業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その182 パラダイムシフトな子たち続き編

2010/5/29 | 投稿者: Hal

量子論(量子力学)の方も、正にsense of wonder、驚愕以外の何ものでもなかった。 「観察することによって結果が変る」ということは、量子論の理論としてはなんとなく理解できるにしても、どのようにしても実感がわかない。

あの有名な「シュレジンガーの猫」である。 
猫を閉じこめた箱の中に青酸カリがあり、一定時間後に放出される確率は50%。 実験開始から30分後にその決定的瞬間が訪れる。 そして更にその30分後に箱を開ける。 その時猫を観察すれば、その猫は死んでいるか、生きているかのどちらかで、その確率は50%ずつである。

(注 本物のシュレジンガーの猫では、30分後という特定の時間ではなく、ある時間が経過すると、電子や中性子を放出する放射性原子が置かれている、という設定である。 ここではわかりやすくするために、このように書いた。)

では、実験開始後、決定的瞬間の30分後から、観察する1時間後迄の猫の状態は? というのがこの「シュレジンガーの猫」のミソである。

この間の猫の状態は、「死んでいる猫が50%、生きている猫が50%」・・・ つまり、箱を開けて観察するまでは「不確定」で、生きているのでもあり、死んでいるのでもあり、という状態なのだそうだ。

そんなことを言われても、ワタシのような凡人には理解できっこない。 日常生活の常識では、決定的瞬間が訪れた後の猫の状態は、死んでいるか生きているかのどちらかである。 どうやってみても、「死んでいるか生きているか、その両方」などというブキミな状態は、思い浮かべることができない。

もっともこの話しを書いた頃のシュレジンガーは、量子論には懐疑的であったそうで、それでこのようなケッタイなことを考えついたのだろう。

電子は粒子であり且つ又波でもある。 両方の性質を合わせ持つという。
電子は位置がわかると運動量がわからない。 運動量がわかると位置がわからない。 ハイゼンベルクの不確定原理である。

何故両方が同時にわからないのか。 
電子を観察するということは、その電子に光子が当り、跳ね返って観察者の目に到達するということだ。 ところが、電子に光子が当たることによってそのコースが変る。 これが「観察することによって、自然の法則に影響を与え、その結果が不確定になる」ということらしい。 

そう言われれば、「確かにそうだな・・・」と納得はできる。 納得はできても理解はできそうにもないが・・・

これらの量子力学の考え方を「コペンハーゲン解釈」という。 開祖ニールス・ボーアの出身地の名前を取ったものだそうだが、当時(1920年代)は、ボーアが所長を勤めていたコペンハーゲン大学の理論物理学研究所が、理論物理学のメッカとなっていた。 ディラック、パウリ、仁科芳雄ら、錚々たるメンバーが揃っていたそうである。

量子力学の最も不可思議な点は、理論物理学上の認識と、日常生活上の理解が、まるで一致しない所だろう。 理論的に説明されれば完全に理解はできなくとも、なんとなく「そんなものか・・・」と、とりあえずは納得できる。 

しかし、日常生活上の感覚からは、死んでいるのと生きているのと半々の状態だとか、観察することによって結果が変るということは、いくら頑張ってみても実感として把握することが出来ないのだ。

このように量子力学の世界は、常識人にとっては百鬼夜行奇々怪々、キムジョンイル氏の考えていることより、もっとわからないことばかりである。

遺伝子、光子、電子、いずれも奇怪奇天烈なものばかり。 なんでこの世界にはそんなものがあるんでしょうかねえ・・・

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2010/5/29  14:50

投稿者:Hal

CRSさんおひさしぶりー。 その「昔のSF」ってなんでしたっけ? 記憶にはないのですが?

2010/5/29  12:53

投稿者:CRS

昔のSFで、タイムマシンで偉人を観察していたら最後にはみんな発狂したってのがありましたね。

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