また父のことを思い出して書きます。
父は1か月前に下痢を主訴として自ら入院すると言い出したそうです。
何十回も入院したものの入院が大嫌いな父がです。
結局敗血症となり、TPN、カコージン(塩酸ドパミン)、エフオーワイ2000mg/日を投与しながら一時は持ち直しましたが、再度敗血症、DICとなり、帰らぬ人となりました。
5月12日の夜から呼吸がとても苦しそうで、また180/分ほどの頻脈であり、どうなるかと思いました。
ずっと走っているような状態・・・
母は12日の夜から病院に泊まっていましたので、聞いてみたところ、一晩中眠らずにそんな辛そうな呼吸をしていたそうです。
苦しいながらも安定していたので、二手に分かれて昼の食事をしようということになり、食事を終えて帰ってきたら、頻脈がだんだんと解消されていき、普通の脈拍になったかと思ったら、顔さわってもどこをさわっても反応しなくなっているのを妻が発見しました。
このとき昏睡になっていたのだと思います。
次第に脈拍が60,50,40,30・・・と少なくなっていき、最期はモニターがフラットな波形になっていくのが見えました。
まさにドラマのようでした。
長期戦になるかと思っていましたが、普通に朝ご飯も昼ご飯も食べることができました。
母も病院に泊まるのが1日で終わりました。
初めから本人と母の強い希望により、延命治療は行わないということを決めており、主治医にもそのことを伝えていました。
もう少し持つかと思い、油断していたところに突然そのときがやってきたような、不意をつかれたような感じがしました。
心臓は止まっても、息をしようとしているのは不思議な感じでした。
自分で最期のその瞬間どうなるか、事前に想像できませんでしたけど、実際には涙でしゃべることができなくなりました。
しゃべらなければなんとかなったかと思いますが、しゃべろうとしてもうまくしゃべることができなくなるのは初めての体験でした。
また涙より、鼻水がだらだらとでてきて止まりませんでした。
最期が苦しまなかったので、3日後の葬儀の時まできれいな顔でした。
本当に寝ているだけみたいな顔でした。
臨終を告げられてから葬儀までの時間、ずっとタッチの名台詞が頭を何度もよぎりました。
「キレイな顔・・・してるだろ?うそみたいだろ?死んでるんだぜ・・・それで・・・」
最期はまったく苦しまずに眠るように逝ったのが、何よりだったというような気がします。
「父のこと3」に続きます。
【関連ページ】
2008/5/21「父のこと」
http://hello.ap.teacup.com/d-inf/1467.html
2008/5/13「実父亡くなりました」
http://hello.ap.teacup.com/d-inf/1463.html