森繁昇からの手紙

 

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2021/11/24

 みなさん、元気でしょうか? そう願って
います。

『秋』

 私の場合、歳を取ればとるほど、やる事が
もっと増えてきている。動きが鈍くなって、
仕事がたまったからじゃあないんですよ。そ
うじゃあない! 絶対! でも、笑。しかし、
そのバタバタの中でも、やはり私は秋が一番
好き。ほんの少しの間でも、遠くの山や高い
空を見ると、すでに、一つ大きな息を吸い込
んで吐き出してる私、リラックス。

『私の心の変遷』 最終回、May be...?
 
日本にいた時は、他の人の目と耳を、かな
り気にして生きていた私ですが、その頃(前
回までの心の変遷の頃)になると、私とイエ
スとの間では、他の人のことは全くと言って
いいくらい考えていなかった。ただ、「私と
イエスの関係はどうなのか?」ほとんど、そ
のことを考えていたと思います。それは、他
の人には、私が何を考え、どのように感じて
いるかわからないので、他の人のことは頭に
なかったのだとおもいます。「たった一人で」
考えていたんですね。

『本当なのか、作り話なのか、どうしても、
どうしても、わからない!』


 「神は、イエスを私の代わりに罰して、罪
の赦しを提供している?」その事を私は英語
で聴いていましたが……、"He gave His only 
Son" というのです。神は一人子を与えた?
くれた……?
 敬語なら、「お与えになった? 下さった?」  
その時、私が読んでた聖書の訳は口語訳で、
その個所は、『一人子を賜った』だった。プ
レゼントしてくれたというのか、ふーん、   
プレゼントならタダか、もらう者が、『あり
がとう』と、受け取らんと、もらえんのか、、
勝手にそんなことを考えた。
 神の提供に、ありがとうと、応答すること
が、神の愛を受け取るということか? ふ〜
ん。
 その頃までには、聖書のメインのメッセー
ジが、わかったような気がした。昔聞いた、「イ
エス・キリストは、馬小屋で生まれて、十字
架にかかって死んだ」というのが、何の理由
だったのかが、私の内ではっきりした。しか
し……、それが、現実なのか ?? 作り話なの
か ?? どうしても、どうしても、全くわか
らない!!  また、振出しに戻りそうや!『本
当なのか?作り話なのか?』 その事が、い
つも私に付きまとった。

『気持ち』

 私には『信じたいという気持ちはなかっ
た。』『信じようとしたことも一度もなかっ
た。』本当でなければ、そのような気持ちは、
私にはありえなかったし、信じれるはずがな
かった。

『ミニまとめ』

 初めから簡単に書いてみると……、
 それは、天と地を創った神がいるかもしれ
ない、そこから始まり、いるなら知りたい、
もしいたら私は、聖書の言う罪人、(ここの
ところは、よく知ってるので詳しく)……私
は、自分で、何が悪いか良いか知っていた、
そして、悪くてもやるんだと日ごろから考え
ているんじゃない、どちらかと言えば、良く
しよう、正しい方が良いと思っている自分が
はっきりあった。しかし、時に、何か状況が
変われば、自分の願い通りに、又、自分の思
い通りに、その悪いと知っていることをやっ
てしまう。嫌々やるのではなく、自分の何ら
かの益のために、やりたくてやる。考える間
もなくやる。それまで悪いと思っていたこと
を、とっさにやる自分。その自分を私は心の
中にハッキリと見ていた。
 私は、自分の罪を赦してもらいたいのか?
それとも、このままで人生を進んでいくの
か? そのような問いが心に浮かんできた。
 又、時が経った。聖書に書いてあることが、
本当かどうかわからないが、もし本当なら、
神に罪を赦してもらいたい、という気持ちが
起こってきたと思う、多分……。

『奇跡が起こった!!!』

 マジ言って、奇跡が起こった!! 奇跡??っ
て? 何?
 奇跡って、時々、おとぎ話的に聞く言葉で
すよね。全く自分の力ではない、人の力でも
ない、何か、自分以上の、人間以上の、誰か?
何か?霊か?神か?の力で、人ができないこ
とが起こる? 人ができないことを起こす? 
それが私に起こったのです!(創世記 1 章 1
節が本当なら、これは、もちろん有りですよ
ね。それは、あとからの思いですが……。)
 その奇跡がいつ起こったのか、私は、はっ
きりと知らないのです。しかし、ある時から、
『イエス様、罪を赦してくれてありがとう。』
という気持ちが心にあったのです!!
  えーーっ!! そうです、その気持ちが私の
心にあったのです。そして、自分の全ての罪
が赦されたという気持ちもあったのです!!
えーーっ? その気持ち! ドっから来た?? こ
の気持ち!! そして、その気持ちに確信があ
ったのです!! その時まではなかった、全く
新しい気持ちでした!! それが心の中ではっ
きりと分かったのです!!

『神の忠実』

 神の奇跡です! 神業です! それから大分
経って私にわかったことは、その奇跡が起こ
ったのは、私が、『もし本当なら、知りたい』
と願っていたからだとわかりました。イエス
は約束した通りに、自分の言葉に忠実に私に
してくれたのです。
「捜しなさい。そうすれば見つかります。」
(マタイ7:7)
 私は、見つけたのじゃあないのです。知り
たがっていたら、『見つかった!!』のです。本
当だとわかったのです。それは、イエス自身
が、私に見つけさせたからです。 
 聖書に書いてあることが、よく理解できた
というのじゃあないのです。ある一部分だけ
が分かり、その一部分だけで、神は私に、語
ってくれたのです。自分が何かをしたからで
はなく、ただ、本当なら知りたいと正直に、
知りたがる心で、私は聖書の言葉を読んだだ
けなのです。聖書の話を聞いたのです。そう
したら、イエスは奇跡を起こして、神の愛と
神の言葉が、真実で、又、真理であると私の
心に明らかに示してくれたのです。神は、自
分の約束に忠実で、優しくて、人を愛してい
るのです。
 『イエスを求める人、もし本当なら知りた
いと願う人』それが誰であっても、その人の
心に神は奇跡をするのです。私は、それがわ
かりました。

