毎日猛暑の中、皆さん元気でしょうか? オリンピック、中盤ですね。今日も、たった一つの望みであるゴスペルを、私の心の変遷を通してお届けします。
心の変遷
私の心の変遷を細かく書いていますが、読んで下さる方が、飽きないようにと願っています。私の場合、このようなことが心の中で起こり、忠実な神の恵みによって、天地創造の神を知るに至りました。どうか続けて読んで下さいますようよろしくお願い致します。
「もし?本当なら…?」 このことが、本当かどうかわからないのに、なぜ、俺は、こんなに真剣に、これを考える??
『頭が変になりそう』
「俺は、洗脳されつつあるのか?」「聖書なんか、読むんじゃあなかった!」頭をよぎる。このことが本当なら、日本のほとんど全員が間違っていることになるじゃあないか? 日本の歴史が記されて以来、仏教、神道を奉じ、偶像や人を祭ってきたことは全て間違っていたのか?? 「間違っていたなんて?」「そんなことがあるはずがない!!」
『天地がひっくり返る!!』
「聖書が、もし本当なら」というのと、「昔からの日本が、間違ってるはずがない」の2つが、天地をひっくり返してしまうかもしれないほどの大問題であるということが、私の上にのしかかりました。 それと(これは、前にも書きましたが)、もし、それが本当なら、本当のことを知ることは、私個人の全てである「私の心と私の人生全てさえも」、ひっくり返してしまう可能性があるということが、どっしりと私にのしかかったのです。
『仮定の中で、まだ神を知らない私。』
これらのことは、全て「もし、創世記1章1節が本当なら…、」ということに基づいたことでした。7月のレターで、「森繁昇は、どんな悪でもやる可能性を持った罪人であるとわかったのです。」と書きましたが、それは、「もし、本当なら」と仮定した上でのことで、その時は、まだ、自分が罪びとであるとは、本当には認めていなかったのです。なぜなら、それを認める対象、理由(創造主なる神)を、まだ知らなかったからです。 しかし、「本当なら知りたい」という、初めに私の心に起こった願いは無くなりませんでした。(後でわかることですが、神は、神を知りたがる人の心の願いを守ってくださるのです。)
「人生って…? 何…?」
「もし、人間も含め、全てのものが、神に造られたのなら、全てのものに、それを造った神の目的がある。私をも造った目的がある、私を造った理由がある」単純にそう思いました! それが人生かも。(説明しにくいのですが……その人生の中で、神は人に自由意志を与えているのです。) もしそうなら、俺が、神無しに、ただやりたいからとか、やりたくないからとか、得意だからとか、好きだからとか、嫌いだからとか、必要だからとか、頼まれたからとか、命令されたからとか、みんなもやるからとか…そのような理由だけで人生を進めば、私の人生は、造り主の目的から全くはずれた人生になると思いました。でも、それもまだ、「もし本当なら…」でしたが……。
「どうしたらいいんだ?」
どうしたらいいって?「私を造った神に尋ねたらいいんだ」と思いました。しかし、まだ神を知らない私には、それは、ただの考えにすぎませんでした。その時私の心に起こったことを、思い出しながら今書いているのですが、何も確信して言えることはなく、ただ、『もし神がいるなら、神が私に教えてくれるだろう』と思っていました。
「その時に考えた別のこと」
*他の神が本当の神かも?
聖書を読んでいるうちに…もし神がいるとしても、「聖書の神が本当の神じゃあなくて、他の神が本当かもしれん」という思いがある時来ました。しかし、もし、天と地の創り主の神がいれば、その神は何でも知ってるのだから、神を知りたがってる人に、『間違ったものをつかませない』という思いが不思議に私の心にありました。
*造り主の神を知ることは、俺にとって、本当に大事で必要なことなのか?
何度か頭をよぎりました。で、結論は、もし本当にいるなら、知りたくないというのは『あり得ない』と思いました。
*神は、神自身のことを、どのようにして、私に教えるんだろう?
