業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その305 思い出あれこれ編

2011/2/13 | 投稿者: hal

私の生家は東京は本郷の東南にあった。 すぐ下を流れる神田川を越えれば、向かいは千代田区神田駿河台。 家の前の電車通り(本郷通り)を越えてぶらぶらと歩けば、数分で神田明神と湯島天神に至る。

秋葉原はその電車通りを東南に下って徒歩15分程で、小中学生の頃から秋葉原に通っていた。 子供の頃から本を読むのが好きだったが、当時(1950年代始め)は本郷の図書館は戦争で焼けてしまい、未だ再建されていない時代だった。

で、お茶の水の橋を越えて遙々(といっても徒歩20分程度だが)神田の図書館に通った。 シートンの動物記とかファーブルの昆虫記とか、生物系のものが好きだったと記憶している。 青い表紙のシートン動物記は中でもお気に入りで、その表紙のなめらかな手触りは今でも記憶に残っている。

それらの本のせいかガキの頃から動物が大好きで、犬は勿論、猫鶏ハツカネズミ兎と様々な動物を飼った。 一番飼いたかったのは馬で、馬に乗って小学校へ行くのが夢だった。 無論東京の下町で馬を飼おうというのは、夢というより単なるアホであり、これは実現しなかった。

神田の図書館は、現在のywcaの隣あたりにあった。 やさしい司書のおねえさんがいて、通常1回につき2冊までという決まりの貸し出しを、「いいわよ」と3冊でも4冊でも快く貸し出してくれた。 ちょっと惚れていたのかな?(笑)

その本を抱えて坂を登ってゆくと、カランコロンとあかね空にニコライ堂の鐘が鳴り響く。 甘酸っぱい思い出である。

家業は茶道具花道具の専門店であり、約100年程続いていた。 父はいわゆる江戸っ子的性格の持ち主で、ダジャレや掛詞が好きだった。

前に書いた
恐れ入谷の鬼子母神(「恐れ入りました」+「入谷の鬼子母神」)

も父に教わったものだ。

小学校の近くには文化アパートという建物があって、戦前は当時としては珍しい洋風のアパートだったそうだが、私が小学校に通っている頃は、米軍に接収されて軍人家族の宿舎になっていた。

当時としては珍しい鉄筋コンクリート建てのアパート(今で言えば賃貸マンション)であり、夏には青々とした水をたたえた涼しげなプールに、ヤンキーどもがたたずんでいた。 

その頃は小学校のプールも未だ再開されていなかったので、真夏の汗にまみれた当時小学生の私たちは、「あのプールには氷山みたいにでっかい氷が入っているんだよ」などと羨ましがったものだ。 

そのプールの横には小さな小屋があり、そこではニンゲンの解剖が行われていて、室内に置かれた台には死体が横たわっている、という噂が悪ガキ共の間で囁かれていた。 

アメ公の目を盗んで時々このプールに忍び込んだが、この噂の話しが出ると悪ガキ共は蜘蛛の子を散らすように我先に逃げ戻ったものだ。

尚、この文化アパートは、イノセントグレイさんのゲーム、「PP ピアニッシモ」にも登場する。


歳を取ると子供にかえると言うが、この所少年時代の思い出が次々と脳裏に浮かんでは消える。 そろそろお迎えが近づいたということなのだろうか。(笑)

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