『疑い』

 『イエスに自分を任せて大丈夫なんか?』
という思いが、その後、何度か私を襲いまし
た。その都度、私は、心の中でイエスに向か
って叫んでいました。『私は本当のことを知
りたいんですから、続けて、私の心に、あな
たのことを、はっきりさせてくださいよね。』
と。それからも、私はイエスのことに想いを
潜めていました。。イエスは・私の為に命を
捨てて下さるほど私を愛してる・私のことは
なんでも知ってる・何でもできる・イエスは
聖い・正しい・忠実・優しい・あわれみ深い・
恵み深い……その他全ての良いことを表す形
容詞が当てはまる方だと思いました。
 イエスのことを信じられるようになった
後、私はもっと聖書を読みたい気持ちになっ
ていました。イエスに感謝したり、お願いし
たり、頼みごとをしたりする中で、私は、い
ろんな試練や困難や問題はありましたが、『こ
の方は、絶対!信頼できる方!』という心を、
イエスによって益々強められていきました。

『心の変遷』最終回に当たって

 人は皆、神の愛と罪の赦しが要ります。た
った一人でイエスを求める時、イエスはあな
たの心に語ってくださいます。そして、あな
たはイエスを個人的に知るようになります。
 人は皆、神の愛と罪の赦しが要ります。な
ぜなら、それには天国での永遠の命の約束が
伴うからです。人は皆、この望みが要ります。
 あなたがイエスを知る時、イエスの約束も
間違いないと知るようになります。その約束
は、私が何度も書いてきたイエスの言葉によ
く表されています。
 「神は、実に、その一人子をお与えにな
ったほどに、世(わたし)を愛された。そ
れは御子を信じる者が、ひとりとして滅び
ることなく、永遠のいのちを持つためであ
る。」 (ヨハネ3:16)

『ジミーの近況』

 ジミー! 久しぶりですね。ジミーのこと
は、この春、私が日本から帰って来て、いな
くなっていた彼をヌードコロニーに捜しあ
て、また週に2、3回くらい会い、その内の
2 日くらいは、私と一緒に働く生活が始まっ
たところまででしたね。(5 月号)
 ヌードコロニーは、ニューエイジの(もう
ニューじゃあないかも……)本当にいろんな
ユニークな人が出入りするワイルドなところ
です。毎週月曜の昼 12 時ころから夕方まで、
パホアやヒロのミュージシャン達が集まり、
メディカル・マリファナ?が濃く漂うジャム
セッションをする。それと、年に数回、フェ
スティバルがあり、本土からも多くの人が来
て賑わう。どうやってこのジャングルの集ま
りを知るんだろう? ネットですよね! たま
げる! 私の全く知らない世界。パホアでは、
ドラッグやマリファナは簡単に手に入り、そ
の誘惑も多く、危ない所であることは間違い
ない。それで、私は、時々、ドラッグのことで、
強くジミーに警告する父兄みたいですが、い
つも彼と一緒にいることはできないので、彼
をイエス様に任すしかないのです。
 7月に本土の旅から帰ってみたら、彼は、
そこを追い出されていた。コロニーのオーナ
ーのガールフレンドと折り合いが悪くなっ
て、けり出されたのだ。丁度その頃、ジミー
はパホアでテッドというカヴァ * を栽培販売
する男に出会った。テッドが仕事で腰を痛め
たので、ジミーの助けがいるという事で、テ
ッドが住む借家の二階に住ませてもらってい
た。感謝なことに、ヌードコロニーに住んで
いた時にそろえていた、自分の持ち物をみん
な持って行っていた。
 私の夏の旅が始まるまで、以前と同じよう
に週2、3回パホアの東の方にあるナナワレ
に迎えに行くようになった。ジミーと知り合
って以来、私もパホアのことがもっとわかる
ようになった。住んでる多くの人は『ピース』
を好む人々みたいですが、まだ、私の全く想
像つかない、『何でもあり』の、いろんな問
題を持った人々がすんでる町です。
(*カヴァ:ハワイにも生えている木で、樹皮や根からの
汁を飲む。飲むと舌が少ししびれ、鎮静作用があるという。)


『再びジャンクヤード』


 9月下旬、私は夏の旅から帰宅。ジミーは、
テッドの所をけり出され、私が一番初めに彼
と会ったときに彼が住んでいたジャンクヤー
ド(古く、動かなくなった車約 700 台が藪
に放置され、パーツを売る)にいた。テッド
との間で問題が起き、出されたのだ。ジャン
クヤードには、動かなくなったバスも何台か
あって、ジミーは、その一つにいた。テッド
の所を着の身着のままで出されたジミーは、
それまでの持ち物を全部なくしてた。私が日
本から帰って二人で会う時は、毎回、二人と
も大喜び。嬉しくてたまらない私たちのニヤ
ニヤが、しばらく止まらない。しかし、私が
日本から帰ってきたら、ハンサムなジミーは、
だいたいドブネズミのよう。でも、会えて、
私たちは、イエス様に感謝する。又、彼との
生活が始まった。今まで通り。雨嵐をしのぐ
バスの屋根はある。それ以外、電気、水道、
トイレ、シャワー等は一切無し! 掃除して、
さし向き、いる物を調達。水用の大きなポリ
のタンクを二つとガスコンロ、料理道具等。
煮炊きはできる。シャワーと洗濯は私の所で
大体週二回。彼はいい働き手だが、一日にあ
まり長くは働けない。昨日は、彼の 31 歳の
誕生日。私は毎日忙しかったので、他の人は
呼べなかったが、家内と3人で、仕事が終わ
って誕生会。以前食べてもらったタコ焼きが
大いに気に入ったようで、彼からその注文が
あった。やわらかいので、食べやすいみた
い。それと、エビが大好きと言う。天ぷらに
した。沢山揚げたーーー!! 家内が、カップ
ケーキの誕生ケーキを沢山作った。持って帰
っても食べやすいかもと。4歳から 18 まで、
DV で狂った生活。18 で高校出て以来、ドラ
ッグ漬のホームレス。で、7年位前にハワイ
島に来た。私は彼に会って3年。パホアに沢
山いるホームレスやドラッグをやる人の中か
ら、ジミーに私を会わせたのはイエス様。全
く想像つかなかった彼のこれまでの生活、今、
少しわかる……。それよりも、心の中のこと。
でも、大丈夫 イエス様が、私たちと一緒だ
から!! 『一緒にイエス様にお願いして、やっ
ていこうよな。』と言うと、ジミーは、優し
い澄んだ目で私を見てうなずく。『イエス様、
これからも、どうか、私達を、よろしくおね
がいします。』
 皆さん、私たちの為に、祈ってくださって
ありがとうございます。これからも、続けて
イエス様にお祈りしてくださいね。イエス様
の助けが、私も多く要ります。
 今回も、最後までありがとうございました。
来月も又、Good News letter でお会いしまし
ょう。


