今日は我が家のお祝いの日。
毎年11月23日に、家族そろって出かけて、写真館で写真を撮り、思い出の場所で食事をする。
昨日は「明日お祝いだよね。楽しい気持ちになれそうにないね・・・」
といっていた子供も、
写真屋さんでくつろいだ雰囲気で写真を撮って
(毎年お世話になる写真屋さんのご夫婦は、わが子たちの成長をいつも喜んでくださる方たちだ)
おいしい食事を食べたら
(末の子供は昨日の夕方と今朝、ほとんど食べなかったので心配だったが、
ここで出された食事を一口食べて
「おいしい!」と、一気に平らげた。)
みな、なんとなくだけど、軽くなった。
今朝まで、本当に、重たい空気が我が家に漂っていたので。
私の友人が言っていた。
自分がつらいときを過ごしていたころにありがたかったのは
友達が入れてくれたおいしい一杯のコーヒーだった
と。
おいしいものは、本当にその人を「ほっ・・」とさせるのだと思う。
落ち込んだとき、つらいときは、食べ物の味が分からないくらいになることもある。
私も母が亡くなった翌朝のおにぎりは、全く味がなかった。
でも、少しでもおいしいものに出会えたら、それだけで何かが変わるのだと思った。
(話が飛んでいるようですが)
病院で出される食事が、入院している人を癒し、
患者の付き添いをして疲れている家族の方を癒す。
そんなこともあってもいいのでは、と思う。
私がお産で入院した、ある都内の産婦人科医院では
本当においしい料理が出されていた。
二人目を妊娠したときなどは、
「ああ、またあのおいしい料理が食べられる」と、出産の日を心待ちにしていたものだ。
たとえば
食堂の隅に置いてある機械から、だぁ〜っとでてくるお茶じゃなくて
ちょっとおいしいお茶の葉と、お湯がおいてあって、セルフでおいしいお茶を入れられたら、
「あ・・このお茶、おいしい・・」と慰められる人もいるのではと思ったりした。
欲を言えば、
そういう人たちに心をこめて、お茶を一杯入れてあげるボランティアさんがいたらいいな。

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