森繁昇からの手紙

 

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2021/10/3


 皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
 皆さんが、元気にしておられることを願っ
ています。
 天と地と、その中にある全てのものを造ら
れた神の恵みとあわれみによって、たとい、
私たちの、あちこち痛い体がさらに古びてき
ても、また、コロナで、私たちの毎日の生活
苦が増してきても……私達の心が、イエス様
のゴスペルの愛と希望で力づけられますよ
う、イエス様の下さる安らぎと喜びで励まさ
れますよう、天国での永遠の命の約束を待ち
望んで、日々イエス様に感謝して進めますよ
う、イエス様にお願いしています。イエス様、
どうか、私達の、それぞれの必要を満たして
ください。よろしくお願いします。ありがと
うございます。

『また、今日からやで!』

 先日、夜遅くに、旅先から下松に帰宅。次
の朝、用事で町に行く農道のはしに、何とも
爽やかで、きれいな花。秋晴れのそよ風に揺
られながら、ニコニコ咲いている。この花、
初めて見た! 今まで、なんで気がつかんか
ったんだろう?と、考えていたら……そうか、
いつもの年なら、この時期、私は、ここには
いないんだよな。コロナで、私の旅の日程も
変わったんだ。そういえば、裏になったイチ
ジク、去年は食べんかったが、今年は、何個
も食べた。そうだよなぁ……それぞれ、神が
決めた時に、神が決めた場所で、神の業を、
やらせてもらってるんやなぁ〜。そのまんま
やねぇ。

 その2日後、また、そこを通った。あんな
にきれいで、生き生きとしていた花のほとん
どが、しおれていた。私は……ダビデの歌を、
また、思い出していた。
 「人の日は、草のよう。野の花のように
咲く。風がそこを通り過ぎると、それは、
もはやない。その場所すら、それを、覚え
てはいない。しかし、天地の造り主の恵み
は、とこしえから、とこしえまで、造り主
なる神を恐れる者の上にある。」
 そして、俺の心が言った。「まだ、これか
らやで! この世におらせてもらう間は! 
天国へ行くまでは、また、今日からやで!」

 「私の心の変遷」続き

 今回も、私の心が、どのように感じ、思い、
考え、変わっていったのか、出来るだけ思い
出して書きたいと願っています。これらのこ
とは、ずいぶん昔のことですが、私は 1978
年に、自分の心の変遷を1度書いたことがあ
って、それで、今でも、かなり詳しく覚えて
いるのだと思います。

「キリストは馬小屋で生まれて、十字架
にかかって死んだ」

 いつ頃からだったでしょうか?多分、小学
校低学年の頃? その言葉が、私にとって、
どういう意味なのか 1 度も考えたことはあ
りませんでしたが、私はその言葉を知ってい
ました。「なぜだろう?」それを考えていた
ら、思い出したのです。そのことは、何年か
前、私のレターにも少し書きましたが……。

「キリストがあるよー!」

 あれは、私が幼稚園児か小学 1 年生くら
いだったと思います。当時住んでいた熊毛町
高水の村でのこと。 時々、日が暮れた頃に、
「火の用心」の拍子木を叩いて、「キリストが
あるよー」と言いながら、年上の子供達が近
所を回ったのです。多分、私の親は、それが
何か知っていたのかもしれませんが、行きた
いと親に言うと、その「キリスト」とやらに、
私たちを行かせてくれました。それは、高水
駅の前にあるタバコ屋のアヤマさんの家で、
アメリカの宣教師がやっていた、子供会だっ
たのです。(ここでは、詳しくは書きませんが)
多分、私は、その言葉を、そこで聞いたんだ
と思います。その「キリスト」やらに、何回
くらい行ったか覚えていませんが、行った時
のことは、いくつか覚えています。
(話は、もとへもどります。)

「十字架につけろ!」

 私は、マタイの福音書を読み進んで行きま
した。イエスが行なった奇跡や、癒しの奇
跡、また、イエスが人々に語ったことを読ん
でも、これといって心に残るものはありませ
んでした。多分、それらが、現実的でないの
で、やはり、おとぎ話という感じで、読んで
いたんだと思います。そして、その 27 章で、
群衆は、イエスを、「十字架につけろ!」と
叫び、イエスを十字架につけたと書いてある
ところを、自分で、初めて読んだのです。「キ
リストは馬小屋で生まれて、十字架にかかっ
て死んだ」というのは、ここに書いてあるん
や! 他のことは、深くは考えませんでした
が、イエス(キリスト)は十字架にかかって
死んだ、というのは少し考えていました。次
の章、28 章には、「イエスは、死んで3日し
て生き返った!」と書いてあるのですが、そ
の事も、心には残らず、ただ、十字架で死ん
だというのが、残っていたと思います。

「4 つの福音書」

 福音書というのが何なのか、全く考えない
ままで読み進みましたが、いつ頃からか、福
音書(ゴスペル)というのは、Good News(良
い知らせ)だと知るようになりました。誰か
らか聞いたんですね。それは4つあるのです。
4人の人が、別々に、自分がイエスと一緒に
いて、イエスが行なった奇跡を見たり、イエ
スが話したことを聞いて、それを書き留めた
ものというのです。4つとも、それに書かれ
ていることは、だいたい同じような内容でし
たが、どの福音書も終わりの辺で、イエスが
十字架にかけられて殺されるのです。

「イエスは、人の罪の罰を代わりに受け
る為に、十字架にかかって死んだ」

 私は、福音書を読み終えて、その先の方も
読み進んでいったと思います。時が経つにつ
れて、同じ家に住んでいた若者達がイエスの
話をしているのを聞いたり、住人の誰かが怪
我をした時もそうでしたが、他の人のために、
何人かで一緒にイエスに祈ってるのを聞いた
りすることもありました。その家に住んでい
たほとんどの若者は、いわゆるヒッピーのよ
うで、私と比べて、かなり自堕落な生活をし
てるように見えました。しかし、彼らが集ま
って、他の人のために、イエスに祈ってる(お
願いしてる)のを見る時、私自身は、ちょっ
と変な気持がしましたが、でも、なんか、私
にはない、素直で優しいものを彼らに感じま
した。
 そのような中で、私は、「イエスは人を愛
している。」そして、「イエスは人の罪の罰を
代わりに受ける為に、十字架にかかって死ん
だ」「誰でも、イエスの愛を心に受け入れる
なら、その人の全ての罪が赦される」そのよ
うなことを、時々、聞くようになりました。

「それでも、聖書の話を、現実のことと
して、受け入れなかった、私の理由」
*** 愛
 
 クJesus loves you”「イエスは、あなたを愛
している」 「おいおい、やめてくれよ!イエ
スが俺を愛してる?」皆さんはどう思われる
か知りませんが、当時、この love、愛、と
いう言葉を、誰かがそんな感じで使うのが、
私は、嫌でしかたなかった。男性と女性の間
だけで、いつか使うかもしれない言葉くらい
に考えていた私にとって、(日本では、普通、
そうでしたよね……)恥ずかしすぎて、意味
がわからんその言葉は絶対使わない!! キザ
過ぎ! 映画の中だけ! そのように、愛と
いう言葉を軽く口にする奴って、意味不明! 
絶対変や!
*** イエスを紹介されるの、大嫌い!
 『おいおい、聖書なんか開いて、イエスの
話なんかするなよ! 俺、聖書がホントだと
信じてないし! そんなもん引用するな!』
 話は、また、ちょっと前に戻ってしまいま
すが、私が、そのことに関して、どれほど嫌
だったか、皆さんにもわかる出来事がありま
した。イエスのことを人から勧められること
がどれほど嫌だったか、また、その出来事で、
私が、どんなに短気で横柄だったか、どれだ
け自己中だったかもわかると思います。いや、
自慢してるんじゃあないんですよ。笑……。

