昨晩は9時半就寝(ダウン?仮眠?)、今朝0時半起床・・・めちゃくちゃや・・
そして眠気覚まし?に深夜TVをボォーっと、そしてケラケラと1時間半も視てしまった。
午前2時から仕事を1時間行い、3時から4時までHPを更新し、4時から6時半まで文献、それからトイレ、朝風呂に入り、出勤モードに着替えて7時出社。職場貢献が終わる頃、社員さんが出社、お迎えして皆で職場の教養を斉読する。
軽いミーティング後、7時45分までには社員さんを送り出し、メールやHP、建設新聞をチェック。8時から仕事に取り掛かる ・ ・ ・ こんな生活をするようになったなあとふと思う。
午前10時には、長男次男が通う中学校の文化祭に学校評議員として招待され、保護者でありながら、他のPTAからの視線を背中に受けて特別席で偉そうに観覧する。
我が母校でもあるこの中学の文化祭は『群竹際』と言い、学年別のクラス対抗合唱コンクールだ。この日の為に各クラスで早朝や昼休みの時間を使って一生懸命に練習に励んで来た。
しかし、立派な学校に変わったものである。つい7・8年前までは廊下をバイクが走り、職員室の先生の机の上の物は全て金属バットで叩き壊され、警察官が学校に来なければならないような、栃木県で最も荒れた学校として有名であった・・・
私は当時、自分の子供は、市立に行かせようとさえ考えていた。しかし、私の恩師が校長に赴任してからこの学校は変わった。校長を中心に先生たちの懸命な努力により、この学校は大きな変貌を遂げた。変革の仕上げの時期、4年前に私も、青年会議所の理事長として、恩師の要請を受けて、非力ながら学校改革の総仕上げのお手伝いをさせていただいた。
地域が、企業が子供たちの成長・変化を見守っているよ!と言うメッセージを肌で子供たちに感じてもらい、将来の夢や仕事への期待を育むために、職場体験の受け入れをJC企業を含めて1市2町で大々的に行った。
今やそれは合併後の新市の全中学校で行われている。
さて、仕事の関係で今年の『群竹際』は、10時、合唱の部開会式の長男の司会と1年生の次男のクラスの合唱までしか拝聴できなかった。ちなみに女房はお昼を挟んで一日体育館で楽しんでいた。
本当にこんな学校になるなんて、誰が予想し得たであろうか・・・この学校を変えることができた最大の要因は、先生方の自己変革であった。先生達が、先ずは自分達から変わろうとしたことだ!
一分一秒でも早く教室に行き子供と対話し、子供に向き合い、卒業生との関係を断ち切り、制服を廃止し、PTAを説得し、授業のカリキュラムを変え・・・内よりも先生間の信頼関係、チームワークの醸成が最大の要因であったかもしれない。
トップリーダである恩師である校長のリーダーシップの賜物である。彼はこの学校の後、その学校改革の功績からだろう、県の部長級の役職への栄転を果たして、退職を迎えた。
やはり、組織はトップ次第である。私はどのくらい自己変革できたであろうか?多少なりとも変わりつつあるように思うが、決して甘んじることなく、やはり、
1に勉強、2に勉強。3、4、が実践で、5が勉強!!

0