職業差罰という重いテーマをも乗り越え、この居心地のいい感覚はどこからくるのか?
映画「おくりびと」を観ながら・・ジャスト・・・ということについて考えた。
元木雅弘の納棺師の美しい所作・広末涼子の透明感・山崎努の人との距離感、チェロの調べ・・・すべてにジャスト”を感じた。
“ジャスト”の意味を調べてみると、ひとつは【正確な】つまり【完璧にちょうど】であり、もうひとつが【ぎりぎりの】である。
偉大な芸術とは“ジャスト”の芸術といえるのかもしれないと。
優れた音楽家や彫刻家の作品からも、あるいは腕のいいすし職人からも、すべてに究極の“ジャスト”があるような気がする。
日々の単純な、料理の一例でこの“ジャスト”を考えてみよう。
例えばにんにく、生のままで食べると匂いが強すぎたり、辛味が強すぎるかもしれない。
それを炒めると、きれいなキツネ色になり辛味が消え香りにまろやかさがでて、軽い歯ごたえもうまれる。だが、キツネ色を超えると今度は匂いにえぐみが出て、味も苦くなる。“ジャスト”のポイントを通過してどんどんクオリティーは下降するという訳だ。
しかしこの絶対的な“ジャスト”とは絶対に到達できるものではなく、ただそれに近づくことができるだけのもの。
でも本当に近くまでたどり着けた時、その結果は言葉では表現できる限界を超えているのではないだろうか。
その時・・意外にも・・・「これだ!」の小さな言葉にちがいない。

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