先日、クローバーの取材のために、成東病院へ行ってきました。
成東病院では、最近緩和ケアチームを立ち上げ、
緩和医療に積極的に取り組み始めたのです。
今月の18日に開かれた夢プロ(テーマは在宅医療でした)にも
緩和ケアチームのスタッフの皆さんがいらしてくださいました。
緩和ケアという言葉自体、一般にとってはまだまだなじみの浅いものですが、
藤本流に解釈した言葉では
「体の痛み、心の悩み、苦しみ、さびしさ、不安・・そういう苦痛をできるだけなくして、本人が自分らしく最期を迎えるための医療」
と思っています。
医学は万能ではないので(人は、必ず死期を迎えます)
いつかは「今の医学ではこれ以上の回復は見込めない」という時が来ます。
その言葉ひとつとっても
どのように言われるかによって
「見放された」と感じたり
「できるだけのことをやっていただいた」と感じたりするのではないか、と思います。
回復が見込めないとき、医療はそこから何をするのか。
それが緩和医療(終末期医療かな)?と思っています。
用語の使い方があいまいな点、ご専門の方にご指導いただければと思います。
で、
私は「患者とともに、医療者も悩む医療」があってもいいなと思います。
中には、患者と一緒に悩む(つまり、即 答えが出せない)
医療者を「頼りない」と感じる人もいるでしょう。
でも、いつかはやってくる「死」をどう受け入れるのか
その時までをどのように生きるのか
これは「正解」などないし、
一人ひとりが試行錯誤しながらいろいろ悩んだり、考えたりすることだと思います。
こういうときに、
一緒にいて、悩んだり、考えたりしてくれる医療スタッフ。
そんな人と一緒に自分の最期をすごせたら
ずいぶんと心が休まるのではないかと思うのです。
成東病院の緩和ケアチームの皆さんは、
いろいろとディスカッションを重ねつつ、
(ある意味、悩みながらといってもいいと思います)
一人ひとりの患者さんに自分たちができる最善のことをしたいと思っていらっしゃいます。
・・・こういったことを、どうやってクローバーに書いたらいいでしょう。
悩む。

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