本日6時、『ホテルテトラ大津』さんで起床。ブログを更新。
7時、朝食バイキング⬇︎。
9時前、チェックアウトした後、膳所駅に移動してトヨタレンタカーでビッツを借りて出発。
9時半過ぎ、比叡山延暦寺の麓にある
穴太衆石積みに囲まれた里坊の町「坂本」に到着。石積み探求に熱中した。
徳川三代に仕えた天海僧正が建立した滋賀院門跡↓は天台座主の総本坊で、城郭のような
穴太衆石積みは坂本でも随一の規模。

その近隣も素敵な里坊で区割りされていた。

雙厳院↓。

向かい側の瑞応院↓。

日吉大社入口の三石橋↓。

旧竹林院は耐震補強工事で休館のため、芙蓉園↓に入り休憩しながら庭を散策。1643年に飢人を雇い入れてこの庭↓を造営した。

このトンネル↓も
穴太衆石積みだから何百年経ってもびくともしない。

続いて恵光院↓。

この踏み石↓も小生にとってはたまらない魅力。

隣の律院↓

枡形の左は生垣だが、右は竹垣。これも素敵。

こちらは中が見学自由。

その他の石積み↓。

大将軍神社↓。

生源寺↓。

京阪石山坂本線坂本駅前↓
12時、予定を1時間超過し切りがないので、名残惜しくも坂本をあとにして、近江八幡市へ向かった。
12時半前、琵琶湖大橋↓を渡る前に道の駅で休憩。
13時、『
安土城郭資料館』を見学。
14時半過ぎ、さらに『
安土城考古博物館』で勉強した後、ようやく『
安土城跡』に着いた。
安土山の遠景↓。左から2つ目の頂に
織田信長が築いた、空前絶後の荘厳華麗な日本初の高層建築天主を持つ
安土城がそびえていた。
大手門から入城する。この城の築城のために、比叡山の堅固な寺院建築を支えていた
穴太衆による
石積み技術が欠かせなかった。
発掘復元された幅員6m両側に排水溝を設けて全幅9m、100m以上に亘って続く巨大な直線の大手道を上る。

右側は前田利家邸跡↓と伝承される。
羽柴秀吉邸跡↓。この下段郭の入口には仙台城の大手門に匹敵する櫓門、その先には6頭入る馬屋殿を配した。

その上段郭↓には殿舎群があり、秀吉が居住していた。
反対側は徳川家康邸跡と伝承され、奥に見えるように江戸時代に總見寺が移築された。

さらに大手道は続く。
巨大な黒鉄門跡↓。ここから先は主郭部として強固な護りであった。
これぞ
穴太衆石積みによる天主台の高石垣↓。石の大きさが他とは比較にならない。

残念ながら上部1/3ほどは崩れてしまっている。
天主に繋がる本丸跡↓。
信長が居住するのみならず、千畳敷きの御殿には天皇を迎えるための部屋が設けられていた。
15時半、ようやく天主に辿り着いた。ここは地下1階、巨大な礎石から35m以上の高さで、5層6階地下1階の望楼式で史上初の天主の威容を誇っていた。

かつての天主は、
天下布武を掲げて信長の権威を天下に示すよう、彩り鮮やかに山頂で輝いていた。

天主台から北部を望む。かつて麓まで琵琶湖の水が迫っていた。ここから京まで船で渡ることができた。
信長はここから30m上方の最上階から、天下統一の夢を描いて配下を眺めていた。
16時前、最後に
信長が
安土城内に築いた創建時の總見寺址。三重塔が物悲しく立っている。

ここからは遠くに琵琶湖を望める。
16時過ぎ、170mの高低差を昇り降りして足は諤々関節が痛くなった。
安土城跡をあとにして、彦根市へ向かった。途中コンビニでサンドウィッチを買って遅い昼食。
17時過ぎ、国宝『彦根城』は時間切れで遠景↓のみ。残念ながらまたの機会に。
18時過ぎ、佐和山城跡を見学した後、長浜城行きを断念して米原市へ向かった。
19時、JR米原駅前でレンタカーを返したのち帰路に就いた。
22時半、小山駅に到着。
24時、帰宅してから就寝。

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