五山の送り火は昨夜終わっちゃったけど、遅ればせながら祖父母やご先祖様のお墓参り。
思えば、というか、月並みな話だけれども、今アタシがこうしてあるのも、彼ら彼女達のお陰であって、なかんずく、アタシの先天性の病気(大したことなかったけど)を見つけてくれた祖母や、母親が入院しているときに引き取ってしばらくの間アタシら姉妹の面倒を見てくれた大伯父の家には、改めてその慈愛を感じ、なんだか泣きそうになってしまいました。
なんの恩返しもできなかったけれど、アタシが死ぬときに、もし幾ばくかでも遺産があるのなら、アタシの遠い従兄弟やその子どもたちにも分与するのがいいように思いました。
そんな家族行事の他は日がな司馬遼太郎の「街道を行く〜オランダ紀行」を読んで過ごす。
先日の欧州旅行の復習というか。
オランダ人の寛容さやらぶっきらぼうさやら、はたまたゴッホのストイックさや頭脳の明晰さやらを、司馬遼があの特徴的な独特の文体で書き綴っているのを読み、アタシがぼんやりと感じていたことはこういうことだったのだなあと、改めて追体験させてもらった感じ。
読んでから行くか、行ってから読むか、というのはあるけれど、自分の場合は感性を研ぎ澄ますために、後から読んで正解だったと思う。
でも悔やまれるのは、オランダがオランダである所以の堤防や風車を見に行かなかったこと。
これらを見れば、さらにオランダが自分中で像を結んだだろうに。
これはまた次回の宿題にしようと思ったのでした。

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