現実逃避であることは頭では分かっているのだけど、気がつくと「君の心に刻んだ名前(刻在你心底的名字)」についての批評やツイートを検索しているアタシ。
さすがに頭からラストまで噛り付いてまで観ることは毎日ではなくなったけれど、ボビー・チェンの「擁擠的樂園(The crowded paradise)って良い曲だなって改めて思ったりとか。
この曲、恋をしたてのアハンがバーディーからの電話を心待ちにしているシーンのバックに流れ、さらにはアハンがバーディーの心の変節を意識し始めるシーンで、バーディーがイヤホンの片一方をバンバンの片耳に突っ込んで聴かせる曲でもあるんだけれど、その歌詞はこんな感じなの。
ひとつの人生はいくたび春に巡り合えるのか
移り気な者たちは理解しようとはしない
一生の愛はただ一度だけなのに
沸騰する都市 盲目的な感情
say goodbye to the crowded paradise
ひとつの愛はどれだけの試練を耐えられるのか
自分の答を探し出した者には
もう愛情なんて必要ない
流行の都市 不安な感情
say goodbye to the crowded paradise
この曲もこの映画の伏線と云っても差し支えないくらいのハマりようだわよね。
実際、監督もこの映画のタイトルを「擁擠的樂園」にしようと考えたこともあったみたいだし。
ただアタシがネイティブじゃなくて残念なのはBGMにまでは字幕はつかないってことなのよね。
マンダリンが分かる台湾の観客はこの曲が流れるシーンでもっと何かを感じ取れるのだろうと思うとなんだか悔しいわ。
ところで映画を観た当初から気になっているのは「刻在你心底的名字」というタイトル。
同じくゲイ映画の「君の名前で僕を呼んで」のパクリか?とも思ったけれど、そんなことはある意味どうでもよくてさ。
一体誰が君の心に名前を刻んだのか?、って話。
一旦ちょっと話が逸れるけれども、30年後に再会したアハンとバーディーは一体何の仕事をしているのだろう?
ヒントの一つはカナダでの彼らの服装。
50歳近いはずなのに靴下は二人ともくるぶし丈。
ゲイだからとも取れるけれど、割と自由な職業なようにも取れる。
特にアハンの場合は自作(先輩が作ったと電話口では言うけれども)の曲をバーディーに聴かせていることから考えて芸術系の学校に行ったように考えられる。
一方バーディーはどうだろうか?
カナダのLGBTQバーで彼はパソコンを開いている。
おそらくは仕事関連でメールを見ている???
バーディーのお父さんはおそらく海運業をやっていて(気球の件でオヤジさんが学校に乗り込んでくるシーンからそのようにうかがえる)、バーディーはそこの長男であることから察すると、家の仕事を継いで貿易関連の仕事をしていると捉えるのが一つの可能性。
だからカナダにも足繁く通って、神父様に何度も会えていたと考えられる。
もう一つの可能性は高校時代の夢を叶えて映画監督になっているという線。
伏線回収という意味では、高校の共学化の直前に映画館に忍び込んだ二人が「一緒に映画の勉強をしよう」「お前(バーディー)が映画を作ったら俺(アハン)が主題歌を作る」と話しているシーンがあって、非常にうがった見方だとは思うけれど、アハンが「刻在你心底的名字(僕の心に刻まれた名前)」と歌ったことに対して、「その名前を刻んだのは俺だぜ」とバーディーが自分たちの高校時代の想い出を元にして映画をものした、という。
ってほんと考えすぎだだわよね>アタシ。
ところでこの映画には台北電影節版(以下北影版)という別バージョン(パイロット版)が存在しているらしい。
そのシーンの一部は正式版(ネットフリックスで観られるバージョン)ではエンドロールで観ることができるのだけれど、離れ島への道中でバーディーはアハンが自分から離れるのを食い止めようと必死なよう。
台中への帰り道でも自分からアハンに顔を寄せているし。
また北影版には「特別な場所で特別な人とセックスしまくりたい」というバーディーのセリフもあるらしい。
要は北影版の方がバーディーの心の動き/揺れ、もっとはっきり言うと、バーディーのアハンへの好意/恋心がよく分かるようなのよね。
台湾の方のレビューを読んだら、二つのバージョンを両方見て、やっとこの作品は理解できるのだとのこと。
正式版と北影版の両方を収めたDVDなりブルーレイが早く発売されないかな。
あるいはネットフリックスで配信してくれてもいいけれど。

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