「You clean it up !」『お前がかたずけろ!』

 それは、私が、そこの若者たちと一緒に住
み始めて1〜2ヶ月経った頃だったでしょう
か。その家は、寝室が全部で 7 つか 8 つあ
る大きな家で、12 〜 13 人の若者が一緒に住
んでいた。2 階に住んでいたジョンのガール
フレンドのジュリア(その時、私は、彼女を
知らない)が家に来た。多分、ジョンを下で
待つつもりだったんでしょう。丁度その時、
私は、焼き飯を作って、居間のカウチで食べ
ようと、座ったところだった。すると、誰か
知らない一人の女が、カウチに座っていた私
のすぐそばの床に(私にとても近く)座り、
私を見上げて、こう言ったのです。クJesus 
loves you” この言葉に、私は、すぐ、カッチ
ーーーンときました。そして、その女は、聖
書を取り出して、ページをめくり始めるので
す。それを見た私は、苛立つ気持ちを抑えて
クWould you please stop talking to me about 
that?” と、優しく?その女に言いました。そ
れでも、その女は、俺が言ったことが聞こえ
なかったかのように、聖書のページをめくり
ながら、続けて俺に話そうとするのです。「俺
の言った事、全く無視??!!」ムラムラ、ガ
ッチーーーン!! 怒った俺は、まだ食べてな
い焼き飯を持って立ち、その女の後ろの壁に
向かって、思いっきり投げたのです。皿は割
れ、焼き飯が、カーペットのそこらじゅうに
散らばった!
 多分、彼女はド、ド、ドタマゲター!でし
ょう! 座ったままの彼女を指さして、私は、
”You clean it up”「お前が片付けろ!」
と言って、そこを立ち去りました。ゲーーー
ーッ !!! でしょ? 『森繁さんって、ヒドイ
ーーオトコーー!!!』でしょ?
*** 「話が良すぎるやろ!」
 「イエスを信じる者は、全ての罪を赦され
る ??」「おまえー! それ、話が良すぎるやろ
ぅ!」自分は何のつぐないもせんと、どんな
悪いことをやってても、ただ、キリストを信
じるだけで、全部の罪が赦してもらえる ?? 
絶対、都合が良すぎる! 適当な話やで!
*** 「昔、誰か賢い奴が、世界を平和にす
る目的で書いた本に違いない!」絶対、そう
いうもんやで!
 上に書いたことは、私が、キリストの話を
現実として受け入れなかった、他の理由でし
た。しかし、無くならなかった!「何が?」
私の、「もし、本当なら知りたい」の願い。

『わからないことと、わかること。』

イエスについて書いてある事柄や、言ったこ
とが、本当なのか、それとも、作り話なのか、
私にはわからなかった。それは誰にもわから
ないだろう、と思った。(まあ、他の人のこ
とは、おいといて……)
 しかし、わかることがあった。それは以前
にも書きましたが、『もし、創世記 1 章 1 節
に書かれている、天と地の造り主の神が本当
にいたら、私は、その方の前に罪人である』
ということでした。そのことは、はっきりわ
かっていました。もしいたら、ですが。

『罪』

 その時の私が考えていた罪というのは、国
の法律を犯した時に言う罪(犯罪)じゃあな
く、また、映画なんかで昔聞いた、「あんた
罪な人ね。」と、人を対象にいう罪でもなかっ
た。それは、私がまだ知らなかった、天と地
の全てを造られた神の前での罪だった。本当
なら知りたいと思ってる私には、私の心のこ
とに関して、造り主の神の前ではどうなの
か? と考えるようになっていたのです。そ
のころです、昔聞いた、「嘘は泥棒の始まり」
というのは、当たってると思った。まだ神を
知らなかった私も、『自分で悪いと知ってい
ることを自分の意志でやる!』それが、かり
に、どれだけ小さいことだと考えられていた
としても、「悪くても良いんだ」の心の邪悪
さは、とどまるところを知らない可能性を
持ってると想像できました。そして、そのこ
とを自分の心の中に見たのです。また、世界
の全ての悪と呼ばれるものが、人の、その心
から始まってると想像できました。それも、
はっきりと。
 それは、それまで生きて来た人生の善悪の
基準とは、全く異なったものでした。それが
わかったのは、私が、『もし、本当なら、知
りたい』と、願っていたからだと確信しまし
た。
 その後、私の心に、何かが起こるのです。


 『心の変遷』最終回だと思っていたのです
が、もうちょっと続きます。今回も、最後ま
で読んで下さって、ありがとうございました。

 PS:ゴスペルは、良いお知らせです。悪
いお知らせではないのです。

のぼる




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2021/5/19


(5月のニュースレター)


その後、皆さん、元気でしょうか? まだ
収束しないコロナの中ですが、人生、何が起
こっても、イエス・キリストに希望と救いが
あります!

「イエス様、助けてください」


 コロナに感染することの恐れもあるでしょ
うが、経済的困難からの心配や落胆が、多く
の人を襲っていることを思い、不安な毎日を
送る人々のことが気になります。食べるもの
も十分得ることのできない人々も多くおられ
ると想像します。親戚や友達、また近所の人
たちでそのような状況の中におられる方を知
っていたら、必要なものを分け与えて、励ま
し合いましょう。イエス様、どうか、私たち
を助けてください。必要なものを与えてくだ
さい。私たちの心を力づけてください。お願
いします。アーメン。

「疎遠」

 食堂や銭湯に行くと、黙食、黙浴、と入り
口に書いてあるのが目に留まる。「マスクを
して、話はしないように」という行政からの
指導の中で、誰が苦しんでいるのか、ますま
す分からなくなっていく状況です。コロナが
問題になる前でも、多くの人は、他の人と関
わりを持つのは苦手。コロナが続けば、これ
からますます、人と人の関係が疎遠になり、
落胆と寂しさの中で生きる多くの人が出るこ
とは確かだと思います。親しい友達とでさえ、
関わりが薄くなるのです。このような状況の
中で、意識的に自分で心がけ、自発的に、積
極的に自分にできる方法で、人との関わりを
強く保つことは、生きて行くのに必要不可欠
だと思います。このような状況になって初め
て、「人は、自分だけで生きていくものでは
ない」と気が付かされるのじゃあないでしょ
うか。いつの時代でも、人が助け合い、励ま
し合い、慰め愛し合い、お互いに憐れみ深く
あることは、神様の心です! 確かに、これ
らの事を口で言うことは簡単ですね。かりに、
心では助け合った方が良いと考えていても、
そうできない、そうしない、というのが、現
実かも知れません。神様、私たちを助けてく
ださい。