noboru










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2021/10/3


 皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
 皆さんが、元気にしておられることを願っ
ています。
 天と地と、その中にある全てのものを造ら
れた神の恵みとあわれみによって、たとい、
私たちの、あちこち痛い体がさらに古びてき
ても、また、コロナで、私たちの毎日の生活
苦が増してきても……私達の心が、イエス様
のゴスペルの愛と希望で力づけられますよ
う、イエス様の下さる安らぎと喜びで励まさ
れますよう、天国での永遠の命の約束を待ち
望んで、日々イエス様に感謝して進めますよ
う、イエス様にお願いしています。イエス様、
どうか、私達の、それぞれの必要を満たして
ください。よろしくお願いします。ありがと
うございます。

『また、今日からやで!』

 先日、夜遅くに、旅先から下松に帰宅。次
の朝、用事で町に行く農道のはしに、何とも
爽やかで、きれいな花。秋晴れのそよ風に揺
られながら、ニコニコ咲いている。この花、
初めて見た! 今まで、なんで気がつかんか
ったんだろう?と、考えていたら……そうか、
いつもの年なら、この時期、私は、ここには
いないんだよな。コロナで、私の旅の日程も
変わったんだ。そういえば、裏になったイチ
ジク、去年は食べんかったが、今年は、何個
も食べた。そうだよなぁ……それぞれ、神が
決めた時に、神が決めた場所で、神の業を、
やらせてもらってるんやなぁ〜。そのまんま
やねぇ。

 その2日後、また、そこを通った。あんな
にきれいで、生き生きとしていた花のほとん
どが、しおれていた。私は……ダビデの歌を、
また、思い出していた。
 「人の日は、草のよう。野の花のように
咲く。風がそこを通り過ぎると、それは、
もはやない。その場所すら、それを、覚え
てはいない。しかし、天地の造り主の恵み
は、とこしえから、とこしえまで、造り主
なる神を恐れる者の上にある。」
 そして、俺の心が言った。「まだ、これか
らやで! この世におらせてもらう間は! 
天国へ行くまでは、また、今日からやで!」

 「私の心の変遷」続き

 今回も、私の心が、どのように感じ、思い、
考え、変わっていったのか、出来るだけ思い
出して書きたいと願っています。これらのこ
とは、ずいぶん昔のことですが、私は 1978
年に、自分の心の変遷を1度書いたことがあ
って、それで、今でも、かなり詳しく覚えて
いるのだと思います。

「キリストは馬小屋で生まれて、十字架
にかかって死んだ」

 いつ頃からだったでしょうか?多分、小学
校低学年の頃? その言葉が、私にとって、
どういう意味なのか 1 度も考えたことはあ
りませんでしたが、私はその言葉を知ってい
ました。「なぜだろう?」それを考えていた
ら、思い出したのです。そのことは、何年か
前、私のレターにも少し書きましたが……。

「キリストがあるよー!」

 あれは、私が幼稚園児か小学 1 年生くら
いだったと思います。当時住んでいた熊毛町
高水の村でのこと。 時々、日が暮れた頃に、
「火の用心」の拍子木を叩いて、「キリストが
あるよー」と言いながら、年上の子供達が近
所を回ったのです。多分、私の親は、それが
何か知っていたのかもしれませんが、行きた
いと親に言うと、その「キリスト」とやらに、
私たちを行かせてくれました。それは、高水
駅の前にあるタバコ屋のアヤマさんの家で、
アメリカの宣教師がやっていた、子供会だっ
たのです。(ここでは、詳しくは書きませんが)
多分、私は、その言葉を、そこで聞いたんだ
と思います。その「キリスト」やらに、何回
くらい行ったか覚えていませんが、行った時
のことは、いくつか覚えています。
(話は、もとへもどります。)

「十字架につけろ!」

 私は、マタイの福音書を読み進んで行きま
した。イエスが行なった奇跡や、癒しの奇
跡、また、イエスが人々に語ったことを読ん
でも、これといって心に残るものはありませ
んでした。多分、それらが、現実的でないの
で、やはり、おとぎ話という感じで、読んで
いたんだと思います。そして、その 27 章で、
群衆は、イエスを、「十字架につけろ!」と
叫び、イエスを十字架につけたと書いてある
ところを、自分で、初めて読んだのです。「キ
リストは馬小屋で生まれて、十字架にかかっ
て死んだ」というのは、ここに書いてあるん
や! 他のことは、深くは考えませんでした
が、イエス(キリスト)は十字架にかかって
死んだ、というのは少し考えていました。次
の章、28 章には、「イエスは、死んで3日し
て生き返った!」と書いてあるのですが、そ
の事も、心には残らず、ただ、十字架で死ん
だというのが、残っていたと思います。

「4 つの福音書」

 福音書というのが何なのか、全く考えない
ままで読み進みましたが、いつ頃からか、福
音書(ゴスペル)というのは、Good News(良
い知らせ)だと知るようになりました。誰か
らか聞いたんですね。それは4つあるのです。
4人の人が、別々に、自分がイエスと一緒に
いて、イエスが行なった奇跡を見たり、イエ
スが話したことを聞いて、それを書き留めた
ものというのです。4つとも、それに書かれ
ていることは、だいたい同じような内容でし
たが、どの福音書も終わりの辺で、イエスが
十字架にかけられて殺されるのです。