話は前後しますが、聖書を読み始めた最初の頃、そんなことを考えました。そして、その時、私は、上を向いて、こう言ったのです。「もし、神が本当にいるのなら、俺に現れよ!そしたら信じてやる!」と。でも、姿は見えなく、声も聞こえませんでした。
*『間違い』と『嘘』、『不注意での失敗』と『わざと』
少しずつ変わってきた私ですが、その1つに、私は、ちょっとしたことでも、「間違いと嘘」「不注意での失敗とわざと」のことを時々考えるようになりました。それまでは、どれも「ごめん」で済むと思っていましたが、「ごめん」で済むのは、「間違い」と、「不注意で起こしてしまったこと」。しかし、「うそ」と「わざと」は何か、ごめんで済まないんじゃあないかのような気がしました。(今は、このように説明できますが、その時は、何か罪悪感があるだけで、はっきりは説明できませんでした。) 間違いと不注意での失敗は、私の心は悪くなかったのですが、嘘とわざとは、私の心が悪いと思いました。このことも、私は、自分が神に知り尽くされているという想像から来た、気になることでした。
いきなり聖書から「神を恐れることは知恵の初め」(箴言9:10)
神は、天地の全てを造られたただひとりの神で、全知全能の絶対的な存在。この方を知る時から、知恵、知識、が始まるというのです。『えっー?』 私は、何もわからないまま、ただ、その方を知りたいと思ったのです。その心をご存じの神は、上に私が書いてきたことを、私に考えさせたのだと思います。私が何か努力したからとか、がんばって学んだからとか、そういうことでは一切なく、ただ、『本当なら、知りたい』と願っただけなのです。
『信じることは、決断ではない。』
もし私が、「私は神を信じました」とか、「私は神を信じています」と言うと、私が自分で『決断』して神を信じるようになったと誤解される可能性が大いにあると思います。(確かに、私は天地創造の神を信じているのですが…)このことは、とても大事なことで、『信じるということは、決断でできることではないのです。』そのことは、私の心の変遷からでもわかるかと思いますが。しかし、多くの人は、信じることは決断でできること(決断ですること)だと考えていると思います。 チョット考えてみてみましょう。仮に、あなたが、創世記1章1節を読んで、「私は、これが本当だと信じる決断をします。」って、できるでしょうか? できませんよね。そのように、信じるということは、決断してできることではないのです。これは大事な『真理』です。 私は初め、クリスチャンは、『信じると決断して』クリスチャンになったんだと思っていたので、「そんなん、よう、信じれるなぁ…?」と不思議に思い、私にはイエス・キリストを信じることは不可能だと思いました。多くの人がそのように感じているんじゃあないでしょうか。(続く…)
『雨水を使ったハワイの生活』
私たちがハワイ島に越して来た時の島の人口は7万とか8万と聞いていました。2015年の人口調査では19万人弱。現在は大体20万人くらいでしょう。コロナで去年の人口調査の結果が出ていないので、はっきりはわかりませんが。
『電気・水道のない所に住む?』
1986年、ハワイ島に住むと決めた時、電気無し、水道無しの生活はちょっと考えられませんでした。でも、雨が多いということで、雨水を使って生活している人と友達にもなってきて、雨水でも大丈夫と思うようになりました(実際、田舎はどこも雨水で生活)。しかし、電気のない所となると、「いやぁ、そりゃ無理ちゃう?」その頃、電気無しの人は、12ボルトで動く家電と、必需品の冷蔵庫はプロパンガスで動くものを使っていました。私は、そんな冷蔵庫があるなんて知りませんでした。その後、だんだんわかってきたことの一つは、 ここに住んでる人たちは、皆、私よりタフな人だということでした。
『土地購入』
