その後、皆さん元気でしょうか? もう一
回来ましたよ。良いお知らせの手紙です。
いくら歳を取っていても、また仮に、病気
でベッドに横になっていても、そして今、仮
に若くて元気であっても、この世で息をして
いる限りは、まだ、永遠の命の望みがありま
す。今は、あなたが、イエス様の愛と罪の赦
しの中にある永遠の命の望みを、救い主イエ
ス様に尋ね求める時です。神様は、私たちを
愛しておられます。
普通のおっさんのぶっちゃけた話。
私はチョット変な人に思われる時があるみ
たいです。時には、宗教にはまった人のよう
に思われているかもしれません。しかし、私
は、普通のおっさんです。歳もだいぶん取っ
たおっさんです。私は、ただ、天と地の全て
を造られた神様の真理を知ったのです。それ
で、私なりに、出来るだけ普通に、そのこと
について、ぶっちゃけた話で人々に説明をし
たいのです。それが、神様から私に与えられ
た使命なのです。
私にとっても最初そうでしたが、皆さんに
もほとんど馴染みのない聖書の話を、今日も
引っ張り出して、それを聞いて頂き「真理と
いうものが、本当にあるなら、私も知りたい」
と皆さんの心に願いが起こるのを願って、今
日も書かせてください。どうしても、皆さん
に知っていただきたいのです。
たった一人で
全ての人は、他の人が誰も知らない人生を、
たった一人で歩む! いや、誰とも何も関わ
りを持たないで生きて行くと言ってるのじゃ
ぁないのです。そんなことをするなら、この
世から出ていかなければなりません。そうじ
ゃぁなく、他の人が誰も知らない心の人生を
歩むのです。神様とあなただけが知ってる人
生の部分? その、誰も知らない心の部分で、
人は神様を求め、神様を知るようになると私
は確信しています。他の人は、あなたの事
を全部は知らないのです。『いや、全部は知
れないしぃ。』笑。それがいいのです。神様
は、他の誰にも知れないようにしてくださっ
ている部分を、全ての人に取っておいてくだ
さっているのです。それは、『たった一人の、
心と思いの、時間と空間です。』その場所で、
人は神様と出会うのです。
ずいぶん昔の思い出
今、日本に向かうジェット機の中。初めて
機内でクラッシック音楽を聴くことにした。
いや、以前も聴いたかも? でも、覚えてい
ない。
『バッハだ。』私は若い頃から古いのが好き。
懐かしいバイオリンのメロディーがイヤホン
から聞こえてきた。『この曲、やったなーー。
懐かしーー!久しぶりだなぁ〜』。バイオリ
ンコンチェルト第2Eメジャー bwv1042.1
アレグロ。目の前の画面にタイトルがそう書
いてある。『そんな名前だったんだ!』当時、
私は自分がやる曲の名前はほとんど知らなか
った。名前はどうでもよかった。
両親は、私が 5 年生の時、下松の町で八百
屋を始めた。その八百屋の2階の部屋に姉と
一緒に住んでいたが、だんだん部屋が狭くな
ったので、私は、八百屋の近くの、昔旅館だ
ったところをアパートにした4畳半に住むこ
とになった。それは私が中学2年の時だった。
このアレグロを聴いていて、あの薄暗い四畳
半でこの同じ曲をよく聴いていたのを思い出
す。そして、なんとも言えない、あの時代の
ムードを肌で感じていた。当時、私は、まだ
バイオリンを習っていたが、バイオリンの先
生だった下村栄先生はあの時、バッハのこの
曲を私にやらせたのです。
今思うに、下村先生は古典派の曲を多く私に
やらせたと思う。だから、私は古いのが好きな
んだろうか? 笑。お袋に言って、その曲のレコ
ードを買ってもらった。高校に入るまでは、小
さいプレーヤーで何度も何度も、レコードに
針を下ろした。実を言うと、下村先生が私に
選んだ曲の全てのレコードは買ってもらった。
母は、何も言わないで買ってくれた。
アレグロを聴いてると、その頃知っていた近
所の人達の顔を思い出す。友達と一緒に食べる
ため、こっそり八百屋から多量に持ってきた夜
食のチャルメラ、チーズにクラッカー等々。何ヵ
月か友達と一緒にやった新聞配達のこと、一
緒に山に登った中学の先生と友達、二階の窓
からすぐ下に見えた豆腐屋を思い出す。
そのアパートは面白い作りだった。漢字の
