ティーンエイジャーの頃、ロックミュージックに目覚めたボクは只々激しい音を求めていた気がする。
ハイスクールの教室じゃぁクラスメート同士でレコードの貸し借りやダビングしたお気に入りミュージッシャンのカセットテープの交換がされてた時代さ。
パンクロックのレコードをカセットにダビングして音楽好きのクラスメートに配っていたボクはある日、愕然とする。ガクゼンしたんだ。
「あいつ、クラッシュ最高!って言ってたくせにクラスの女のコから借りた最近名前をよく聞くあのニッポン人の野郎のレコードも最高!って言ってやがる」。
20代の頃、ロックミュージックの深い森の中に足を踏み入れたボク。「ロックをもっと知りたい」という欲求がナビゲーター。
職場には音楽好きがあふれてて。大学生のアルバイト達もいて。その中のある青年は前述したボクのハイスクール時代の思い出の片隅にいる『あのニッポン人の野郎』を好きだった。
彼にキンクスのダビング・カセットを渡しながら「彼(あのニッポン人の野郎の事)ってスプリングスティーンとか好きだら」「いやいやジュンさん、それもあるにはあるけど、むしろコステロに近いですよ、フィーリングは」「そうなんだぁ」。
40代になってから感じた事があった。
20代の頃からあんまりテレビを見てないのだが、そんなボクでさえ彼(あのニッポン人の野郎の事)がテレビの画面に映ることが多くなったなあと思ったんだ。
ある日、彼が司会を務めるテレビ番組を見た。偶然見たんだ。いつからかラジオのディスク・ジョッキーとしての彼もなんとなく知っていた。『語る』という表現を好きでないとミュージッシャンであってもディスク・ジョッキーは難しいと思う。難なくそれをこなしてる彼を知っていたんだ、ボクは。独特の口調とペースで語る彼を。
彼が司会を務める番組。ゲスト・ミュージシャンとの対談形式のその番組はとても面白く。独特の口調とペースは相変わらずで。そして感心したのがその司会ぶり。彼は相手の話をよく聞き「うん」「なるほど」「そうだね」なんて受け答えをしながら相手から話を引き出していた。彼自身、ミュージッシャンとして実績のある人なのにそれを前面に出さずに相手の話を聞く。んでポイントで自分の主張もちょっぴり挟みこむ。「この人いいね」。
結果的にボクはその日以降、毎週継続して番組を見る事になったんだ。昔と変わらず“テレビ”という存在に距離を置いている自分が。これはスゴイ事。まるでピーマン嫌いな子供がいつの間にかピーマン食べてるようなものさ。
ボクがテレビっ子。ボクはテレビっ子。ボクのアナログ放送テレビ。チャンスは指針が揺れる時にやってくるんだ。
2011年初夏のある日、実弟が遊びに来た。最近、彼の事が気になってると言うと「俺も実は好きなんだよ、兄貴。CD貸してあげようか」だって。40年間、近くにいて音楽の話もいっぱいする実弟からそんな事を聞いてビツクリ。とりあえずお薦めのアルバムを教えてもらい数日後に中古レコードで購入。
レコードはベストに近い編集盤らしく。カラオケでも唄われるような定番ナンバーからうなずく様なスローな曲までいっぱい詰まってた。「いいなあ」。
ハイスクールの教室での出来事から28年。クラッシュと両天秤で聞いてたクラスメートにボクはやっと追いついたのか。
いや、良質なポップ・ミュージックは“固執”とか“意固地”とか“こだわり”とか、そんな人間の性を軽く飛び越えてしまうって事かもしれない。もしくはノック無しでするりと入ってきてしまうんだ。
1983年発表、佐野元春のアルバム“No Damage”。彼自身がセレクトした全14曲がまるでDJがプレイしてるように間髪居れずに流れるんだ。「パーティー感覚で聞けるように」と彼が意図的にそうしたらしい。今やスタンダードって呼べるような彼のアップテンポの代表曲もいいけど個人的にはB面6曲目収録の『情けない週末』って曲がグッときた。大人の曲。ハイスクール時代の俺だったら「ノレないなあ」で済ましちゃったかもしれない、もしかしてね。そんな意味でも、いいタイミングの出会いさ

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