連続して変化する色のグラデーションを見ると、私たちはその中に不連続な、存在しないはずの境界を見てしまう。逆に不連続な点と線があると、私たちはそれをつないで連続した図像を作ってしまう。つまり、私たちは、ほんとうは無関係なことがらに、因果関係を付与しがちなのだ。なぜだろう。連続を分節し、ことさら境界を強調し、不足を補って見ることが、生き残る上で有利に働くと感じられたから。もともとランダムに推移する自然現象を無理にでも関連付けることが安心につながるから。世界を図式化し単純化することが、わかることだから。
かつて私たちが身につけた知覚と認識の水路はしっかりと私たちの内部に残っている。しかしこのような水路は、ほんとうに生存上有利で、ほんとうに安心を与え、世界に対する、ほんとうの理解をもたらしたのだろうか。ヒトの眼が切り取った「部分」は人工的なものであり、ヒトの認識が見出した「関係」の多くは妄想でしかない。私たちは見ようと思うものしか見ることができない。そして見たと思っていることも、有る意味ですべてが「空目」なのである。
そうなのか・・・
世界は分けないことにはわからない・・・でも・・・
分けてもほんとうに分かったことにはならない・・・のか・・・
ロマンティストな生物学者、福岡伸一。
彼が見たものを一緒になぞる時間は楽しい。
一度身体の中に入って・・・
ある時
自分の力でそれを再び取り出す事が出来るまで
彼の見る世界をなぞりたい・・・
彼の場所からものを見て見たい・・・もっと・・もっと・・

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