口の形をした二階建てとでも言うか、真ん中
は空に吹き抜けになっていた。その吹き抜け
に面して、一階と二階にぐるりと廊下があり、
全ての部屋のドアが、その廊下に面していた。
その吹き抜けの真ん中には、キャンプ場でよ
く見るような、煮炊きをする所と、皿を洗っ
たりする流し場があった。入り口は格子戸で、
誰かから、『ここは昔、遊郭だったんだ』と
聞いたが、『ふーん』と答えた私は、遊郭が
何か知らなかった。
私が遊郭が何か知るわけがないのは、多分、
昔から本というものは全くと言っていいくら
い読まず、ただ、自分だけの人生の野山を、
自分だけで駆けまわっていたからでしょう
か、笑。想像つきますかね? 笑。大学の頃に、
父が、『あの通りは昔、遊郭だった』と言っ
た時にも、遊郭がまだ何か知らなかった私は、
『ふーん』と同じように相づちを打っていた。
何とも、ナイーブと言うか、無知で愚かと言
うか、そのような青春時代でした。
イエス様のたとえ話
昔のことを思い出していたのに、どういう
わけか聖書の中の、イエス様のたとえ話をだ
んだん考えていた。『なんでですかね?』
福音書(新約聖書の最初の4つの書)の中で、
イエス様は多くのたとえ話をしました。たと
え話をしないで福音《ゴスペル》を語ること
はなかったとも書いてあります。それは、そ
のたとえ話を聞く人がゴスペルを考えるた
め、又、日ごろ起こる出来事をたとえ話にす
ることで、神の良い知らせが、現実のことと
して人々によくわかるようにするためだった
のでしょう。だから、 こうも書いてあります。
イエスは『聞く人の聞く力に応じて、たとえ
話でゴスペル(みことば)を語られた。」と。
(マルコ 4:33)
しかし、それとは反対に、弟子たちの「な
ぜ、彼らに(も)たとえでお話しになったの
ですか?」の質問に対して、イエス様は、「わ
たしが彼らにたとえで話すのは、彼らが見て
はいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、
悟ることもしないからです。」と答えました。
『えっ?』っでしょ。しかし、この事は、「わ
たしがいくらわかりやすくたとえで《ゴスペ
ル》を話しても、真理を知ろうとしたがらな
い心には、決してわからないのです」と言わ
れたのだと私は思います。(マタイ 13:10-15
マルコ 4:33,34)
座って算段
さて、大勢の群衆が、イエスといっしょ
に歩いていたが、イエスは彼らの方に向い
て言われた。
「私のもとに来て、自分の父、母、妻、子、
兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも
憎まない者は、わたしの弟子になることが
できません。自分の十字架を負ってわたし
について来ない者は、わたしの弟子になる
ことはできません。
塔を築こうとするとき、まずすわって、
完成に十分な金があるかどうか、その費用
を計算しない者が、あなたがたのうちにひ
とりでもあるでしょうか。基礎を築いただ
けで完成できなかったら、見ていた人はみ
な彼をあざ笑って、『この人は、建て始め
はしたものの、完成できなかった。』と言
うでしょう。
また、どんな王でも、ほかの王と戦いを
交えようとするときは、二万人を引き連れ
て向かって来る敵を、一万人で迎え撃つこ
とができるかどうかを、まずすわって、考
えずいられましょうか。もし見込みがなけ
れば、敵がまだ遠くに離れている間に、使
者を送って講和を求めるでしょう。
そういうわけで、あなたがたはだれでも、
自分の財産全部を捨てないでは、わたしの
弟子となることはできません。」
( ルカ 14:25-33)
『自分の親、妻や子供、兄弟姉妹、それに
自分の命までも憎まない者は、私の弟子にな
ることはできない。』『自分の十字架を負って
私について来ない者は、私の弟子になること
はできません。』『エーーーーーーっ?!?!』で
すよね。はじめ、私もたまげましたが、弟子
達はドたまげたでしょうね! しかし、ちょ
っと考えてみましょう。イエス様は、ここで、
自分の家族や自分の命を憎めと言っているの
でしょうか? 自分の全財産を捨てろ!と言
っているのでしょうか?