「イエスは、人の罪の罰を代わりに受け
る為に、十字架にかかって死んだ」

 私は、福音書を読み終えて、その先の方も
読み進んでいったと思います。時が経つにつ
れて、同じ家に住んでいた若者達がイエスの
話をしているのを聞いたり、住人の誰かが怪
我をした時もそうでしたが、他の人のために、
何人かで一緒にイエスに祈ってるのを聞いた
りすることもありました。その家に住んでい
たほとんどの若者は、いわゆるヒッピーのよ
うで、私と比べて、かなり自堕落な生活をし
てるように見えました。しかし、彼らが集ま
って、他の人のために、イエスに祈ってる(お
願いしてる)のを見る時、私自身は、ちょっ
と変な気持がしましたが、でも、なんか、私
にはない、素直で優しいものを彼らに感じま
した。
 そのような中で、私は、「イエスは人を愛
している。」そして、「イエスは人の罪の罰を
代わりに受ける為に、十字架にかかって死ん
だ」「誰でも、イエスの愛を心に受け入れる
なら、その人の全ての罪が赦される」そのよ
うなことを、時々、聞くようになりました。

「それでも、聖書の話を、現実のことと
して、受け入れなかった、私の理由」
*** 愛
 
 クJesus loves you”「イエスは、あなたを愛
している」 「おいおい、やめてくれよ!イエ
スが俺を愛してる?」皆さんはどう思われる
か知りませんが、当時、この love、愛、と
いう言葉を、誰かがそんな感じで使うのが、
私は、嫌でしかたなかった。男性と女性の間
だけで、いつか使うかもしれない言葉くらい
に考えていた私にとって、(日本では、普通、
そうでしたよね……)恥ずかしすぎて、意味
がわからんその言葉は絶対使わない!! キザ
過ぎ! 映画の中だけ! そのように、愛と
いう言葉を軽く口にする奴って、意味不明! 
絶対変や!
*** イエスを紹介されるの、大嫌い!
 『おいおい、聖書なんか開いて、イエスの
話なんかするなよ! 俺、聖書がホントだと
信じてないし! そんなもん引用するな!』
 話は、また、ちょっと前に戻ってしまいま
すが、私が、そのことに関して、どれほど嫌
だったか、皆さんにもわかる出来事がありま
した。イエスのことを人から勧められること
がどれほど嫌だったか、また、その出来事で、
私が、どんなに短気で横柄だったか、どれだ
け自己中だったかもわかると思います。いや、
自慢してるんじゃあないんですよ。笑……。

「You clean it up !」『お前がかたずけろ!』

 それは、私が、そこの若者たちと一緒に住
み始めて1〜2ヶ月経った頃だったでしょう
か。その家は、寝室が全部で 7 つか 8 つあ
る大きな家で、12 〜 13 人の若者が一緒に住
んでいた。2 階に住んでいたジョンのガール
フレンドのジュリア(その時、私は、彼女を
知らない)が家に来た。多分、ジョンを下で
待つつもりだったんでしょう。丁度その時、
私は、焼き飯を作って、居間のカウチで食べ
ようと、座ったところだった。すると、誰か
知らない一人の女が、カウチに座っていた私
のすぐそばの床に(私にとても近く)座り、
私を見上げて、こう言ったのです。クJesus 
loves you” この言葉に、私は、すぐ、カッチ
ーーーンときました。そして、その女は、聖
書を取り出して、ページをめくり始めるので
す。それを見た私は、苛立つ気持ちを抑えて
クWould you please stop talking to me about 
that?” と、優しく?その女に言いました。そ
れでも、その女は、俺が言ったことが聞こえ
なかったかのように、聖書のページをめくり
ながら、続けて俺に話そうとするのです。「俺
の言った事、全く無視??!!」ムラムラ、ガ
ッチーーーン!! 怒った俺は、まだ食べてな
い焼き飯を持って立ち、その女の後ろの壁に
向かって、思いっきり投げたのです。皿は割
れ、焼き飯が、カーペットのそこらじゅうに
散らばった!
 多分、彼女はド、ド、ドタマゲター!でし
ょう! 座ったままの彼女を指さして、私は、
”You clean it up”「お前が片付けろ!」
と言って、そこを立ち去りました。ゲーーー
ーッ !!! でしょ? 『森繁さんって、ヒドイ
ーーオトコーー!!!』でしょ?
*** 「話が良すぎるやろ!」
 「イエスを信じる者は、全ての罪を赦され
る ??」「おまえー! それ、話が良すぎるやろ
ぅ!」自分は何のつぐないもせんと、どんな
悪いことをやってても、ただ、キリストを信
じるだけで、全部の罪が赦してもらえる ?? 
絶対、都合が良すぎる! 適当な話やで!
*** 「昔、誰か賢い奴が、世界を平和にす
る目的で書いた本に違いない!」絶対、そう
いうもんやで!
 上に書いたことは、私が、キリストの話を
現実として受け入れなかった、他の理由でし
た。しかし、無くならなかった!「何が?」
私の、「もし、本当なら知りたい」の願い。

『わからないことと、わかること。』

イエスについて書いてある事柄や、言ったこ
とが、本当なのか、それとも、作り話なのか、
私にはわからなかった。それは誰にもわから
ないだろう、と思った。(まあ、他の人のこ
とは、おいといて……)
 しかし、わかることがあった。それは以前
にも書きましたが、『もし、創世記 1 章 1 節
に書かれている、天と地の造り主の神が本当
にいたら、私は、その方の前に罪人である』
ということでした。そのことは、はっきりわ
かっていました。もしいたら、ですが。

