本日『ホテルパーク』さんで5時起床。同部屋のK鍋君も私に負けず劣らずの鼾掻きで良かった。
その頃自宅では奥さんが娘のためにお弁当つくり↓。
窓から金華山を見上げれば、斉藤道三が造り織田信長も治めた旭に輝く岐阜城が見えた。嘗ては道三や信長が天守から眺めていたと思うと何とも感慨深いものがある↓。

眼下には昨晩の雨で増量した長良川↓。
戦国時代にこの地でも多くの歴史が創られて来た。
8時過ぎ、K鍋君と一緒にタクシーで岐阜駅へ向かった。
9時25分、名古屋発のぞみ66号で帰郷。今回の旅程では、今週火曜に神戸出張の帰りに購入した、中西進著“国家を築いた しなやかな 日本知”を読んでいたが、信長が金華山に3層の天守を構えたことに関しての記述もあり、不思議な因縁を感じた。
12時半、佐野駅に奥さんが迎えに来てくれた。
13時過ぎ、久々に「風林火山」の再放送が見れた。
14時、本日も安蘇史談会主催の歴史講座「南北朝・室町時代の佐野氏」を受講するために城北公民館に行った。
佐野氏は古文書によると南北朝時代1,350年頃には既に現在地を治めていたようだ。有名な「太平記」によれば、足利氏の流れを汲む佐野氏は、1,351年足利尊氏に加勢して駿河の国薩埵峠(さったとうげ)の戦いに500余騎の馬で馳せ参じたと記述されている。
どうやら我が郷土のお殿様も、
戦国時代は勇猛果敢な大名であったようだ。
下野国の
戦国時代はそれから凡そ100年後の平安時代中期1,450年頃から始まるそうだ。
講師によれば、唐沢山麓から293号線を超えて広大な城下町が形成されていたようである。
また家系図は江戸時代以降に家々の都合に合わせて編纂されたものが多く、古いものは少ない。佐野氏の頭領は代々「綱」の名を継承して来た。佐野氏の本家は吉水に住んでいたが、葛生の豊代に壮大な屋敷を構えていた分家が家督を継承したそうだ。
19時過ぎ、9日振りに家でしかも家族と一緒に夕食を摂った。奥さんが作ってくれた豆腐入りハンバーグと一緒に、私が東京で駅でお土産に買った『崎陽軒』さんのシュウマイも出された。
21時、長男と一緒に映画“I Robot”を視た。とても考えさせられた。
23時半就寝。

0