「人の心に書かれた神の性格」


 人は誰も、「困ってる人を助けてあげたほ
うが良い、励まし合い、慰めてあげた方が良
い、愛しあい、力づけ、優しく憐れむ心でい
たわってあげたほうが良い。」そういう気持
ちが心にあります。誰にでもです‼ 自分で
そのように考えようとしなくても、その気持
ちが、全ての人の心の中にあるのです。これ
は、神の奇跡の業です‼ それは、神の性格
なのです‼ そのことは、神が、人の心に、「神
が現実におられること」を示している一つの
方法です‼ しかし、人は、自分の心の中の
それが良いと思いつつも、そのようには生き
ないことが多いのです。それどころか、それ
とは反対に、悪いと知っていることをしてし
まうのです。人を悪く言ったり、あざ笑った
り、見下げたり、批判したり、馬鹿にしたり、
意地悪なことを言ったり、無視したり、いじ
めたり、ののしったりする。そのようなこと
は、何の努力もしないで、いとも簡単に、素
早く心の中で思い、口に出し、行動が取れる
のです。そのようにしようと練習したり訓練
したりしなくても、すぐできます。残念なが
ら、私もそうです。自分が、そうすることが
良いと思っていことをするのは、難しいこと
が多く、多くの場合やらないし、また、はっ
きり言ってやるのは不可能と思われます。あ
る程度できるように思えても、状況が変わっ
たり、自分の気分が変わったら、やる気は飛
んでいき、心からやるのは無理でしょう。し
かし、そのことも、「神が現実におられること」
を神が人の心に教えようとしている方法だと
思います。

聖書からの話「良きサマリヤ人」


 このことは以前にも書きましたが、もう一
度書かせてくださいね。アメリカで、時々、
テレビやラジオのニュースなどで、この言葉
を聞きます。「良きサマリヤ人」これは、聖
書のイエス・キリストの例え話から引用され
たものです。しかし、実際にイエスが言われ
たのは、「あるサマリヤ人」です。困ってい
る人に出くわしたある誰か知らない人が、す
ぐにその人を助け、その後、その場を去って
行ってしまい、その人が誰だったかもわから
ない、そのような人のことを「良きサマリヤ
人」と言うようになったみたいです。
 その聖書の箇所を書いてみますね。

……ある律法の専門家が立ち上がり、イエ
スをためそうとして言った。「先生。何を
したら永遠の命を自分のものとして受ける
ことができるでしょうか。」イエスは言わ
れた。「律法には何と書いてありますか。
あなたはどう読んでいますか。」すると彼
は答えて言った。「心を尽くし、思いを尽
くし、力を尽くし、知性を尽くして、あな
たの神である主を愛せよ。」また「あなた
の隣人をあなた自身のように愛せよとあり
ます。」イエスは言われた。「その通りです。
それを実行しなさい。そうすれば、命を得
ます。」しかし彼は、自分の正しさを示そ
うとしてイエスに言った。「では、私の隣
人とは、誰のことですか。」
 イエスは答えて言われた。「ある人が、
エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に
襲われた。強盗どもは、その人の着物をは
ぎ取り、殴りつけ、半殺しにして逃げてい
った。たまたま、祭司(ユダヤ教の神事を
する人)が 1 人、その道を下ってきたが、
彼を見ると、反対側を通って過ぎて行った。
同じようにレビ人(祭司を助ける役の人)
も、その場に来て彼を見ると、反対側を通
りすぎて行った。ところが、あるサマリア
人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見
てかわいそうに思い、近寄って傷にオリー
ブ油とぶどう酒を注いで、包帯をして、自
分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱
してやった。次の日、彼はデナリを 2 つ
取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介
抱してあげてください。もっと費用がかか
ったら、私が帰りに払います。』この 3 人
の中で誰が、強盗に襲われた者の隣人にな
ったと思いますか。」彼は言った。「その人
にあわれみをかけてやった人です。」する
とイエスは言われた。「あなたも行って同
じようにしなさい。」(ルカ 10:25 〜 37)

 「……たまたま」、と祭司の場面にあります
が、それは、サマリヤ人の場面でも同じで、
たまたまサマリヤ人も、強盗に襲われたその
人に出くわしたのです。……そのことは、「い
つ起こるかわからない、すなわち、どんな時
でも」助けることを言っているのです。そし
て、「あるサマリヤ人」というのは、良い人
とか悪い人というのでなく、誰でもみんな、
そうするのが当たり前のことですよ、と言っ
ているのです。
 しかし、「俺は、どうなん?」

「私はちゃんとやってるしぃ!」

 後半の部分は、イエスの例え話です。その
例え話をした経緯があります。それは、その
律法の専門家が、自分の正しさを示そうとし
てイエスに言った言葉からです。「私は、そ
のようなことはちゃんとやっていますよ。」
みたいな。そこで、イエスは、神を愛するこ
とと、隣人を自分のように愛することがどの
ようなことかを、その例え話で説明したので
す。「愛しなさい。」という言葉が 2 回出ます。
神の律法は、「神を愛しなさい。」そして、「隣
人を自分のように愛しなさい」です。ここで、
イエスは何を言いたいのでしょうか?「神を
愛す」と言うのは、具体的にはどう言うこと
なのでしょうか? 聖書の別の箇所に、「神を
愛するとは、神の命令を守ることです。その
命令は重荷とはなりません。」とあります。
神を愛していれば、神が言われるように生き
たいですよね。
 だから、神を愛するとは「神が、言われる
ように、神が、人に望まれるように生きるこ
と。」だと思います。

「知ってることを実行しなさい。できる?」


 この律法の専門家はイエスの二つの質問に
正しく答えました。それは彼が、神のやって
ほしいことを、すでに、知っていたというこ
とでしょう。そのことって、なんだか、私の
ことみたい。知ってはいたが、やらなかった
のです。できなかったのです。
 しかし、イエスは、「それを実行しなさい。」
「あなたも行って、同じようにしなさい」と
言いました。
 「えーーーっ!」「はたして、そんなことが、
人に、できるでしょうか?」しかし、イエス
は私たちにそんな命令をしました。そのこと
を通して、神は人に考える機会を与えてくだ
さっているのです。
 それは、神の前に、自分の行いによって正
しいと認められる人は誰もいない。神の望ま
れることを、自分の力ですることは不可能な
のです。しかし、「人にはできなくても、神
には何でもできるのです。
」と、イエスは言
われます。そのことは、神に罪を赦され、神
の愛をもらった者に、そのもらった愛と力で、
神の望むことをさせると言うのです。だから、
神の命令は、重荷とはならないのです。」現
実です。それは神業です。世の人々は、それ
を見て、どたまげるのです! そして、その時、
世の人々が、創り主なる神の存在の現実を考
える時となるのです。
 「捜しなさい。そうすれば見つかります。
この言葉は、全ての人に、間違いない、イエ
ス・キリストの約束の言葉です。