『罪』

 その時の私が考えていた罪というのは、国
の法律を犯した時に言う罪(犯罪)じゃあな
く、また、映画なんかで昔聞いた、「あんた
罪な人ね。」と、人を対象にいう罪でもなかっ
た。それは、私がまだ知らなかった、天と地
の全てを造られた神の前での罪だった。本当
なら知りたいと思ってる私には、私の心のこ
とに関して、造り主の神の前ではどうなの
か? と考えるようになっていたのです。そ
のころです、昔聞いた、「嘘は泥棒の始まり」
というのは、当たってると思った。まだ神を
知らなかった私も、『自分で悪いと知ってい
ることを自分の意志でやる!』それが、かり
に、どれだけ小さいことだと考えられていた
としても、「悪くても良いんだ」の心の邪悪
さは、とどまるところを知らない可能性を
持ってると想像できました。そして、そのこ
とを自分の心の中に見たのです。また、世界
の全ての悪と呼ばれるものが、人の、その心
から始まってると想像できました。それも、
はっきりと。
 それは、それまで生きて来た人生の善悪の
基準とは、全く異なったものでした。それが
わかったのは、私が、『もし、本当なら、知
りたい』と、願っていたからだと確信しまし
た。
 その後、私の心に、何かが起こるのです。


 『心の変遷』最終回だと思っていたのです
が、もうちょっと続きます。今回も、最後ま
で読んで下さって、ありがとうございました。

 PS:ゴスペルは、良いお知らせです。悪
いお知らせではないのです。

のぼる




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2021/9/4



その後、皆さん元気でしょうか? 大雨が
続きましたが、皆さんが、安全で元気にして
おられることを願っています。

「大雨」

 大雨は、私のところも、何度か通って、東
のほうに向かって行きました。
 今回のように日本中で長い間、大雨が降る
のは本当に珍しいことです。あちこちで被害
がでていますが、イエス様が皆さんを災害か
ら守って下さるようにお願いしています。被
害に遭われた方に、できるだけ早く援助が与
えられますよう、お祈りします。また、私た
ちも、できることで被災者の方々を援助しま
しょう。
 実際、私自身も山口では災害危険地域(谷
間のレッドゾーン)に住んでいて、3年前は、
山から土石流が裏の畑と家の周りに流れてき
て、床下浸水になりました。1部屋は床上ま
で水が上がってきて、畳がダメになりました
が、大した被害ではありませんでした。感謝!
 あの災害の後で、裏の畑の1つ上の段に、
(もと田んぼだった所)ユンボで溝を作って
もらい、それによって、3年前に右側の山裾
に新しくできた流れが、その溝を通って、谷
の左側の溝に流れるようにしました。それと、
右側のその新しい流れが、真っ直ぐ私の家の
方に流れるのを止めるため、1メートルくら
いの高さで岩や石を積み、その上にセメント
を流して固め、堤防のようなものを作りまし
た。自分でやってみた堤防もどきですが、そ
の堤防と溝を作ったことで、今回の雨では、
右の山裾の流れは私の家の方に来ないで、左
側の溝のほうへ流れて行きました。感謝!(堤
防って大げさですね。)しかし、まだこれか
ら先も、日本中どこでも大雨になる可能性は
十分あります。できるだけ気をつけて、賢明
に行動しましょう。「イエス様、どうか、私
たちをこれらの災害から守って下さい。よろ
しくお願いします。」

 「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能
者の陰に宿る。
 私は主に申し上げよう。『わが避け所、
わがとりで、私の信頼するわが神。』と。
主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、
あなたを救い出されるからである。」
  (詩篇 91: 1〜3)


「私の心の変遷」続き

「新約聖書」

 それからどのぐらい経った頃でしょう
か、 私 は、 誰 か に、 こ う 尋 ね ら れ た の で
す。"Do you read New Testament?" "New
Testament?"
 聞き慣れない響きの言葉でしたが、すぐわ
かりました。「新約聖書」です。「あなたは新
約聖書を読みますか?」って尋ねられたんで
すね。多分その人は、私が創世記ばかり読ん
でるのを見ていたのかも? 笑。
 それを尋ねられたのは、私が、ちょうど旧
約聖書の2番目の書簡「出エジプト記」を読
み終えた時でした。それはとても良いタイミ
ングだったのです。なぜなら、3番目の書簡
は「レビ記」といって、それはそれは、神の
たくさんの律法や決まり事が、何と! 50 ペ
ージも続くのです! そして、その次は「民
数記」。その中には、人の名前とその数、そ
して、またまた、別の律法と決まり事が、
70 ページ近く続くのですから。全く面白く
ないのです!(もちろんそれらのことは、後
で分かったことですが……)もし、私がそれ
に突入していたら、聖書がつまんなく感じて
いたかも。私は、「出エジプト記」から、新
約聖書に翔んだのです。

「私が聖書を読んだ理由の一つ」

 覚えておられますか?
 私には、聖書の後ろの方を、前の方と同時
に読むという考えがありませんでした。それ
は、一番初めに聖書を読み始めた理由が、「聖
書の中にバカなことが書いてある。それを見
つけて、クリスチャンという人達と論議する
んだ。」という考えだったからです。飛ばし
て読んだら論議に負けると思ったんですね。
昔の負けず嫌いのまんまの森繁! 笑。「聖書
が本当であるはずがない!」と思っていた私
は、聖書の中の、意味の通らないところや、
バカげたところを見つけ出し、彼らを笑って
やろうと考えていたのです。
 もう一つの理由ですが、これは読みはじめ
てだいぶたった頃に考えた理由です。最初か
ら終わりまで聖書を全部読まないで、途中を
飛ばして読んだら、飛ばしたところの情報が
ないので、後の方を読む時、理解できないこ
とが出てくると思ったからです。それで私は
どこも飛ばさないで、最初から最後まで読み
通す考えでした。真面目で真剣でしょ? い
や、確かに、マジ、真剣でした!
 (注釈:Testament 契約、Covenant 契約、
この言葉が使われる時もあります。promise
約束。これらの言葉は聖書によく使われてい
ますが、このことから、新約聖書は、新しい
約束・聖書ということになりますね。)

「マタイの福音書」

 全く何の知識もなく、何の手ほどきも無く、
何の説明も無く、いきなり新約聖書に突入し
た私。英語もよくわからず、日本語がわかる
人が誰一人いないところで、誰に尋ねること
もなく、ただ一人で読み始めました。(旧約
聖書も同じでしたが。)

