皆さーーん! お元気でしょうか?2009年、初めてのグッドニュースレターです。今回も聖書の中のゴスペル(良い知らせ)の希望を、一生懸命書かせてください。どうしても必要な希望です。どうしても!
『復活』
春と言えば、、太陽ぽかぽか、暖かー、そよ風、新緑、桜、蓮華、菜の花、ちょうちょ、鳥のさえずり。思いつくままを書いてみましたが、なんか嬉しくて希望がありますよね。寒くて暗い感じから、明るく暖かい元気を感じる。もちろん明るく暖かいだけでは元気になるとは限りませんが、死んでたような野原に新しい命が生まれ、あふれていることは確かですよね。去年も書いたと思いますが、『復活!』の良い知らせを今回も書かせてください。
『ローレン・ウルフさん』
約2ヶ月前、親しい友達が天国に行きました。彼の名前はローレン・ウルフさん。63歳でした。ウルフさん?狼さんって怖そうな名前ですが、名前とは裏腹にとても優しい。それにピアノがとても上手で、毎週日曜日に教会で皆が神を賛美する時の奏楽をしていました。体格のいい人で、彼のその太い指は、隣の鍵盤に間違って触ることなく,いとも簡単そうに賛美の伴奏をするのです。その彼の肺炎が急に悪化し、若くして天国へ帰った。彼が天国に帰ったニュースを聞いた時、私はしばらく唖然とした。涙があふれる。ここにはもういない。ここではもうあえない。もっと話とけばよかった。いろんな想いが頭をよぎる。信じられない。少しずつ冷静になり、『又あえる』『天国で又会える。』『私よりちょっと早く天国に行ったんだ。』と思い出し少し安心する。でも、又悲しい。今はもう会えない。で、また『そうか、今悲しいけど、彼が天国へ行く神様の時が来たんだ。』とまた彼のことをイエス様に任せる。そして、『そうだ、私の番も来るんだ。私の天国に行く番も来るんだった。』と思い出し、今生きてることにもっと真剣になる。心一つでイエス様に罪を赦された者が、この世を去った後、天国復活し(生き返って)イエス様と一緒に永遠に生きるんだ。でも、その時までこの世でやることがある。神様が一人一人にやってほしいことがね。
『信じるとは、、』
こんな話を友達にすると、『いいなークリスチャンは、そんな風に信じれて。うらやましいよ。俺も信じれたらいいんだけどねー。』なんていわれる時がある。今回のように誰かが亡くなった時に天国の話しをすると、少しは聞いてくれるけど、そうじゃないときに死人の復活なんて話すと、『おめでたいね、、そんなん信じれて、、』『天国で生き返って、イエスと一緒に永遠に生きるって、お前本当に信じてるんかい?』『うん。でも僕だって最初は信じられんで馬鹿にしてたんだけどね。』
信じるということは将来のことに関してであって、現在見てることや過去に経験したことにではない。『将来何が起こるかわからんのに、そんな事信じられんでしょ?』といいながら、人は、信じるという言葉を良く使うみたい。
ゴスペルに関して信じてるということはどういうことかというと、イエス・キリストとイエス・キリストの約束を信じているということなのです。『えっ?見たこともない人の約束をしんじてるんですか?おめでたいね〜。』と又言われそう。
『私だって、良い話だからと言って、飛びついて信じたわけじゃないんですよ。』
『信じてるとは、すでに知っていること』
もし仮に、通りがかりの人が私に、『明日君に10万円上げるから又ここに来てよ。』と言ったとしましょう。私は期待してそこに行くかもしれませんが、その人を信じられません。なぜなら、私はその人を知らないし、その人と何の関係もないからです。しかし、私の母が、『昇、あんたのために、100万円明日までに用意しておいてあげるからね。』といったら、信じますよ。そりゃ、私は母をよく知ってるし、母が私にうそをつかないと知っているからです。ここでわかることは、信じてるということは、期待してることとは違うのです。私に言わせれば、『信じてる』ということは、『全く疑わないままで自分を任せていること』、すなはち、それが本当だとすでに確信して『知っていること』なのです。
最近『自分を信じて、』という言葉をテレビやラジオでよく聞きますよね。これは私の考えですが、ちょっとフィギュアースケートの選手のことを考えて見ましょう。選手は自分に期待することはできても、氷上で次に飛ぶジャンプの着地をうまくできるかどうか知らないので、自分を信じるというのは無理だと思います。だから不安だったり、怖かったりするんだと思う。自分を信じなさいって言われるのは酷かもしれませんね。『自分のことさえ信じれないのに、見たことも触ったこともないキリストが約束したことが、どうしてお前は信じれるんだ?それこそおかしいだろう。』『確かに!』
『命を捨ててくださった方の約束。』