私たちは田舎に住みたい願いがあったので、田舎に安い土地を買うことにしました。それで、最低、電気の通った所の土地を探し始めました。農地として開拓されたところを区分した物件に、1エーカーと2エーカーの土地が別々の場所にありました。2エーカーの方は、ほとんど人が住んでいなくて、道路はとても悪く、岩や砂利でできたところでしたが、そこを買うことにしました。(34年後の今でも、道路の悪さは当時とあまり変わりません。ゲっ!) 2エーカー(約2400坪)の土地は、40mx200mの長方形。地面は全て溶岩石ですが、長年の間に(溶岩が流れて何年たってるんでしょう?)溶岩の割れ目や、低くなったところに木や草が生えていて、雑木林のようなところでした。その中で、目立った木は『オヒヤ』という木で、それはハワイ島の木です。とても硬い木で、昔は、サトウキビ列車の枕木に使っていたものです。 気に入った土地が見つかり、売り手が早く売りたいということで、評価の半値の10,000ドル(当時、130万円)で購入しました。 その土地は、電気は来ていなかったのですが、近くの電柱から電力会社が3本の電柱を建ててくれました。電気が来ていないのは、人が住んでいないからですね。で、水道が無いのも同じ理由ですが、地面が溶岩石なので、水道パイプを入れるのは大仕事で、全く採算が合わないからです。ということは、下水道もないということです。セスプールと呼ばれる直径2.4m、深さ3mの浸透式の穴をダイナマイトで掘り、その穴をセメントで蓋をする。家の全ての汚水はこの穴に流れ込み、地下にある溶岩トンネルに流れていくのです。げっ! だから、上下水道代ただ!! セスプールは「絶対開けたくない!!」 銀行から借入して、工務店に頼まないで、ローカルの大工さん二人を雇い、一緒に家の設計をしました。いわゆるオーナー・ビルディング。(オーナーが、自分で建てるということですが…、実際は大工さんがほとんどやる。私は、材木を運んだり、釘を打ったりするくらいでした、笑。) 材木はオレゴン州に大工さんが買い出しに行き、安い材木を大きなコンテナで送ってきました。当時、建築資材泥棒が多く、材木を現場に置いていると、夜中に盗まれてしまうことを聞いていました。それで、私は、家のフレームが出来上がるまで、毎晩、子供たちを代わりばんこに連れて行き、材木の傍でキャンプをしました。楽しかったー!
『雨水』
屋根に降る雨水を樋から集め1本にし、それを37,000リットル入るタンクに貯めます。その水をポンプで、台所、トイレ、洗面所、洗濯場、風呂、外の蛇口、に送るのです。飲み水の為に、台所にだけフィルターを付けた別の蛇口があり、それを飲料水、料理水に使います。フィルターがあるので、水の出はとても悪いのですが、慣れます。雨が十分降るので、水不足はほとんど経験しません。多分、この34年の間に、7、8回水を買ったと思います。タンクローリーで、12,000リットルを100ドルくらいで配達してくれます。 次回は、又、別のことを紹介しますね。 オリンピック、終盤に入りますね。
『力と技と速さを競う世界大会』
日本が出るのを見たい! 勝ってほしいよー! 夕飯を食べながら、録画してもらっていた日本と南アフリカのサッカーの試合。しばらく見みていたら、聖書の箇所を思い出していました。
競争は足の速い人のものではなく
戦いは勇士のものではなく
パンは知恵ある人のものではなく
富は悟りのある人のものではなく
(伝道者の書9:11)
『ネット配信ライブ』
神様のみ旨なら、この夏も帰国します。教会でのコンサートが一つあります。8月29日宝塚栄光教会です。その日曜の午後にネット配信となります。どうか、早めに、ネットで宝塚栄光教会を調べてみてください。よろしくお願いします。
ライブ配信情報:
https://www.takara-eikou.com/schedule/?monthly=202108
宝塚栄光教会:
https://www.takara-eikou.com/
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして
滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
(ヨハネの福音書3:16)
最後まで、ありがとうございました。
のぼる
ザ・デイ / 森繁 昇
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