 はじめてマタイの福音書の1章を読んだ時
のことは、ほとんど何も覚えていませんが、
やはり、「何なん? この名前の数? カタカナ
なのに名前読めんし!」それが印象でした。
しかし、一つ分かったことがありました。そ
れは、「あーー、ここからイエス・キリスト
が出て来るんや!」でした。福音書というの
が何なのか、聖書のメッセージは何なのか?
誰が書いたのか? 何の目的で書いたのか?
等、そのようなことは頭の中を一瞬すらよぎ
らないまま、ナイーブで愚か、威張った態度
の白紙の頭が、新約聖書を読み始めたのです。

「出エジプト記までを読み終えた時の、
私」(チョット話が戻りますが。)

 7月号、8月号で、私の心の変遷の中でも
書きましたが、私が「出エジプト記」を読み
終えた時までに、「もし創世記1章1節が本
当なら、私は罪人である」と認めていました。
もし「本当なら……」ですよ。
 その心は、聖書を読む前の私の心とは、全
くと言っていいくらい変わっていました。そ
の理由は、「もし造り主が本当にいたら……」
人生は私を造られた方が中心? 私は造られ
たもので、造った方の目的に生きる者? そ
のように想像さえしていました。自己中で生
きる人生なんてありえないとも感じていまし
た。もし、創世記1:1が「本当なら」。

「ガッツで生きる人生が崩れた」

 新約聖書を読む前に、私の心はそのように
変えられていたのです。新約聖書を読む心の
準備ができていた? いやいや、聖書の何も
信じていたわけじゃあないんですよ。しかし、
以前の私の、自分中心で生きる、ガッツで生
きる、また、自分がやりたいように、自分だ
けを信じて生きればいいんだ!という考えが
すでに崩れていたと思います。
 もし、造り主の神がいたとしたら、その神
を考えないで自分中心で生きる人生? そん
な神を無視して生きる人生?それは考えられ
ないと思いました。私は「本当なら知りたい」
と思って聖書を読んで、ただ勝手に想像した
だけなのに、私は、それまでの私の考えの人
生は良くないと思ったのです。その人生は罪
や偽り、欲望の多い、問題の多い、また怒り
や妬みや絶望が多い人生になるだろうみたい
な、そんな気がしたのです。
 今振り返って思うのですが、もし、私がイ
エスもイエスの愛も知らなかったら、私はと
んでもない男になっていたと想像できます。
げっ!邪悪で恐ろしい男になっていても不思
議ではないと思います。

「山頂の教え(マタイ5章から7章)」

 1章から4章まで、何も強い印象もなく、
ただおとぎ話の感覚で読み進んだと思いま
す。そして、イエスは、山に登って座り、つ
いてきた人々に語ったとあるのです。
 それが5章からです。イエスが直接人々に
語り、教え始めるのです。私は、ほとんど何
も考えないまま読み進んでいきました。そし
て、38 節に来て、そこから先に書いてある
ことを読んで、私は少し考えたのを覚えてい
ます。その聖書の箇所です。
 「『目には目で、歯には歯で。』と言われ
たのを、あなたがたは聞いています。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。
悪い者に手向かっていけません。あなたの
右の頬を打つような者には、左の頬も向け
なさい。
 あなたを告訴して下着を取ろうとする者
には、上着もやりなさい。あなたに1ミリ
オン(1.5km 物を担がせて歩かせる・当時、
ローマの兵隊はイスラエル人に対して、そ
のようにしても良い権限を持っていた)行
けと強いるような者とは、いっしょに2ミ
リオン行きなさい。
 求める者には与え、借りようとする者は
断らないようにしなさい。
 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』
と言われたことを、あなたがたは聞いてい
ます。

 しかし、わたしはあなたがたに言います。
自分の敵を愛し、迫害する者のために祈り
なさい。
 それでこそ、天におられるあなたがたの
父の子どもになれるのです。天の父は、悪
い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい
人にも正しくない人にも雨を降らせてくだ
さるからです。」(マタイ5:38 〜 45)

「論議はどうなったん?」

 私はこの辺を読んだときに、何かを感じた
んですね。悪いものに手向かってはいけませ
ん。エッ? 私は、小さい頃から、すぐ手向
かうガキ大将でした。
 次に、「右の頬を打つものには左も向けな
さい!!??」「そんなことする奴いねーだろ!
俺なら、殴られる前に殴ってやる!!」
「俺から下着を取ろうとする者には上着もや
れ??!!」「そんなことできるわけねーだ
ろ! バカだよ!」
 「自分の敵を愛して、迫害する者のために
祈れって?!! それもバカだよ !!」
 私は読みながら、そんな風に感じていたの
ですが、同じ心の中に何か、「神がいたとし
たら、神はそういう風に言うのかなぁ?」 「ど
れも俺には到底できないが、でも、まぁ、そ
んな風に生きれたらいいなぁ、」何故か?そ
のような気持ちを感じたのも覚えています。
 それらのことを読んで、私は誰かと論議す
るどころか、自分一人でそれを考えることで、
頭はいっぱいだったと思います。
 イエスが言ったことが、7章まであるので
すが、他のところはほとんど何も覚えていま
せん。全てイエスが言ったことは、誰にも見
えない人の心の中に、そのように生きるよう
に命令したんですね。そのことは、悪い気は
しませんでした。
 創世記から読み始めた私には、造り主がも
しいたら、私は知り尽くされてるんだから、
イエスが言ったことに関して、言い逆らうよ
うな気はしませんでしたし、読んでる内容に
関して、だんだん真剣に考えて行ったんだと
思います.これら私の心に起こったこと、私
の心の変遷は、創世記1章1節が本当なら「創
造主の神を知りたい」という正直な心の願い
から始まったのです。
 イエスが言った、7章7節8節の言葉です。


 「求めなさい。そうすれば与えられます。
 捜しなさい。そうすれば見つかります。
 たたきなさい。そうすれば開かれます。
 だれであれ、求める者は受け、捜す者は
見つけ出し、たたく者には開かれます。」