ハワイのこと「ジミー」


 このレターを読まれている方で、「ジミー
は、あれからどうなったんですか?」と、何
人かの方から尋ねられたので、少しお知らせ
しますね。
 ジミーのことは初めての方に簡単に説明す
ると、カリフォルニア・サンディエゴ生まれ。
現在、29 歳の青年。4 歳の時、裁判所の命令で、
2 歳上の兄と一緒に両親と別居し、ワシント
ン DC(東海岸)のおじさん夫婦のところに
預けられる。以後 18 歳まで、ひどい DV の
中で過ごし、高校を出るとすぐに家を出てホ
ームレス。すでにドラッグをやっていた兄か
ら彼もドラッグを習い、ホームレスのまま、
5 年間一人、カリフォルニアまで流れる。ド
ラッグの金やバイトの金で、2015 年、ハワ
イ島のコナに来る。そこで、ホームレス生活
を 4 年。2019 年、200 キロ離れた島の反対
側の町、パホアに、一人徒歩で着。パホアは
ドラッグをする人とホームレス人が多い。
 同年 3 月、私、「ブリキ小屋のパン屋」で、
彼に会う。そこは、日曜日「グラスルーツ(草
の根)教会」になる。その時、すでに、ドラ
ッグのせいで、ジミー、歯が一本もない。
 彼と仲良しになった。週3日くらい彼と会
う。私の仕事も手伝ってもらい、2019 年秋
に私が日本に出発する前の日、ドラッグをや
めるのを助け、また、仕事、住居を得られる
よう援助する団体に入れてもらった。1 年計
画。そこからの話。

「ジミー、本土へ」


 私が、日本に行った 2 週間後、ジミーは、
夜中、その施設から勝手に抜け出し、翌日、
教会の友達から飛行機代を借りて本土に飛ん
だ。それから長く連絡が途絶える。2020 年
3月、本土のホームレス・シェルターの施設
の人の携帯で彼と話す。ハワイに戻りたいと
言う。「今、コロナだから、帰らないほうが
良い。」と伝えた。

「帰ってきたジミー」


 6月。パホアの教会の牧師から、ジミーを
見たと連絡があった。コロナで教会での礼拝
中止中。皆コロナを警戒していた。私は、ま
だ、彼に会わないほうが良いと思っていた。
2021 年2月。牧師から電話。ジミーが、ど
うしても私に会いたいと言って教会に来たと
連絡。私も会いたい。翌日、パン屋に行って
ジミーのことを尋ねたら、何度か見たが、ど
こにいるか分からないという。パホアの町の
通りに出て、「ジミー知ってる? 歯が一本も
ない痩せた青年だけど。」3人目に尋ねた女
性が、「知ってるよ。彼、ヌード・コロニー
に住んでるよ。」「エッ、ヌード・コロニー?
俺もそこに行けるんかなー?」「行けるよ。
カラパナ・ハイウェイの 13 マイル・マーカ
ーの立て札が立ってるとこよ。」「俺も、服脱
がなきゃいけないんかな?」彼女は、黙った
まま微笑んだ。
 その場所は、パホアから車で 10 分くらい
のところだった。ハイウェイに面したゲート
を入り、でこぼこで岩だらけの道をゆっくり
3 〜 4 分運転した。あたりはジャングルで、
誰一人いない。もうしばらく運転していたら、
道路のかなり向こうから、金網のフェンスの
ロールを肩に担いだ、真っ裸の男がこっちに
向かって歩いて来る。彼に聞いたら分かるだ
ろう。彼が車のそばに来た時、よく見ると、
何と‼ 「ジミーやーー!」彼も私に気付き、
ちょっと恥ずかしそうに、半分私に背を向け、
「オーノー!」と一言。また振り向いた彼の
顔は、あの無邪気で歯無しの大きな口を開け
た笑顔だった。私も嬉しくてたまらなかった。
それまでの経緯をいろいろ話してくれた。ジ
ミーはとても健康そうに見えた。アイス(強
いドラッグ)はやめて、もうやらないと言っ
た。イエス様、ありがとう。
 以来、私が、今回日本に来るまで、週に2
〜3日会って、一緒に聖書を読み、お祈りし
て、食し、ドカタの仕事を私と一緒にしても
らっている。ジミーのために祈ってくださっ
ておられる皆さん、ありがとうございます。


 神は、実に、そのひとり子をお与えにな
ったほどに、世を愛された。それは御子を
信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちをもらうためです。
(ヨハネ 3:16)





 最後まで読んでくださって、ありがとうご
ざいます。今まだ大変な中ですが、イエス様
が、続けて皆さんを恵み、祝福してください
ますように。







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2021/5/13

(4月のニュースレター)




 皆さん、元気でしょうか? 春が来ました。
ゴスペル・レターも来ました。多くの人とは、
これだけが繋がりなのです。毎日、いろんな
問題、悩み苦しみ、不安に恐れ、怒り、落胆、
空しさ、面倒、ム・カ・つく―ッ、があるか
もしれませんが、それでもまだ、希望があり
ます。無くならない希望です。それは、ゴス
ペル・神のあなたに対する愛です。その愛を
心にもらう時、あなたの内側から、全ての問
題を超える、神の喜びと平安がわき始めます。


ハワイの話 『イノシシ』3 月号の続き


  『まだ、書くんですか?』『ん〜〜、一応、
書き終えたいんですね。』
 イノシシの家族が増えるのは早い。又、新
しい家族が出てきた。色は、大体黒色ですが、
中には、白と黒の混ざったやつ、それに、普
通の豚みたいなのもいる。9 匹の子供を持つ
新しい家族が来るようになった。箱罠に入ら
ない。昼間、見てると、子供達は、犬の子が
庭で遊ぶように、しっぽをくるくる回しなが
ら、地面を掘ろうとする。あるやつは、仰向
けで寝っ転がってる。鬼ごっこをしてるやつ
もいる。親は思いっきり掘ってる。スコープ
の真ん中に親の頭を合わせた。引き金を引く
直前、どうしてもイノシシからずらせて引き
金を引く。複雑気分。やつら、その音で、藪
に一目散。これを何日かやってると、子供
は逃げなくなった。音を聞くと、ちょっと頭
を上げるだけで、又、掘り出す。うう、。裏
庭の家族は大きいのばかり。深く掘り、範囲
も広い。『よし、今度はマジ撃つ!』しかし、
ライフル片手に裏庭まで行ったときには、皆
逃げていない。それで、私は、インスタント・
スナイパー・ブース(即席狙撃小屋)を作っ
た。150x150x200 の箱だ。(山口の私の録音
ブースと大体同じ大きさやん、げっ!笑)
 陽が落ちる前頃から、私はそこに入っ
て、やつらが出るのを待つ。『ここからなら、
30-40 メートルだ。当たる!』自分はそのつ
もり。何回入ってただろう? 3、4日。ブー
スの中からイノシシを見たのは、1回だけだ
った。うう……。しかし、皆さん、この2年
の間に、私が何頭のイノシシを獲ったと思い
ますか? 子供も含めて、何とーっ! 29 頭!!
ゲーーッ! でしょ! その内、箱罠で獲った
のが 28 頭。最後に獲った一頭は、脅しで撃
った私の弾に当たりに来たやつです。3 か月
くらい前でしょうか、車庫の所から、裏庭に
いる青年サイズのイノシシが見えた。脅して
やろうと、ライフルを出した時には、すでに
藪の中。でも、まだ藪が揺れている。で、そ
の辺に一発撃ったんです。すると、ギャー!
ギュウギュウー!! えっ! 当たったん ?? げっ
ーー!! マジでぇ〜〜? その声は5秒くらい
でやんだから、怪我して逃げたなと思った。
でも、待てよ。あれでも、と思いチエックに。
もし怪我で、まだそこにいたら襲われると思
い、トラックで近くまで行った。何と、100
ポンド(45 キロ)くらいの雄のイノシシが
既に死んで転がっていた。えっ? 22 口径で!?
『肺か心臓に当たったんですね!』と向井さん。
向井さんは、近くに住んでる日系 3 世の知
り合いで、毎回、イノシシが獲れて電話したら、
処分して持って帰ってくれる。彼は 45口径の
ピストルで処分し、血抜きして持って帰る。
さばいたのを何回かもらって食べました。
おいしい! この 1 か月くらい、近所でも
鉄砲の音を何回か聞いた。あー、だから、
しばらくイノシシ見ないんだなぁ。
 

