皆さん、元気でしょうか? 12 月は師走。あわ
ただしい時。それに、クリスマス。ウキウキする
にぎやかな時。そのような感じを、毎年 12 月に
なると、皆さんも感じてくるのじゃあないでしょ
うか? しかし今年は、コロナの影響で、今まで
の 12 月とは全く異なるかもですね。
他の月よりも、人との関わりや集いが一層増え
る 12 月。忘年会やクリスマス・パーティーはそ
の中心でしょうが、この 12 月はどうでしょう。
毎年、私の 12 月のレターは、大体クリスマス!
イエス・キリストの誕生の話です。それは、イエ
ス・キリストの愛と永遠の命の希望のメッセー
ジ! 『いつもと同じやん!』『そうですね。』でも、
かりに、コロナが荒れ狂るおうが、天地が滅んで
しまおうが、イエス・キリストの愛と約束は、変
わらない! 神の真理です。
『この天地は滅び去ります。しかし、わたし
のことばは決して滅びることがありません。』
(マタイ 24:35)
良かったねー!! イエス様、ありがとう!!
『クリスマスの思い出の一つ』
私は3人兄弟の末っ子です。兄は私より5つ上
で、姉は2つ上です。私が幼稚園(3年間行った
から大将でした。笑)と、小学校低学年の頃に、
家でやってもらったことですが、それはクリスマ
スの前の晩だったと思います。お袋は、床の間に
私たち3人を集め、周りのふすまをみな締めさ
せ、電気を消して真っ暗にするのです。そして、
紙で包んだ少しばかりの飴やお菓子を空中に放り
上げ、それが畳にバタバタ落ちる音を頼りに、私
たちが手探りでそれを見つける行事です。あの時
のワクワクを、今でも思い出します。私はその頃、
夜は父親と一緒に寝ていました。えっ? クリス
マスの朝、枕元に父親の紺色のナイロンの靴下が
あって、その中に、ミカンとリンゴが入っていた
のを思い出します。
『イエスが人となってこの世に生まれて来
た理由』
「神が御子(イエス)を世に遣わされたのは、
世をさばくためではなく、御子によって世が救
われるためである。」(ヨハネ3:17)
「わたし(イエス)は世をさばくために来た
のではなく、世を救うために来たからです。」(ヨ
ハネ 12:47)
『聖書箇所』
今日は、イエス・キリストがこの世に生まれた
時のことが書かれてあるマタイの福音書の1章と
2章を皆さんに紹介させてください。コロナのこ
ともあって、皆さんは例年ほど外出しないかもし
れませんので、丁度この時に、一人で聖書を読ん
でみるのは良い機会だと思います。
『マタイの福音書 1 章 1 節 -17 節』
「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・
キリストの系図」(1:1)
何と!! 新約聖書は、イエス・キリストの系図
から始まるのです! えっ? ですよね。初めて聖
書を読む多くの人は、ここに出る大勢の人の名前
を、目で追っていくだけで、『眠くなるぅ』と私
に言います。そうですよね、笑。しかし、ある人々
にとっては、この系図は大事なのです。そこに書
かれている人が歴史的に実際存在したという事実
を表し、また、救い主イエスは、アブラハムの子
孫から、また、ダビデの子孫から生まれると預言
されていたことを、彼らが、その子孫の名前をす
べて書き残すことによって、聖書に書かれている
こと、また、それらの預言が成就したことを確証
するからです。アブラハムからイエスの母マリヤ
の夫ヨセフまでは 42 代。それらすべてを書き残
していたのですね。そして、イエスはこのマリヤ
からお生まれになったのです。『預言の通りに!』
これらのことは、以下に書かれています。
『 創 世 記 22:17-18(BC1500 )』 『 詩 篇 89:
4、イザヤ書9:6- 7(BC700-)、ミカ書5:
2(BC700-)』
『マタイ 1 章 18 節 -25 節』
ゆっくりと、想像しながら読んでみてください。
注:主=創造主なる神
「イエス・キリストの誕生は次のようであっ
た。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていた
が、ふたりがまだいっしょにならないうちに、
聖霊によって身重になったことがわかった。夫
のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者
にはしたくなかったので、内密に去らせようと
(離縁するよう)決めた。
彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の
使いが夢に現われて言った。『ダビデの子ヨセ
フ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。
その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
マリヤは男の子を産みます。その名をイエスと
つけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪
から救ってくださる方です。』
このすべての出来事は、主が預言者を通して
言われた事が成就するためであった。 『見よ、
処女がみごもっている。そして男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。』(訳すと、
神は私たちとともにおられる、という意味であ
る。)(イザヤ7:14)』
ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられ
たとおりにして、その妻を迎え入れ、そして、
子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、
その子どもの名をイエスとつけた。」
『マタイ2章1節 -16 節』
「イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベ
ツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方
の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言
った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった
方はどこにおいでになりますか。私たちは、東
のほうでその方の星を見たので、拝みにまいり
ました。』それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。
エルサレム中の人も王と同様であった。
そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちを
みな集めて、キリストはどこで生まれるのかと
問いただした。彼らは王に言った。『ユダヤの
ベツレヘムです。預言者によってこう書かれて
いるからです。「ユダの地、ベツレヘム。あな
たはユダを治める者たちの中で、決して一番小
さくはない。わたしの民イスラエルを治める支
配者が、あなたから出るのだから。」(ミカ5:
2)』
そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、
彼らから星の出現の時間を突き止めた。そして、
こう言って彼らをベツレヘムに送った。『行っ
て幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせ
てもらいたい。私も行って拝むから。』
彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。す
ると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、つ
いに幼子のおられる所まで進んで行き、その上
にとどまった。その星を見て、彼らはこの上も
なく喜んだ。そしてその家にはいって、母マリ
ヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝ん
だ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没
薬を贈り物としてささげた。それから、夢でヘ
ロデのところへ戻るなという戒めを受けたの
で、別の道から自分の国へ帰って行った。
彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが
夢でヨセフに現われて言った。『立って、幼子
とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そし
て、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロ
デがこの幼子を捜し出して殺そうとしていま
す。』そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼
子とその母を連れてエジプトに立ちのき、ヘロ
デが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者
を通して、『わたしはエジプトから、わたしの
子を呼び出した。(ホセア 11:1)』と言われ
た事が成就するためであった。
その後、ヘロデは、博士たちにだまされたこ
とがわかると、非常におこって、人をやって、
ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひ
とり残らず殺させた。その年令は博士たちから
突き止めておいた時間から割り出したのであ
る。」
『私の変化』
私は、23 歳になるまで、聖書に書かれてある
ことは全くのおとぎ話だと考えていました。です
から、聖書には興味はなく、気にも留めず、それ
らを信じていると言ってる人や、真剣に考えてい
る人を、内心、ちょっと見下げていました。しか
し、『本当なら知りたい』と自分が思ったときから、
私は変わっていきました。
『変化のはじまり』
私は、聖書に書かれてあることを、『信じよう』
と思ったことは一度もありません。私は長い間、
一人で考えていました。信じるということは、自
分の意志や決心でできることではないということ
がわかりました。いつもの話になりますが、私が
聖書をバカにしていた理由は、やっぱり、あの『創
世記1章1節』です。『そんなバカなことがある
はずがない!』それでした。今思えば、愚かな私
でした。それだけ、私は、天と地の全ての造り主
の存在から遠くはなれていたのです。そのことは、
『人の頭で理解できないことは嘘か作り話、と考
えるのが当たり前』。そこから来ていました。そ
れと、周りの人を気にして生きていた私を、『他
の人も、皆そうよ!』という考えが、造り主に興
味を持たせないようにしたと思います。
しかし、ある時から、創世記1章1節が『本当
なら知りたい。』と思うようになりました。それが、
私の人生の中で、一番大きな心の変化です。神を
知る為に必要なものは、『本当なら知りたい。』の
心だけ!と言っても言い過ぎではないかもしれま
せん。
それから、聖書を読み続けていくうちに、書
かれている事柄の中に、『そりゃ〜ないでしょう
〜?』という箇所がたくさん出てくるのですが、
その都度、『創世記1章1節が本当なら、これも
十分ありだね!』と、そこに書かれてある出来事
に邪魔されずに読み続けることができました。
今日紹介したマタイの1章と2章の中にも、『そ
りゃあ〜ないでしょう〜?』という箇所がいくつ
も出てきます。
*処女が身ごもった〜? えっ〜?