「創世記から読み始めた私に、最も益と
なったこと」

 それは、創造主の神がおられるというのを
初めに読んだことです! 私が新約聖書から
読みはじめていたら、人間以上の、天地の全
ての創造主なる神がおられるかもしれないと
うことを、深く考えなかったでしょう。そし
て、イエス・キリストが造り主であるという
ことを、長い間知らなかったと思います。し
かし、私は、創世記1章1節、聖書の一番最
初の言葉によって、崩されたのです!!!
 続く。次回は、心の変遷、最終回です。かな?
 今回も、最後まで、ありがとうございまし
た。


のぼる






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2021/8/15

毎日猛暑の中、皆さん元気でしょうか? オリンピック、中盤ですね。今日も、たった一つの望みであるゴスペルを、私の心の変遷を通してお届けします。

心の変遷 

私の心の変遷を細かく書いていますが、読んで下さる方が、飽きないようにと願っています。私の場合、このようなことが心の中で起こり、忠実な神の恵みによって、天地創造の神を知るに至りました。どうか続けて読んで下さいますようよろしくお願い致します。 
「もし?本当なら…?」 このことが、本当かどうかわからないのに、なぜ、俺は、こんなに真剣に、これを考える??

『頭が変になりそう』 

「俺は、洗脳されつつあるのか?」「聖書なんか、読むんじゃあなかった!」頭をよぎる。このことが本当なら、日本のほとんど全員が間違っていることになるじゃあないか? 日本の歴史が記されて以来、仏教、神道を奉じ、偶像や人を祭ってきたことは全て間違っていたのか?? 「間違っていたなんて?」「そんなことがあるはずがない!!」

『天地がひっくり返る!!』 

「聖書が、もし本当なら」というのと、「昔からの日本が、間違ってるはずがない」の2つが、天地をひっくり返してしまうかもしれないほどの大問題であるということが、私の上にのしかかりました。 それと(これは、前にも書きましたが)、もし、それが本当なら、本当のことを知ることは、私個人の全てである「私の心と私の人生全てさえも」、ひっくり返してしまう可能性があるということが、どっしりと私にのしかかったのです。

『仮定の中で、まだ神を知らない私。』

これらのことは、全て「もし、創世記1章1節が本当なら…、」ということに基づいたことでした。7月のレターで、「森繁昇は、どんな悪でもやる可能性を持った罪人であるとわかったのです。」と書きましたが、それは、「もし、本当なら」と仮定した上でのことで、その時は、まだ、自分が罪びとであるとは、本当には認めていなかったのです。なぜなら、それを認める対象、理由(創造主なる神)を、まだ知らなかったからです。 しかし、「本当なら知りたい」という、初めに私の心に起こった願いは無くなりませんでした。(後でわかることですが、神は、神を知りたがる人の心の願いを守ってくださるのです。)

「人生って…? 何…?」 

「もし、人間も含め、全てのものが、神に造られたのなら、全てのものに、それを造った神の目的がある。私をも造った目的がある、私を造った理由がある」単純にそう思いました! それが人生かも。(説明しにくいのですが……その人生の中で、神は人に自由意志を与えているのです。) もしそうなら、俺が、神無しに、ただやりたいからとか、やりたくないからとか、得意だからとか、好きだからとか、嫌いだからとか、必要だからとか、頼まれたからとか、命令されたからとか、みんなもやるからとか…そのような理由だけで人生を進めば、私の人生は、造り主の目的から全くはずれた人生になると思いました。でも、それもまだ、「もし本当なら…」でしたが……。

「どうしたらいいんだ?」 

どうしたらいいって?「私を造った神に尋ねたらいいんだ」と思いました。しかし、まだ神を知らない私には、それは、ただの考えにすぎませんでした。その時私の心に起こったことを、思い出しながら今書いているのですが、何も確信して言えることはなく、ただ、『もし神がいるなら、神が私に教えてくれるだろう』と思っていました。

「その時に考えた別のこと」

*他の神が本当の神かも? 
聖書を読んでいるうちに…もし神がいるとしても、「聖書の神が本当の神じゃあなくて、他の神が本当かもしれん」という思いがある時来ました。しかし、もし、天と地の創り主の神がいれば、その神は何でも知ってるのだから、神を知りたがってる人に、『間違ったものをつかませない』という思いが不思議に私の心にありました。
*造り主の神を知ることは、俺にとって、本当に大事で必要なことなのか? 
何度か頭をよぎりました。で、結論は、もし本当にいるなら、知りたくないというのは『あり得ない』と思いました。
*神は、神自身のことを、どのようにして、私に教えるんだろう? 
話は前後しますが、聖書を読み始めた最初の頃、そんなことを考えました。そして、その時、私は、上を向いて、こう言ったのです。「もし、神が本当にいるのなら、俺に現れよ!そしたら信じてやる!」と。でも、姿は見えなく、声も聞こえませんでした。
*『間違い』と『嘘』、『不注意での失敗』と『わざと』 
少しずつ変わってきた私ですが、その1つに、私は、ちょっとしたことでも、「間違いと嘘」「不注意での失敗とわざと」のことを時々考えるようになりました。それまでは、どれも「ごめん」で済むと思っていましたが、「ごめん」で済むのは、「間違い」と、「不注意で起こしてしまったこと」。しかし、「うそ」と「わざと」は何か、ごめんで済まないんじゃあないかのような気がしました。(今は、このように説明できますが、その時は、何か罪悪感があるだけで、はっきりは説明できませんでした。) 間違いと不注意での失敗は、私の心は悪くなかったのですが、嘘とわざとは、私の心が悪いと思いました。このことも、私は、自分が神に知り尽くされているという想像から来た、気になることでした。
 
いきなり聖書から「神を恐れることは知恵の初め」(箴言9:10)
  
神は、天地の全てを造られたただひとりの神で、全知全能の絶対的な存在。この方を知る時から、知恵、知識、が始まるというのです。『えっー?』 私は、何もわからないまま、ただ、その方を知りたいと思ったのです。その心をご存じの神は、上に私が書いてきたことを、私に考えさせたのだと思います。私が何か努力したからとか、がんばって学んだからとか、そういうことでは一切なく、ただ、『本当なら、知りたい』と願っただけなのです。

