衆院本会議でA案が可決
現在、国会で臓器移植法改正について審議されています。
6月18日に衆院本会議で可決されたA案の要点
〈A案の要点〉
- 「脳死は人の死」という前提に立つ。ただし、本人・家族は脳死判定や臓器提供を拒める
- 提供者に年齢制限なし。本人意思が不明の場合、家族が提供を決められる
- 親族に優先して提供できる
- 政府や自治体は移植医療の啓発、知識普及に必要な施策をとる
- 虐待を受けた子が、親の判断で臓器提供をさせられないようにする
〈脳死〉 脳幹を含むすべての脳の機能が完全に止まり、回復することがない状態。自発呼吸をつかさどる脳幹の機能が失われているので、人工呼吸器を使わないと呼吸できず、心停止に至る。
asahi.com(朝日新聞)「臓器移植法改正、舞台は参院に 「脳死とは」さらに議論」2009年6月19日 より引用
衆議院で可決されたことを受けて、これから審議が参議院でされます。
今回の臓器移植法案、一義的にはまずご本人の意思が重んじられ、ご本人の意思が不明な場合、ご家族にその意思が委ねられるということです。
また提供者の年齢の制限はないということなので、幼くして亡くなった方も対象になるという案です。
私が言うことには何の威厳も権限もありませんが、ちょっと脳死について考えてみます。
臓器移植を待っている側としては
臓器移植を待っている側としては、是非とも法案が早急に成立し、すぐにでも国内で臓器移植ができるようになることを願っていることでしょう。
日本国内の現状では、限られた人で限られた臓器が移植できるだけなので、海外で移植を受けなければなりません。
でもそうするためには莫大な費用がかかるので、実際に海外で移植を受けることができる方はひとにぎりです。
海外に行くのに、患者さんの体力がもたないということも考えられます。
できれば、日本国内で臓器が移植することができるのがベストだと思います。
提供する側の家族は脳死を受け入れることができるか
もし身内が「脳死」と言われた場合に、それを受容することができるでしょうか。
そのときになってみないとわからない、というのが大半のご意見ではないかと思います。
でもひょっとして、今朝まで元気だった人が不慮の事故に遭ってしまって、病院に担ぎ込まれ、「脳死」の判定を受けるかもわかりません。
もしそうなったときに、「どうぞうちの人の臓器を他の人のために役立てて下さい」とはなかなか思えないのかもわかりません。
また長い期間脳死状態であったとして、ご家族としてはその方が生きていてほしいと思う限り、「脳死が人の死」だとは思えないことでしょう。
医療機械につながれていて生命維持をしている。その機械をはずせば死んでしまう。
不意に言い渡された脳死判定に、にわかには了承しがたいという状況が想像されます。
人それぞれ死に対する考え方が違う
「脳死は人の死である」と考えるのは、ご家族にとってとても辛いことなんだと思います。
でもなかには、「脳死は人の死である」ので、その人の臓器がそれを必要とされている他の人で生き続けられることができるのならば、それはそれで満足である、という方もおられるかもわかりません。
衆院本会議でも、自民党、民主党、それぞれ党の中でも意見がわかれたということですが、臓器を提供する側のご家族にもそれぞれの意見があると思うんですよ。
それを一律に国会で決めてしまうのはどうなんだろう、と思う今日この頃であります。
ただ、一律に決めておいた方が、主治医なり、臓器移植コーディネータなりが、ご家族に対して、臓器移植のお願いをするときに、お願いしやすくなるということは考えられます。
この件、参議院での審議に注目したいと思います。