強化月間なので(何の?)ネットフリックスで「トランスジェンダーとハリウッド〜過去、現在、そして」を観る。
いや、観たのはこの連休中なのだけど、年末だか年始の番組で星野源が薦めていたので。
ちょっと話は逸れるけど、「おげんさんといっしょ」に端的に顕れているように思うけれど、星野源のジェンダーレスな価値観の在り方というのは、すべてのクイアな人々にとって福音であるように思える。
アタシ個人としては、どうしてそんなに擁護、というか、同じ側に立って応援してくれるの?って思ってしまうところもあるけれど(野次馬根性)。
閑話休題。
映画の話に戻るけれど、こうして観ると、本当にトランスジェンダーの方は映画の中だけでもひどい扱いを受けてきたことが分かる(大好きな「羊たちの沈黙」の中でも。ジョディ!)。
アタシは性自認としては生物学上の性と一致しているので、トイレや着替えの問題などは正直シンパシーにまではいたらないところはあるけれども、同じ性的マイノリティとして、嘲り笑われてきたことに対しての怒りにはとても共感できました。
映画を見ながら、昨年に畏友と取り交わしたメールなど思い出したのだけれど、それは「ボーイズ・ドント・クライ」のヒラリー・スワンクの一件で。
この映画では、トラウマに残るくらいの素晴らしい演技を彼女は見せているのだけれども、彼女がこれで獲得したアカデミー主演女優賞のときの衣装は、明らかに「クイアでない」女性を思わせるドレス姿で、確かにこれはトランスの方からするとがっかりしただろうな、という。
その点、「君の心に刻んだ名前(刻在你心底的名字)」の主演二人はこの点では及第点をあげてもいいのではないかと思う(またこの映画の話でごめんなさい)。
だって「映画」という虚構の外でも、チュッチュチュッチュやってるわけだから(巷では驊森CPあるいは森驊CPというらしい。COはカップルの略???)。
特にアハン役の陳昊森のデレデレぶりがすごいのだけれど、バーディー役の曾敬驊だって嫌な顔一つせず。
あるインタビューで、陳昊森が「この関係は映画の宣伝があるから続いているのは理解しているけれど、僕はアハンという役を忘れたくないし、クルーとの関係を維持したい」と言っていて、みんな虚構の入れ子構造であることは理解しながらも、(映画では報われない青少年時代を送っていた)二人が幸せにイチャイチャしているところを目を細めて見てるのよね(そして本当にそういう関係じゃないかと妄想している)。
そしてこんな見目麗しい二人が、人前で愛情表現(のふりを)していること、これこそがLGBTQな若者、特にゲイの少年たちを勇気づけるようにも思うのよね。
話を元に戻して、トランスジェンダーの方々の話だけれども、これもまた畏友が話していたことではあるけれど、彼ら彼女たちは性をクロスしていく中で生物的な変化を否応なく受けている。
コロナ対策で一躍名を挙げた台湾のIT担当大臣のオードリー・タンはトランスジェンダーで、彼女のニューズウィークでのインタビューを先日読んだのだけれど、「私は2回思春期を経験しました」という一節があって、これはトランス以外のセクシャル・マイノリティには経験できない一面だな、とも。
ハル・ベリーがトランスジェンダーを演じることに対してアメリカでバッシングが起きたという話は畏友の受け売りだけれども、肉体的、特に女性から男性に変わるときの不可逆的な変化というのは、特殊メイクに頼るにせよなかなか表しきれないものだろうし、だからこそトランスジェンダー本人たちの共感も得にくいのだろうな、とも思いました。
ちなみに。
我が敬愛するバーブラ女王の「愛のイエントル」もこの映画の中で紹介されていて、イエントルはゲイか否かの「踏み絵」にもなるほどのゲイ男性にとってのイコンであると同時に、トランスジェンダーからもシンパシーを得ていることに驚き、また納得もしたのでした。
なぜバーブラ・ストライサンドがアメリカで大変な人気を博しているのか、それは彼女の知性と、それがもたらすダイバーシティ性によるものなのだと、改めて感じ入りました。

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