 今回は、イノシシの話で長くなってしまい
ました。私、テンション高く、一人で盛り上
がったかも、笑。一つ思い出したのですが、
私が照準を合わせたとき、ドアを撃ったでし
ょ。あの後、そのドアをしまう時に気が付い
たんですが、22 口径の弾は、その普通の木
のドア(太鼓じゃないドア)を突き抜け、後
ろの一輪車の鉄板も突き抜けていました。タ
マゲタ!
 ここに書いたことは、私の趣味じゃあなく
て、ここでの生活で経験する、やらんといけ
んことなのです。






聖書の話  『創世記 1 章 1 節』の続き(先月号の最後の所です)


 私は自分に尋ねてみたのです。
 『全てのものを造った造り主の神はいな
い!と、言い切れる私の根拠、理由は何なの
か?』と。その時まで、そのような問いは、
私の頭を一度もよぎったことがありませんで
した。……そこからの続きです。
 私は、その事をしばらく考えていました。
そして、二つの理由に達しました。一つは、
私が学校で進化論を習ったからです。私が理
解していた進化論は……生物が何もいなかっ
た地上(水中)に、ある時、自然に、又、偶
然に発生した単細胞生物が、だんだん進化し
ていき、ありとあらゆる複雑な生き物になり、
長い時間の後、その中のある生き物が人間に
なったと。もう一つは、私が、天と地の全て
を造った造り主の神を知っている人を(家族、
友達、知人等)、誰一人、個人的に知らなか
ったから。その事は、言い換えれば、『学校
で習ったから、進化論は間違いない。』と『造
り主なる神を知ってる人が誰もいないから、
それは事実じゃない。』でした。
 私は、又、しばらく考えていました。そし
て、あらためて、自分に尋ねたのです。『そ
の二つの理由で、造り主なる神が、絶対存在
しないと、100 パーセント言えるか ??』と。
 答えは、『NO』 でした。絶対いないと言え
ない自分は、自分に素直な心でした。そう思
うと、私は、『もし、創造主なる神が本当に
存在したら知りたい!! 』と、思いました。そ
れよりもーー、もし、それがほんとなら、い・
ち・だ・い・じーーー !!! エーーーっ !!! 嘘や
ろーー !!! 俺は、洗脳されつつあるのか ???!!!
 もし、それが本当なら、『天地がひっくり
返る !!! x 10000……』と思いました。いや、
天地だけが、創造主によってひっくり返えさ
れるのじゃあなくて、私自身も、私の人生も
ひっくり返される!と。私は、それまでもそ
うでしたが、このことに関しても、他の人の
ことは全く考えませんでした。そして、この
ことを誰にも話しませんでした。自分一人で
その事に直面していました。このことに関し
て他の人のことを考えるようになったのは、
もっと後になった時でした。昔の自分が出て
きたのです。『もし仮に、このことが本当で、
俺が、創造主がいるのを知って、そして、そ
の事を他の人に話したら、他の人から、俺
は、どんなに思われるのか?』『当然バカに
されるな。』『えっーーー? 日本の国のほと
んど全ての人を敵に回して、俺一人で立つこ
とになるのか?(大げさのようですが、私に
はマジでした)』『家族、親戚、友達、それに
全ての知人がいる反対側に一人で立つことに
なるんやな。』『おいおい、あれどうなったん
だ ?? 自分に正直に生き、他の人の目と耳を
気にしないで生きる? あのおまえは、何処
へ行ったんや??』 私は、しばらく頭の中
が変になりそうでした。でも、これが、前回
のレターで私が書いた、『本当のことを知る
為には、何も要らないのですが、自分の全て
がかかるのです。』でした。その事は、全て
の人にとって同じです。つづく……。



今日の聖書の話 『イースター』



聖書のゴスペルメッセージ(良いお知らせ)
が基づく、新約聖書での出来事の2つ。
1.神が人となって(イエス・キリスト)こ
の世に生まれたこと。これはよく知られてい
るクリスマスの出来事です。
2.イエス・キリストが、私達、全ての人の
罪の罰を代わり受け、十字架の上で死んで、
3日の後に、預言どおり、よみがえられたこ
と。イースター(復活祭)という呼び名の、
死人からの復活の出来事です。
 その事が、新約聖書の最初の 4 つの書(ゴ
スペル = 福音書)に 4 人の別々の人によっ
て記録されています。丁度、今年は、イース
ターが 4 月 4 日に当たり、皆さんがこのレ
ターを受け取られる頃でしょうか。
 クリスマスもイースターも、それらがその
日に起こったという事ではなくて、当時記録
されたその出来事を知らせようと、誰かが決
めたんですね。私は、毎日がそうであって
も良いと思ってますが、笑、でも、マジで
……。今日は、聖書に記録されているままの
流れを、私なりに抜粋して紹介します。
ヨハネとマタイの福音書から(最後の晩餐の
後)
ヨハネ 18 章 1-5 節 イエスはこれらのこ
とを話し終えられると、弟子たちととも
に、ケデロンの川筋の向こう側に出て行か
れた。そこに園があって、イエスは弟子た
ちといっしょに、そこにはいられた。とこ
ろで、イエスを裏切ろうとしていたユダも
その場所を知っていた。イエスがたびたび
弟子たちとそこで会合されたからである。
そこで、ユダは一隊の兵士(600 人)と、
祭司長、パリサイ人たちから送られた役人
たちを引き連れて、ともしびとたいまつと
武器を持って、そこに来た。イエスは自分
の身に起ころうとするすべてのことを知っ
ておられたので、出て来て、『だれを捜す
のか。』と彼らに言われた。彼らは、『ナザ
レ人イエスを。』と答えた。イエスは彼ら
に『それはわたしです。』と言われた。
12 節 そこで一隊の兵士と千人隊長、そ
れにユダヤ人から送られた役人たちは、イ
エスを捕えて縛り、まずアンナスのところ
に連れて行った。
24 節 アンナスはイエスを、縛ったまま
で大祭司カヤパのところに送った。
マタイ 26 章 59 節 さて、祭司長たちと全
議会は、イエスを死刑にするために、イエ
スを訴える偽証を求めていた。
62 節 そこで、大祭司は立ち上がってイ
エスに言った。『何も答えないのですか。
この人たちが、あなたに不利な証言をして
いますが、これはどうなのですか。』しか
しイエスは黙っておられた。それで大祭司
はイエスに言った。『私は、生ける神によ
って、あなたに命じます。あなたは神の子
キリストなのか、どうか。その答えを言い
なさい。』イエスは彼に言われた。『あなた
の言うとおりです。』
65 節 すると、大祭司は自分の衣を引き
裂いて言った。『神への冒瀆だ。これでも
まだ、証人が必要でしょうか。あなたがた
は、今、神をけがすことばを聞いたのです。
どう考えますか。』彼らは答えて、『彼は死
刑に当たる。』と言った。
67-68 節 そうして、彼らはイエスの顔に
つばきをかけ、こぶしでなぐりつけ、また、
他の者たちは、イエスを平手で打って、こ
う言った。『当ててみろ。キリスト。あな
たを打ったのはだれか。』
27 章 1 節 さて、夜が明けると、祭司長、
民の長老たち全員は、イエスを死刑にする
ために協議した。それから、イエスを縛っ
て連れ出し、総督ピラト(ローマ帝国のユ
ダヤ州総督)に引き渡した。
11-12 節 さて、イエスは総督の前に立た
れた。すると、総督はイエスに、『あなた
は、ユダヤ人の王ですか。』と尋ねた。イ
エスは彼に『そのとおりです。』と言われた。