初め私はイエス・キリストを知らなかった。何なのか、誰なのか、本当なのか、うそなのか?だから、聖書に書いてることが馬鹿な話にしか聞こえなかった。たとい、いい教えのようなことが書いてあっても、自分もそのように生きようなんては思わなかった。しかし以前何度か書いたように、『もし本当なら知りたい。』と心を開いたときに、神自身が直接私の心に少しずつ教えてくれたんです。その方は、私の罪が赦されるために、自分の命を捨ててくれたのです。私は、神が私をそれほどまでに愛してくださってることを知ったのです。だからーー、私はその方が約束してくれたことが信じれるのです。 神を知ってる人は誰でもゴスペルを信じれるのです。これは本当に神業です。天国での復活の約束を知ってるから希望があるんです。だから嬉しいんです。だからどうしても他の人にも知ってほしいのです。。『キリストは、私たちのために、ご自分の命をお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。』(1ヨハネ3:16)
『じゃあ、人は誰でも造り主の神を知ることができるのかい?どうやって?』
『私の確信!誰でも神を知れる。』
仮にあなたが難波に落語を聞きに行ったとしましょう。落語家が面白いことを言ったら、げらげら笑ったり、くすくす笑ったりしますよね。あなたはその面白い話を聞いて自分が笑う時に、周りの人を見てから笑いはじめますか?そんなことはしないですよね。耳から入った落語家の言葉が頭と心の中で一瞬にして笑うという気持ちを引き出すのです。聞いたことに『面白い』とか『おかしい。』という気持ちで応答したのです。神が人間に備えたこの機能はなんてスゲーーーんだと私は思う。ちょうどそれと同じように、『もし本当なら知りたい』と開いた心に神が語る時、自分が神の前に弱く恥ずかしい罪びとであることがわかるのです。そして、そのような私たちでさえなお愛し、赦してくださる十字架の上のイエス・キリストの語りかけを聞く時、周りの人の事を全く気にしないで、『ごめんなさい。』『ありがとう。』と、応答できるように人は造られているのです。
求めなさい。そうすれば与えられます。 探しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。 (マタイの福音書7章7節)
『神からもらった自由意志』
人は笑ってるような顔をすることはできますが、無理やり笑わさせられることはありません。それは、神が全ての人に自由意志を与えていることをはっきり示しているとおもいます。そしてその特権を誰も奪うことができないのです。人は神に応答できるように造られているのですが、神の問いかけにさからうこともできますし、そんな事は知りたくないと心を閉ざすこともできるのです。それは一人ひとりが自分から神を求めことを神が願っておられるからです。そして人は誰でも神を直接、個人的に知ることができるのです。
『最後に』
笑える人は神を知ることができます。泣いてる人も悲しんでいる人も怒ってる人だって神を知ることができるのです。スゲーーとおもいませんか?その人の心は神を知るためにちゃんと作動しているのです。どうか、今日という日に『造り主なる神が本当におられるなら知りたい。』と心を開いてください。
死んだら終わり!じゃあないのです。天国で復活するのです。永遠の命の希望があるのです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3章16節)
ごめーーん!!またもや長くなってしまったー。
春のコンサートの予定です。もし近くであるようでしたら、友達を誘ってきてください。待ってまーーす。
4/4 山口県岩国市 0827−41−1028大川
/5 神戸市六甲アイランド 078−857−3597松崎
/8 福岡県前原市 前原音蔵 090−3738−0512倉重
/9 福岡市 天神 Juke Joint 092−762−5596溝口
/10山口県周南市 0833−91−0937
/11京都市 子供イースター075−311−5193長澤
/24奈良県生駒市 ミルクティー 07437−4−0237広田
/25奈良県生駒市 ライブ 07437−4−0237広田
/26大阪府堺市 北野田キリスト教会 072−235−0552大岡
5/9京都府亀岡市 亀岡キリスト教会 0771−24−6681大西
/10大阪市 新大阪ライブハウス・オッピドム06−6151−8106今富
イエス様が、復活のゴスペルで皆さんを祝福してくださいますように。

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