本日7時前、起床。
8時、朝食。全米オープンを観た。
10時前、出社。弊社は今週一週間はお盆休暇だが、建設部のHさんが出社していた。ブログを更新。
11時、佐野市発注入札工事を検討した。
12時半、昼食。
13時過ぎ、顧問会計事務所から弊社担当Sさんが来社。決算のために、完成・繰越工事の確定。完成工事未収入金・未成工事支出金、減価償却額を算定し、建設業経営審査を見据えて取りまとめた。
最終的には、残念ながら前任の顧問税理士の怠慢処理も相俟って、5期振りの赤字決算となった。
最後は営業で、事務所での
アクアクララの設置を提案した。こちらはいけそう。
またSさんに対しては、改めて
日本トリムの電解水素水整水器を紹介。小生も社長室で初めて水素水の実験を披露した。
これまで視ていた、メーカーの営業が行うほどの鮮やかな結果は出なかったが、それでも水素の仕組みを伝えることができた。
19時、帰宅して夕食。
21時、就寝。
★今日の言葉 ≪ 人生の根本義とは ≫
「働く」というのは「傍(はた)を楽にする」こと、
つまり社会のために働くことであり、
公に仕えることなのです。
本書の冒頭にも述べましたが、仕事という言葉の
「仕」も「事」も、どちらも「つかえる」と読みます。
働く意味は天に仕え、社会に仕えることに尽きると思います。
私は、それを中国の古典から学びました。
古典の世界へは父の影響で入ったわけですが、
やがて人間として生まれてきた以上、
命のある間、どういうふうに生きていくべきかが
重要な問題なのだと気づきました。
それは果たして金を儲けることなのか、
地位を得ることなのか、
そんなことではないはずだという思いに到ったのです。
それでは、人生の根本義とは
いったい何なのかと勉強しているうちに、
それは「仁道」ではないかという考えに突き当たりました。
「仁」という字は、「にんべん」に「二」、
すなわち人が二人と書きます。
人が二人いるときに、二人の関係を良好に保とうと思えば、
必ず相通じる心というものが必要になります。
それがなければ決して意思の疎通はできません。
相通じる心というのは、ある種の一体感です。
この心が起こってくると、「恕」が働き始めます。
「恕」というのは、我が心の如く相手を思う、
すなわち思いやりです。
人間は、あらゆるものによって生かされている存在です。
動植物を食べないと、人間は生きてはいけません。
それによって生を養っている存在なのです。
また、人間は一人では生きられません。
周りに人がいて、社会があるから生きていられるのです。
それゆえに、どうしても周りの人たちと
調和を保つ必要が出てくるのです。
周りから生かされている、社会から生かされている。
そういう世界に自分が存在していると自覚すると、
そこに他を思いやる気持ち、
つまり仁の気持ちが必要なのだと自然と気づくはずです。
人間として生を受けた以上、
思いやりの気持ちがなければ生きていけないのです。
それがなければ社会が成り立たないのです。
仁という土台があって、初めて社会は健全に運営されています。
だからこそ、仁道を究める勉強をしなければならないと思うのです。
『孟子』は人間の性は本来、善であると言いました。
しかし、勉強をしないとそれが曇ってくるのです。
それが人間の人間たるゆえんです。
だから、一回悟ったと思っても、
本当に悟っていることにはならないのです。
死ぬまで自分の人格の修養を続けていく必要があるのです。
経験を得るごとに、
もっとそれを深めて、もっと高い境地で
人格を磨いていかなくてはならないのだと思います。
死ぬまで心の修養をしなくてはならないのが、
人間という存在なのです。
『何のために働くのか』(北尾吉孝・著)

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