しかし、祭司長、長老たちから訴えがなさ
れたときは、何もお答えにならなかった。
15 節 ところで総督は、その祭りには、
群衆のために、いつも望みの囚人を一人だ
け赦免してやっていた。そのころ、バラバ
という名の知れた囚人が捕えられていた。
17-18 節 それで、彼らが集まったとき、
ピラトが言った。『あなたがたは、だれを
釈放してほしいのか。バラバか、それとも
キリストと呼ばれているイエスか。』ピラ
トは、彼らがねたみからイエスを引き渡し
たことに気づいていたのである。
20-23 節 祭司長、長老たちは、バラバの
ほうを願うよう、そして、イエスを死刑
にするよう、群衆を説きつけた。しかし、
総督は彼らに答えて言った。『あなたがた
は、ふたりのうちどちらを釈放してほしい
のか。』彼らは言った。『バラバだ。』ピラ
トは彼らに言った。『では、キリストと言
われているイエスを私はどのようにしよう
か。』彼らはいっせいに言った。『十字架に
つけろ。』だが、ピラトは言った。『あの人
がどんな悪い事をしたというのか。』しか
し、彼らはますます激しく、『十字架につ
けろ。』と叫び続けた。
26-27 節 そこで、ピラトは彼らのために
バラバを釈放し、イエスをむち打ってから、
十字架につけるために引き渡した。それか
ら、総督の兵士たちは、イエスを官邸の中
に連れて行って、イエスの回りに全部隊を
集めた。そして、イエスの着物を脱がせて、
緋色の上着を着せた。
29-31 節 それから、いばらで冠を網み、
頭にかぶらあせ、右手に葦を持たせた。そ
して、彼らはイエスの前にひざまずいて、
からかって言った。『ユダヤ人の王さま。
ばんざい。』また彼らはイエスにつばきを
かけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたい
た。こんなふうに、イエスをからかったあ
げく、その着物を脱がせて、もとの着物を
着せ、十字架につけるために連れ出した。
35-36 節 イエスを十字架につけてから、
彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、
そこにすわって、イエスの見張りをした。
39-46 節 道を行く人々は、頭を振りなが
らイエスをののしって、言った。『神殿(ご
自分の体)を打ちこわして、三日で建てる
人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。
十字架から降りて来い。』同じように、祭
司長たちも律法学者、長老たちといっしょ
になって、イエスをあざけって言った。『彼
は他人を救ったが、自分は救えない。イス
ラエルの王さまなら、今、十字架から降り
てもらおうか。そうしたら、われわれは信
じるから。彼は神により頼んでいる。もし
神のお気に入りなら、いま救っていただく
がいい。「わたしは神の子だ。」と言ってい
るのだから。』さて、十二時から、全地が
暗くなって、三時まで続いた。三時ごろ、
イエスは大声で、『エリ、エリ、レマ、サ
バクタニ。』と叫ばれた。これは、『わが神、
わが神。どうしてわたしをお見捨てになっ
たのですか。』という意味である。
50 節 イエスはもう一度大声で叫んで、
息を引き取られた。
57-60 節 夕方になって、アリマタヤの金
持ちでヨセフという人が来た。彼もイエス
の弟子になっていた。この人はピラトのと
ころに行って、イエスのからだの下げ渡し
を願った。そこで、ピラトは、渡すように
命じた。ヨセフはそれを取り降ろして、き
れいな亜麻布に包み、岩を掘って作った自
分の新しい墓に納めた。墓の入り口には大
きな石をころがしかけて帰った。
28 章 1-6 節 さて、安息日が終わって、
週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤ
と、ほかのマリヤが墓を見に来た。すると、
大きな地震が起こった。それは、主の使い
が天から降りて来て、石をわきへころがし
て、その上にすわったからである。その顔
は、いなずまのように輝き、その衣は雪の
ように白かった。番兵たちは、御使いを見
て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のよ
うになった。すると、御使いは女たちに言
った。『恐れてはいけません。あなたがた
が十字架につけられたイエスを捜している
のを、私は知っています。ここにはおられ
ません。前から言っておられたように、よ
みがえられたからです。来て、納めてあっ
た場所を見てごらんなさい。……』
 私は抜粋して書きましたが、もっと詳しく、
聖書に記されています。どうか、ご自分で読
んでみてくださるよう、お願いします。聖書
を希望される方は、メールか手紙、又はファ
ックスで、連絡してください。プレゼントさ
せていただきます。
 今回のレターで紹介した出来事は、このこ
とが起こる約 700 年前に、預言者イザヤと
いう人を通して、神は知らせていました。
イザヤ書 53 章 5-8 節 しかし、彼は、私た
ちのそむきの罪のために刺し通され、私た
ちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめ
が私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷に
よって、私たちはいやされた。
 私たちはみな、羊のようにさまよい、お
のおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に
負わせた。
 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、
口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊
のように、毛を刈る者の前で黙っている雌
羊のように、彼は口を開かない。
 しいたげと、さばきによって、彼は取り
去られた。彼の時代の者で、だれが思った
ことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪
のために打たれ、生ける者の地から絶たれ
たことを。



 ある歌の一節を、今、思い出しました。
 『わずかなこの世での いのちのなかで
 人が知るべき良い知らせを 聞きました
 全てを造られた 神様の愛を
 ここは、人生の途中の 道の駅
 ここは、旅の途中の 道の駅』♪
 



