先日、ドン・ジョヴァンニ「Io Don Giovanni」 という題名の映画を観て来ました。さまざまな恋愛をかさねるダ・ポンテが、ヴェネツィアから追われウィーンにやって来る。そして、オペラ台本作家になり、また彼と同じくヴェネツィアから追われたカサノーヴァとの交友関係に影響を受ける。モーツァルトと協力し合い、傑作「ドン・ジョヴァンニ」をつくりあげたのだった。
・・・という筋である。大まかに言って筋は間違っていないと思う。時系列的な矛盾点、人間関係の簡略化等はあるが、そこは歴史を二時間にまとめてみせるわけなので、当然の事だろう。有名な映画「アマデウス」で完璧に存在を無視されたダ・ポンテをこの映画では主役にしたててくれた。このことは、「アマデウス」においてオペラ「フィガロの結婚」の成果をモーツァルト一人に帰し、またモーツァルトがドイツ語のオペラが書きたくてしょうがなかった印象を与えることに不満を感じていた私には、実にうれしいことではあった。
私の興味ある題材の映画であったし、映像そのものに愉しみもある程度見出せたので、観たのは決して無駄ではなかった。だが、ダ・ポンテ像の描き方については・・・。ダ・ポンテの享楽的な面・良からぬ面の表現を、この映画ではかなり弱めている。彼がなぜヴェネツィアから追い出されたのか。この映画ではその理由として、彼の思想的立場と貴族の令嬢との「恋愛」のみしか描かれていないが、本当は、彼は僧籍にありながら、教会内で女性とあるまじき行為に及んだゆえヴェネツィアから追放された記録がある。そのようなダ・ポンテの真の不品行、あるいは好んで敵を作る性格に関してはこの映画は無視を決め込んでいる。
もう一つ。この映画ではダ・ポンテは享楽的な人生を反省したゆえに、結婚するように描かれている。彼が結婚したのは事実であるが、その後の彼の人生を見ても、私には彼の結婚にそのような意味があるとは信じられない。それにこの映画の語り口も、私にそのことを納得させてはくれなかった。また、彼が本当に「ドン・ジョヴァンニ」を書き上げた後に享楽的人生を「反省」したのなら、直後に書いた「コシ・ファン・トゥッテ」の哲学は一体どういうことになるのであろうか?
要するに私は、ダ・ポンテのほのぼのとした結婚のシーン(それも別嬪と)で、つまり、恐らく、映画監督が必ずや観客が感動すると踏んだシーンで、しらけてしまったのである。監督が悪いのではないかもしれない。私がカワイソウな人間なのであろう。反省した人間の幸せな結婚を喜べないのだから。
私はむしろダ・ポンテという人間は、最初から最後まで享楽的であり続けた男だと思う。彼の人生観は一度として変わらない。彼は後に書いた自伝で、自分のあやまちを「金曜日に肉を食べた」と例えるような男である。「知らないこと」を「知ろう」とする啓蒙主義の申し子の冒険はとどまることを知らないはず。彼の辞書には「反省」はないはず。
反省して人並みの幸せをつかんだダ・ポンテより、どこまでも享楽と成功を追い求めるインチキ男・ダ・ポンテの映画が観たかった。わがままな意見であることは認めておく。
後にダ・ポンテは新大陸に渡り、そこでもちょっとした成功と大きな失敗を何度か繰り返し、死んだ。
しつこいが、やはり「人生を反省して愛妻家となった男」とは呼べないよ。