよという隊長の言を聞き「国民を守るべき軍隊が国民を轢き殺して行けという。なぜ日本という国はこんな情けない国になってしまったのだろうか」と想い、小説を志したそうである。
日露戦争で日本は、ほんとうにぎりぎりのところでロシアの領土にならずに済んだ。本最終回で個人的には、終戦後間もなく死去した児玉源太郎元帥等、国の滅亡の危機を救わんと精根尽き果てるまで死力を尽くしたことを紹介して欲しかった。
明治維新を成し遂げた薩長土の志士たちが、そのまま明治という小さな超官僚国家を創った。ほんとうに一握りの人たちが、その目的に向かって思う存分よく働いた。以下は小生が3月20に記載した文面の再掲である。
本作品は、司馬遼太郎による長篇歴史小説として、著者の代表作の一つとされる。取材に5年間を有し、産経新聞に5年間掲載された。
司馬が40代の10年間のすべてを費やして書き上げ、司馬自身は膨大な資料を調査した、あくまでも史実を追求する姿勢を貫いたノンフィクションだと言っている。
この作品については、明治という時代そのものに対する高評価、日露戦争を一種の自衛戦争であると捉えた司馬の史観を、圧倒的な迫力で訴えてくる。
中でも、旅順攻撃をした乃木希典や参謀たちが、無能だったために多大な犠牲を強いることになったとする筆者の見解について等、未だに賛否両論がある。
間違いないことは、あまり読書をすることがなかった私が、30代後半から読書の大切さに目覚め、今では“本”が最も大切な先生だと信じているが、これまでの私の短い読書人生において、これほどまでに熱中して没頭し、読み易かった作品はなかったと云うことである。
日本復興のためには、今こそこの明治と云う国家像を再見すべきだと思う。
最後に“あとがき 一”の中から代表的で好きな一文を以下に記述する。
『 このながい物語は、その日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語である。
やがてかれらは、日露戦争という、とほうもない大仕事に無我夢中でくびをつっこんでゆく。
最終的には、このつまり百姓国家がもった、こっけいなほどに楽天的な連中が、ヨーロッパにおけるもっともふるい大国の一つと対決し、どのようにふるまったかということを書こうと思っている。
楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。
のぼってゆく坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくだろう 』
21時、“さんまとSMAPのクリスマス”を視た。
24時、川口雅昭著“吉田松陰”を読んでから就寝。

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