 イエス様の御心なら、又、皆さんと、会
いたいですね。



のぼる












ザ・デイ / 森繁 昇
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0

2015/12/8

 皆さん、元気でしょうか? 11 月も末というのに、まだ暖かいんですか? 
でも、寒さは急に来るんでしょうね。どうか風邪ひかないように気をつけてくださいね。
 
来ましたよーー! 又、Good news letterが。

長いですよ! 真剣です! 現実です! それは人間以上です。
どうか、あきれないで、最後まで、よろしく付き合ってくださいね。


暗闇の力が押し迫る中で光る、イエスの『良いお知らせ』
 
 聖書を読み始めた頃から私は感じていたのですが、聖書に書かれていることは、宗教ではありません。それが教えではないからです。このことは、前にも書いたと思いますが、それは“Gospel” “Good news” お知らせです。そして、それは、『良いお知らせ』なのです。今日も、聖書に書かれていることを基に書かせてください。

創世記・天地が創られた経緯
 
天地の全てを創られた造り主の神がおられ、私達一人ひとりは、神の目的にしたがって創られました。ですから、それぞれの人に、その人だけにしかできない神の目的の人生が用意されているのです。創世記1 章1 節『初めに、神は天と地を創造した。』から始まり、創り主の神は、全ての生きものを、それぞれ種類にしたがって創ったのです。その後、それらを支配させるために人間を創ったと記されています(創世記1:26)。神は、人間を、神に似るように、神のかたちに創ったと書いてあります(創世記1:26-27)。これは、進化論がいう、何も生物が存在しなかったところに、ある日、偶然に発生した単細胞(アメーバー)が、だんだん進化して、ミミズ、魚、かえる、ワニ、犬、豚、馬、猿、のように進化し、その後、その猿のようなのが森繁になったというのとは全く違うのです。 

神に似せて創られた人間

 聖書に記されている多くは、創り主の神と神に創られた人間との関係が書かれている歴史書ですね。『良いもの』として神に創られた最初の人間が、神の言いつけに逆らったことにより、人も地も、『のろわれたもの』となったのです。それ以来、人はしてはいけないことをするようになりました。しかし、人間は、神に似せて創られたので、まだ、神の性格を持っているのです。その一つは、人間だけが、善悪の判断ができるということです。他のどの生き物にも、その能力はないのです。人間だけが、神に似せて創られたからです。善悪だけでなく、意思や感情、又、思考力も神に似せて加えられたのだと思います(もちろん親の教えもありますが)。善悪は、他の誰から教えられなくても、全ての人が物心がつくころから、だんだん分かるようになるのです。これはすごい!!ことですね。

善悪
 
ここに、二つのものがあります。善と悪です。おとぎ話に聞こえるかも知れませんが、この世には、神と神に逆らう悪の力が存在することを、聖書の一番最初のほうではっきりと説明しています(創世記3:1)。そして、最初の人間が神に逆らう誘惑にあい、神に逆らってしまったのです。神に逆らうことを『罪』といいますが、その時から初めて、何が罪か人に分かるようになったのです。日本では、『創り主』という知識がほとんどないので、罪というと『犯罪』のように思いますが、聖書でいう罪とは、創り主に逆らうことです。犯罪はこの世の法律に逆らうことですからね。英語では、これらは、はっきりした二つの言葉です。神に逆らう罪はsinで、人間の法律に逆らう罪はcrime です。

良心
 
私の考えですが、人が善悪の判断ができることを、一般に人は『良心』があるからと言うみたいです。神の性格が人の心に書いてあって、それは『神の決まり』のようなものだと思います。それが人の心に書かれていることによって、何が善で、何か悪か、基本的に誰にも判断することができるのです。誰の説明を受けなくても、幼子から年寄りまでそれ
が分かるのです。そのことを、『神は人の思いに(心に)神の決まりを書き付ける』(旧約聖書エレミヤ書31:33-34、ヘブル人への手紙10:16)や『彼らはこのようにして、律法の命じる行い(神の決まり)が彼らの心に書かれていることを示しています。』(ローマ人への手紙2:15)
のように、言っています。

決まりは、違反を表すもの?
 
一般に『決まり』というと、次に来る言葉は、『守る』か、『破る』のどちらかでしょうね。
日頃は考えていませんが、人の心の中に書いてあるその『決り』を破ると、なんか悪い気がして、多少たりとも罪悪感があるものです。それは、自分の心に書かれてある『神の決まり』は、良いものと、自分で認めているからでしょうね。だから、心に書いてあるこの決まりのことを人は『良心』と呼ぶようになったんじゃあないかと私は思うのです。それに、この良心(神の決まり)が、人の心にあるので、人は『自分は良い人だ』と思うのかもしれませんね。
 しかし、心の中に書かれた『神の決まり』があるばっかりに、それを『破ってしまう』ということが起こります。その決まりがなければ、破るということさえ存在しないのですが、その決まりがあることで、それを守れない自分が、『違反者』であることに気づかされるのです。へーーーー!
 
どうでしょう、 この決まりを、路上に立ててある制限速度の看板と仮定してみましょう。あの丸の中の、50 って書いてある立て看板がなければ、仮に100 キロで走ってもいいのです。何の問題にもなりません。しかし、その看板が立ってるばかりに、それ以上で走ると罪悪感じゃなく、おまわりさんから罰金の切符をもらうことになるのです。その道路を80 キロで走っても、罪悪感はないかもしれません。しかし、その決まり(法律)を破れば、罰があるのです。『決まりは違反を表すためのもののようですね。』へー。

それと同じように、心の中の決まりを破れば、もちろん罰があるということでしょう。
スピード違反の罰金なら、払ってしまえばすんでしまうことです。しかし、心の中の決まりを破れば、地獄で、永遠に滅んでしまう罰があるというのです。えーー!! そして、全ての人は、到底数えきれないほどの回数、心の決まりを破って生活してきたのです。それは、アダムとイブ以来、人は罪人だから罪を犯すようになったからです。人は、自分の罪のせいで、守った方が良いと知っている心に書いてある決まりも、多々、守れないのです。
 
『心の罪って、そんなに悪いもんじゃないでしょう? 誰だって、チョッとくらいは嘘もつくし、ごまかしたり妬んだりするでしょ? それって、人間なんだから、当たり前なんじゃない?』と皆さんは言うかもしれませんね。実は、私もそう思っていたのです。そして、昔私は、創り主の神がいるなんて、チャンチャラおかしくて、そんな話はバカにしていました。 

『自分が良けりゃ、それでいいんだ!』
 
聖書に、『……自分の兄弟に向かって……「ばか者」と言うような者は燃えるゲヘナ(地獄)に投げ込まれます。』というのがあります(マタイ5:22)。よく考えてみてください。自分が、人を『バカ』と呼び捨てるときの、あの気持ちを。一瞬かもしれませんが、あの時の心は、『こいつはカスだ。何の価値もないカスだ!いなくてもいい!』みたいに、見下して抹殺しているのじゃないでしょうか(いつもじゃないにしても)。しかし、私達は幼い頃から『人をバカと言う者がバカですよ。』とか『人を、バカなんて言っちゃあいけませんよ。』と、教えられたのです。日頃から人を『バカ!』と呼んでやろうなどとは、考えてはいないのです。そんなことは、頭をよぎったこともないのです。しかし、何かが起こるか、何かが変わると、その時、相手を『バカ』と、呼び捨てる自分に変わるのです。『これは何なんですか???』