*夢で言われた事に行動をとる〜? えっ〜?
*自分の民の罪を赦す? えっ?
* 700 年以上前の預言が成就した? えっ?
*東方の博士が星を頼りに、救い主を捜しに来
た〜? え〜っ? 幼い〜!
*星が先導して、イエスの上にとどまった〜?
えっ?
この箇所だけでもたくさんあるでしょ。しかし、
私は、その都度、『創世記1章1節』を思い出し
ていました。『あれが本当なら、これもありだね!』
『神は、何でも、できるはずだからな〜』と、当
時の独り言…。
『世を救う神の方法』
神がひとり子を、救い主としてこの世に送るこ
との預言は、旧約聖書のあちこちに記されていま
した。その中の一つ、イエスの誕生の約 700 年
前にイザヤという預言者によって預言された言葉
です。
「彼は(イエス)、私たちのそむきの罪のため
に刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼
の打ち傷によって、私たちはいやされた。私た
ちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自
分かってな道に向かって行った。
しかし、主(父なる神)は、私たちのすべて
の咎を彼に負わせた。彼は痛めつけられた。彼
は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引か
れて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っ
ている雌羊のように、彼は口を開かない。しい
たげと、 さばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼
がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生
ける者の地から絶たれたことを。彼の墓は悪者
どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬
られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きは
なかったが。しかし、彼を砕いて、痛めること
は、主(父なる神)のみこころであった。」
(イザヤ 53:5-10)
『時間と空間の始め』
(アルバム「時間と空間の始め」より)
1.時が 計り始められた その夜 その時に
宇宙の 果ての方にある 小さな 町で
神が 人となって 生まれた
時が 計り始められた その夜に
誰が 思ったことだろう
紀元 元年に 生まれた方が
太陽を造り 夜空の星を
動かす方だということを
2.その朝は 数人の穴掘りが 丘の上にいた
十字架を 建てる穴を 掘るために
正しい者が 罪有とされて 罰を受ける
その朝は 数人の 穴掘りが 丘の上にいた
多数決で 決めたんだ
殺すんだと 皆で決めたんだ
真昼に行われた 暗闇の中の
民主主義の 勝利
3.光の中の 光である方の 愛は
この私の 罪さえも 赦してくださる
どんな罪が深くても 洗い流してくださる
光の中の 光である方の 愛は
誰が思ったことだろう
彼が私たちの 罪のために
身代わりに 罰を受ける
そのために 生まれてきたことを
おとぎ話の人でなく
人類のたった一人の 望み
時間と空間が 始まって以来の
たった一人の 頼み
時が 計り始められた その夜 その時に
宇宙の 果ての方にある 小さな町で
神が人となって 生まれた
時が 計り始められた その夜に
メリークリスマス おめでとう 心から
今日 ダビデの この町に
救い主が 生まれたから
救い主が 生まれたから
「神は、実に、そのひとり子をお与えになっ
たほどに、世を愛された。それは御子を信じる
者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のい
のちを持つためである(もらうためである)。」
(ヨハネ 3:16)
最後まで、ありがとうございました。イエス様
の御心なら、来春に、帰国してイエス様を歌う計
画です。まだ、長い先ですが、ガ――――――ッ
と、歌わせてもらいたいのです。御心なら、皆さ
んにも会いたいですね。FaceBook に続けて毎週
一曲載せています。よろしかったら、どうか聴い
てみてください。
イエス様が、イエス様の愛と永遠の命の約束で、
皆さんを恵み、祝福してくださいますように。
のぼる
ザ・デイ / 森繁 昇
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