『信じることは、決断ではない。』  
 

もし私が、「私は神を信じました」とか、「私は神を信じています」と言うと、私が自分で『決断』して神を信じるようになったと誤解される可能性が大いにあると思います。(確かに、私は天地創造の神を信じているのですが…)このことは、とても大事なことで、『信じるということは、決断でできることではないのです。』そのことは、私の心の変遷からでもわかるかと思いますが。しかし、多くの人は、信じることは決断でできること(決断ですること)だと考えていると思います。 チョット考えてみてみましょう。仮に、あなたが、創世記1章1節を読んで、「私は、これが本当だと信じる決断をします。」って、できるでしょうか? できませんよね。そのように、信じるということは、決断してできることではないのです。これは大事な『真理』です。 私は初め、クリスチャンは、『信じると決断して』クリスチャンになったんだと思っていたので、「そんなん、よう、信じれるなぁ…?」と不思議に思い、私にはイエス・キリストを信じることは不可能だと思いました。多くの人がそのように感じているんじゃあないでしょうか。(続く…)

『雨水を使ったハワイの生活』

 私たちがハワイ島に越して来た時の島の人口は7万とか8万と聞いていました。2015年の人口調査では19万人弱。現在は大体20万人くらいでしょう。コロナで去年の人口調査の結果が出ていないので、はっきりはわかりませんが。

『電気・水道のない所に住む?』 

1986年、ハワイ島に住むと決めた時、電気無し、水道無しの生活はちょっと考えられませんでした。でも、雨が多いということで、雨水を使って生活している人と友達にもなってきて、雨水でも大丈夫と思うようになりました(実際、田舎はどこも雨水で生活)。しかし、電気のない所となると、「いやぁ、そりゃ無理ちゃう?」その頃、電気無しの人は、12ボルトで動く家電と、必需品の冷蔵庫はプロパンガスで動くものを使っていました。私は、そんな冷蔵庫があるなんて知りませんでした。その後、だんだんわかってきたことの一つは、 ここに住んでる人たちは、皆、私よりタフな人だということでした。

『土地購入』
 
私たちは田舎に住みたい願いがあったので、田舎に安い土地を買うことにしました。それで、最低、電気の通った所の土地を探し始めました。農地として開拓されたところを区分した物件に、1エーカーと2エーカーの土地が別々の場所にありました。2エーカーの方は、ほとんど人が住んでいなくて、道路はとても悪く、岩や砂利でできたところでしたが、そこを買うことにしました。(34年後の今でも、道路の悪さは当時とあまり変わりません。ゲっ!) 2エーカー(約2400坪)の土地は、40mx200mの長方形。地面は全て溶岩石ですが、長年の間に(溶岩が流れて何年たってるんでしょう?)溶岩の割れ目や、低くなったところに木や草が生えていて、雑木林のようなところでした。その中で、目立った木は『オヒヤ』という木で、それはハワイ島の木です。とても硬い木で、昔は、サトウキビ列車の枕木に使っていたものです。 気に入った土地が見つかり、売り手が早く売りたいということで、評価の半値の10,000ドル(当時、130万円)で購入しました。 その土地は、電気は来ていなかったのですが、近くの電柱から電力会社が3本の電柱を建ててくれました。電気が来ていないのは、人が住んでいないからですね。で、水道が無いのも同じ理由ですが、地面が溶岩石なので、水道パイプを入れるのは大仕事で、全く採算が合わないからです。ということは、下水道もないということです。セスプールと呼ばれる直径2.4m、深さ3mの浸透式の穴をダイナマイトで掘り、その穴をセメントで蓋をする。家の全ての汚水はこの穴に流れ込み、地下にある溶岩トンネルに流れていくのです。げっ! だから、上下水道代ただ!! セスプールは「絶対開けたくない!!」 銀行から借入して、工務店に頼まないで、ローカルの大工さん二人を雇い、一緒に家の設計をしました。いわゆるオーナー・ビルディング。(オーナーが、自分で建てるということですが…、実際は大工さんがほとんどやる。私は、材木を運んだり、釘を打ったりするくらいでした、笑。) 材木はオレゴン州に大工さんが買い出しに行き、安い材木を大きなコンテナで送ってきました。当時、建築資材泥棒が多く、材木を現場に置いていると、夜中に盗まれてしまうことを聞いていました。それで、私は、家のフレームが出来上がるまで、毎晩、子供たちを代わりばんこに連れて行き、材木の傍でキャンプをしました。楽しかったー!

『雨水』

屋根に降る雨水を樋から集め1本にし、それを37,000リットル入るタンクに貯めます。その水をポンプで、台所、トイレ、洗面所、洗濯場、風呂、外の蛇口、に送るのです。飲み水の為に、台所にだけフィルターを付けた別の蛇口があり、それを飲料水、料理水に使います。フィルターがあるので、水の出はとても悪いのですが、慣れます。雨が十分降るので、水不足はほとんど経験しません。多分、この34年の間に、7、8回水を買ったと思います。タンクローリーで、12,000リットルを100ドルくらいで配達してくれます。 次回は、又、別のことを紹介しますね。 オリンピック、終盤に入りますね。

『力と技と速さを競う世界大会』

日本が出るのを見たい! 勝ってほしいよー! 夕飯を食べながら、録画してもらっていた日本と南アフリカのサッカーの試合。しばらく見みていたら、聖書の箇所を思い出していました。 

競争は足の速い人のものではなく 
戦いは勇士のものではなく 
パンは知恵ある人のものではなく 
富は悟りのある人のものではなく        
(伝道者の書9:11)

『ネット配信ライブ』

神様のみ旨なら、この夏も帰国します。教会でのコンサートが一つあります。8月29日宝塚栄光教会です。その日曜の午後にネット配信となります。どうか、早めに、ネットで宝塚栄光教会を調べてみてください。よろしくお願いします。


ライブ配信情報:https://www.takara-eikou.com/schedule/?monthly=202108



宝塚栄光教会:https://www.takara-eikou.com/



「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして
滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
(ヨハネの福音書3:16) 


最後まで、ありがとうございました。

のぼる



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