ここに3つの話がありますが、どれも、あ
ることのために『かかるもの』の話です。か
かるお金、かかる人員に自分の国、イエス様
について行くのにかかるもの。
2つ目のたとえは塔を建てるためにかかる
費用です。大切なお金です。いくらお金がか
かるか、座って時間を使い、真剣に計算しな
い人なんて一人もいないのです。塔を完成さ
せるために、真剣に取り組まなければなりま
せん。
3つ目のたとえは、もっと真剣なことです。
なぜなら人の命がかかるからです。自分の国
の存続がかかってるからです。敵を迎え撃つ
ため、敵に勝つためにかかる兵士の数と状況
を真剣に考えなければなりません。勝ち目が
無いなら、手遅れにならないうちに、敵がま
だ遠く離れている間に、講和を求めなければ
なりません。全滅させられるかも、国を取ら
れるかもしれないからです。
この2つのたとえは現実のことです。両方
とも真剣に座って算段しなければなりませ
ん。そうするのが当たり前です。
そして、1番目のたとえを考えるのです。
イエス様は、説明した前の2つのたとえによ
って、1 番目の話を人々が真剣に考えるお膳
立てをしました。そして、そのことが何より
も大事であることを考えさせるために、イエ
ス様は、さらに「ドたまげる」そのような言
い方をしたのです。「真の神を知ることより
も大事なことは、何もない!!!」と。
イエス様の弟子になるためにかかるもの?
イエス様について行くためにかかるもの?
さらに言うと、イエス様を知るためにかかる
もの??? イエス様の真理を知るためにか
かるもの?? それにかかるものは、『あな
たの全て!」だと言うのです。真の神を知る
ことよりも大事なことは何もない!! イエ
ス・キリストを個人的に知ることよりも他の
ことを大事に考えている人は、神の真理を知
ることができない!!と言っているのです。
そして、神を知るためには『あなたの全てが
かかる!!』のです。「私の全て???」それは、
「あなたの心」です。そうです! 神を知る
ためにかかるものは『あなたの全て』である、
『あなたの心』です。
ヨハネ 3 章 16 節
最後に、懐かしい歌を一つ。
「歩きながら」 1990 年頃の歌
1 神のみ旨で生きてる限り
ついて行く イエスの後を
父のみ旨に従い続け
自分の十字架を担い
はぐれた羊を探すため
あの苦い丘に登り
俺は死んで行くのさ
歩きながら
2 俺は死んで行かないぞ
ここに座ったままで
俺は死んで行かないぞ
ここに立ったままで
俺は死んで行かないぞ
ここにじっとしたままで
俺は死んで行くのさ
歩きながら
3 君は天国へ行けるのさ
ここに座ったままで
君も天国へ行けるのさ
ここに立ったままで
君は天国へ行くのか
ここにじっとしたままで
俺は天国へ行くのさ
歩きながら
この夏も、いくつかコンサートを計画して
います。もし、近くであるようでしたら、ど
うか聞きに来てくださいね。
7月
20 日 鹿児島県 宮之城キリスト教会 0996-52-0050 0901900392
21日 鹿児島県伊佐市 ホープチャペル 0995-23-0766 08015330766 大口
8 月
2・3・4 日 兵庫県三田市 宝塚ブルーグラスフェスティバル
三田アスレチック 0795‒69‒0024
16・17・18 日 函館市 09037789102 工藤
19・20 日 群馬県吾妻 万座温泉日進舘 0279-97-3131
25 日 兵庫県宝塚市 宝塚栄光教会 0797-73-6076
ザ・デイ / 森繁 昇
〒744–0019 山口県下松市桜町2丁目17–24
FAX▶ 0833–91–6492
E-mail▶ thewindisblowing@hotmail.com
HP▶
http://thedaywill.com
振替口座▶01330-4-93687 ザ・デイ
Noboru Morishige
P.O.BOX 1666
KEAAU, HAWAII 98749 U.S.A
TEL ▶ 808–966–92524

1