1990年夏のヨーロッパ旅行、デジタルアーカイブス、シリーズ第19弾
ハンブルク滞在後、列車でベルリンへ。ドイツ再統一を2か月後に控えていましたが、まだ東西ドイツのままでした。
ハンブルク・アルトナ駅から乗ったベルリン行き列車は、東ドイツ国鉄のディーゼル機関車。ドイツのものというよりは旧ソ連製なので、いかにも共産圏の機関車というゴツい感じでした。

この当時は132形といっていました。西ドイツ国鉄は、電気機関車の形式は100番台、ディーゼル機関車の形式は200番台でしたが、東ドイツ国鉄は、電気機関車が200番台、ディーゼル機関車は100番台と逆でした。統一後は、DB(西ドイツ国鉄)がDR(東ドイツ国鉄)を吸収したかたちになり、東の機関車は改番されました。この132形も232形となりました。
ハンブルク・アルトナ駅に隣接して広大な車両基地があります。列車の車窓からは転車台のまわりに蒸気機関車ではなくディーゼル機関車がずらりと並んでいました。
ハンブルクの市街を抜け、平原を東へ進むと、やがて東西ドイツの国境が見えてきました。

監視塔もすでに有名無実で無人。列車が一旦停止したかどうかは、忘れてしまいましたが、検問などはなく、スムーズに東ドイツエリアへ入りました。西ドイツエリアに比べると、家屋は薄汚れていてどこか貧しさを感じさせました。同じドイツなのに、解放されると両国の差は歴然としていたのです。
途中駅で東ドイツの凸型ディーゼル機関車とすれ違いました。

我が国のDE10形タイプの機関車。後に212形と改番されたはずです。
現在、ハンブルク〜ベルリン間は、高速列車ICEで1時間半ほど。当時は、たっぷり3時間はかかったような気がします。ベルリン市内は緑が多く、列車は、ゆっくりと市内へ入って行きました。
後日、ベルリン滞在中に撮影した走行写真です。
西ベルリンのターミナルはツォー駅Zooでした。英語のzooと同じで近くに動物園があったので、この駅名になりました。今はターミナルが2006年に開業した中央駅に移り、東京でいうと新橋のような駅になってしまいました。当時は、非電化で架線が張られていませんでしたので、空が広いですね。
何日かベルリンに滞在した後、西ドイツへ戻る列車には、東ベルリン地区にあったフリードリヒ・シュトラーセ(通り)駅から乗車しました。その列車は119形という、変わった風貌のディーゼル機関車重連でした。ホーム入線時の写真が残っていましたので掲載しておきます。
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