例のアルジェリアの事件、朝日新聞やテレビ朝日での実名報道が波紋を呼んでいる。
遺族の気持ちを考えたことがあるのか、という意見も理解はできる。
自分が彼らの立場であればそっとしておいて欲しいと思うだろう(あくまでも「遺族」や「会社」としての立場だが=もし自分が被害者であるなら実名報道して欲しいと思う)。
でもこの事件を風化させずに人々の記憶に刻むには実名報道は必要悪だといえなくないか。
卑しくも「筆」で生きているものとして、実名に頼るのは卑怯だというものもいる。
しかしどうだろう。
今回の事件、事の重大さに比べ、人の口の端にあがることが少なかったように感じる。
例えばペルー大使館の人質事件、あるいはイラクでの日本人旅行者殺害事件。特に前者などは夜を徹して報道各社は中継をしていたのではないか。
もちろん今回の事件の状況があまりにも急速に進展を見せたため(残念な方にではあるが)、報道が追いつかなかったというのもあるだろう。
でも人は自分と無関係なものには興味を持たない。
人間はそういうふうに生まれついている。
今回の実名報道論議で自分が思い出したのは、ジョディ・フォスターがアカデミー賞主演女優賞を獲得した「羊たちの沈黙」である。
猟奇犯に娘を人質に取られた両親は、犯人との会話の中で娘の名前を連呼する。
彼女が「モノ」ではなく、名前を持った一人の「人間」であることを理解させるために。
フォスター演じるところのクラリス曰く、それは「賢い方法」なのである。

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