ある日のことです。
娘のカルメンが「外へ出てちょうだい!」とややヒステリックに父親に向かって怒鳴りました。
確か夕食後のことだったと思います。
ラウリアーノ(父親)が食後にテーブルに向かったまま革靴を脱いだ直後でした。
僕は彼の靴を脱ぐ行為に何とも思わなかったのですが、むしろカルメンの金切り声にびっくりしました。
彼女曰く「人前で、しかも食事の直後にいきなり靴を脱ぐなんて信じられない。自分の部屋で履き替えてくるべきよ」とのことです。
その通りではあるのですが、何もそんなに怒鳴らなくても・・・と僕に限らず日本人なら思うのではないでしょうか。
***
もちろんスペインに限らず欧米では室内でも靴を履いたままの生活が一般的であるのは周知のことですし、僕ももちろん知っています。
とは言え彼らは普段、家の中ではスリッパのようなものを履いていたように記憶しています。
玄関に靴箱はなかったと思うので、各自、自分の部屋で靴を管理していたのでしょうか。
ひょっとしたら僕の知らない納戸のような部屋があったのかもしれませんが。
僕ももちろん外から帰るとすぐに、自分の部屋でいつものスポーツサンダルに履き替えていました。
夏なら自分の部屋でくらい裸足でいたい所ですが、床が大理石張りだったので僕が滞在した3月ではさすがに冷たくて。。
(大理石は南欧では安価な素材であり、一般的です。フローリングのほうが高価なのではないでしょうか。)
ちなみに僕は旅行に行く際、国内外を問わずスポーツサンダルを持参して、すぐに靴を脱いでしまいます。
旅行先のホテルなどでは、玄関のすぐ脇にクローゼットがある場合がほとんどなので、そこで靴を履き替えるのですが、スペインでのホームスティ中は自分の部屋でベッドに腰掛けて履き替え、靴はそのままベッドの下へ押し込んでおきました。
***
その日のラウリアーノは外から帰ると靴を履き替える前に食事を摂ったのだと思います。
でもさすがに一日革靴を履き続けていたわけですから、お腹も落ち着いて、一息つきたいときにまず最初にしたのが、締め付けられた足を開放してあげることだったのでしょう。
僕は彼の気持ちが良く分かるし、カルメンがどうしてあんなに血相を変えて起こったのか、そちらの方がいまだに疑問です。
「ヨーロッパでは靴を脱ぐと言う行為は、夜を共にするサイン」と言うのを以前何かの本で読んだのか、或いは人づてに聞いたかした覚えがあります(本当かどうかは分りませんが)。
また先月カナダに行った際、友人から聞いたのですが、テレビを購入した時に、運んできた電気工事技師(白人)に靴を脱いで上がってくれと頼んだのに「脱げない」と断られたそうです。
いくら編み上げの安全靴を履いていたといっても、靴を履いたり脱いだりに要する時間なんて高が知れているのだから、彼の「脱げない」は慣習として残る精神的な問題だったのではないでしょうか。
同じ靴を履き、同じ服を着て、大局的には同じような生活をしているように見えて、生活のプリミティブな部分ですらなかなか分らないものですね。
***
蛇足ですが、最近のマンションは玄関に「上り框(アガリガマチ)」が無い計画が増えてきています。
色々理由があるのだと思いますが、僕の個人的な感想としてはあまり気持ち良くありません。
床素材の仕上を変えるのみならず、あの框の段差が家の中の生活の意識に寄与していると思います。
我が家(賃貸マンション)の玄関もわずかに2cmほどの段差があるだけですが、靴のまま框を、或いはフローリング床を踏んでしまう玄関では、文字通り「人の家に土足で立ち入る」習慣が生まれてしまうのではないでしょうか。
行為は精神に働きかけます。
人の家に招かれてもなお、玄関で靴をそろえる礼儀を忘れたくないものです。
もちろんもう一方でバリアフリーも考慮しなければいけません。
僕らはまだまだ熟考しなければならないことがたくさんあります。

0