嘘は泥棒の始まり

『私は嘘をつく時があっても、泥棒はしない』と、ほとんどの人が思っているでしょう。確かに。しかし、ここで言っているのは、嘘より泥棒のほうがもっと悪いと言ってるのじゃなくて、悪いと知っていて嘘をつく人の心は、『私が良けりゃあ、悪くても良いんだ』という心で、その悪はとどまるところがないと言っているのです。泥棒はするし、人殺しまでする可能性を持っていると言っているのです。全ての人が罪という『殺人鬼』の素質を持っているのです。

世界中に広がる人殺し、テロリズム

先月フランスでのテロ事件で、さまざまの国や部族が、国ぐるみ、又、部族ぐるみでやってる人殺しの状況が、世界中にもっとあらわになりました。『まさか、国がそんな人殺しはしないでしょう?』なんて思うのは、本当にナイーブです。全ての人は、罪人なので、人を殺すのです。そして、自分も『罪人』の一人なのです。えっ? 私も? 1973 年のある日、『創り主の神が、もし、本当にいるなら知りたい』と叫んだ時、神は私の心の中を暴き、恥ずかしく恐ろしい、私の心の中の罪の本質を私に示したのです。そして、私は『神様、私をあわれんでください。』と叫んだのです。『宗教は怖い。宗教の違いで、人が殺し合うんだからね。』よく聞く言葉ですね。宗教は人(罪人)が作った教えにすぎず、その指導者たちは、彼らが拝む神々や人、又、ある人の教えの理由で、状況が変われば、人を殺すこともするのです。それが宗教です。人(罪人)が作った教えだからです。このことを話すと、キリスト教徒で作った十字軍がやった人殺しのことを、時々私は尋ねられます。本当に邪悪なことでした。十字軍のほとんどの人は、キリストも神の愛も知らない殺人鬼だったと私は考えます。確かに、この世は邪悪で満ちてきますが、創り主の神を愛する者は、イエスの名を盾に、人を殺すことはしないのです。人を殺すのは、神の御旨ではないのです。

神の愛をもらった人にはそれが分かるのです。『じゃあ、自分を守るために、人を殺さなければ
いけない状況になったら、あなたは、どうするんですか?』と、聞かれることがあります。今しばらく、邪悪が起こるのは避けられません。しかし、クリスチャンはイエスが言われたように、そのような状況が起こる前に、いつも、イエスにお願いするのです。『私達を、人を殺さなければならないような状況の試みにあわせないでください。そして、どうか、私達を悪いものから救い出してください。』『あなたから頂いた愛で、敵をも愛させてください。』『どうか、私達を通して、あなたの愛と救いが人々に知れるようにしてください。』と、神のあわれみをお願いするのです。神は生きています。

神は罪人を愛しています。
 
神は、人を造りました。しかし、人は罪を犯し神から離れ、人を殺すようになりました。
そして今も続いています。神に逆らった最初の人、アダムとイブの子どものカインは、弟のアベルを殺したのです(創世記4 章)。しかし、神はまだこの世の人を愛しています。どうしようもない、罪人の私達を愛しているのです。

『神は愛なり』

神は、創り主であられる方なのに、自分を低くして、人間となってこの世に生まれ、永遠の滅びから人を救うために、自分からあの十字架の上で命を捨てたのです。人類の罪の罰を代わりに受けてくれたのです。ここに、宗教と『聖書の創り主の神』との違いがあります。悪い者を救うために、神自身が命を捨てる。これこそが愛です。だから、『神は愛なり。』というのは本当なのです。この愛を、初め人は知りませんでした。しかし、今はそれが明らかにされているのです。人は誰でも、知りたいと願えばこのことが分かり、心一つで神の愛をもらうことができるのす。この事は『信じます』と決断するのではありません。イエスの愛が本当だと神に示されたから、自分の意思でその愛を心にもらうことなのです。神は、イエスを、死んで3 日めによみがえらせました。それは、神の愛をもらって罪を赦された者も、この世での命が終わった後、天国で再びよみがえらせることが神にはできることを証明したのです。

『ナイーブであってはいけません。』

罪に対しては、ナイーブであっても、現在世界中で起こっている争いに関して、ナイーブであってはいけません。確かに日本は島国です。しかし、今、世界中で起こってる戦争を、『あれは他の国のことだけよ』とか、『日本は平和だよ』と安住して、『今日一日が楽しかったらいいじゃん』と遊興に明け暮れている時ではありません。『井の中の蛙』という言葉は、今、又、よく本を表しているかもしれません。人は神の愛をもらって、今の時代も生きるべきなのです。大丈夫です。危険や迫害や困難があっても大丈夫です。神と一緒なら、大丈夫です。

聖書の預言どおりに

聖書を買い求めるか、誰からか借りるか、それとも、図書館で借りるかして、新約聖書のマタイの福音書(新約聖書の一番最初の書簡)の、24 章を読んでみてください。そこに書かれてあることに似たことは、歴史の中で何度か起こりました。確かに、昔からそのようなことはあったのです。そして今、『生みの苦しみ』という言葉通り、暗闇の力の支配がクライマックスに近づいて来ていると言っても、言い過ぎではないと思います。しかし、まだまだこれからもっと、世界中は大混乱になるというのです。人は、その大混乱の中で、何をしたらいいか、また、自分で自分を守ることもできず、ただ恐怖に気を失うばかりになるでしょう。聖書のこの箇所に書かれていることは、2000 年近く前に、記されたイエス・キリストの言った預言です。今の世界をよく現していますね。その24 章を、何度も読んでみてください。そして、その後で、聖書の最初から、狂ったように読んでみるのです。
 『私にも、イエスの本当のことを教えてください。』と願って読む心に、神は神の真理の良い知らせを、絶対、教えてくださると、私は確信しているのです。これらのことが書かれているのは、人が救われるためなのです。
 暗闇の力がこれからますますふえ広がる中で、人はどのようにして生きていくべきでしょう? 私は、自分の人生をどのように生きたらいいのでしょうか?それは、『天地が創られた経緯』にも書きましたが……私達一人ひとりは、神の目的にしたがって創られました。ですから、それぞれの人に、その人だけにしかできない神の目的の人生が用意されているのです。もし、今日、心にイエスの語りかけを聞いたら、心をかたくなにしないで、神の愛をもらうのです。そして、神と一緒に、置かれたところで生きるのです。スゲーーーーーーーーーーー!人生が用意されています。 イエスは言ってくださるのです。『恐れなくてもいい。私が一緒です。』と。
 
『クリスマス、おめでとうございます!』
救い主が来てくださったのですから!!最後まで、読んでくださってありがとう。



12 月のコンサートです。
3 日 滋賀県高島市 0740-32-4059(白崎)
5 日ー6 日 北野田 072-235-0522(大岡)
8 日ー9 日 万座温泉 0279-97-3131
11 日ー12 日 函館 0138-51-8883(増井)
13 日 大阪和泉府中 0725-46-8113(田畑)
16 日 茨城県龍ヶ崎市 0297-84-1263(趙チョウ)
17 日 宮城県南三陸町 0225-96-1497(阿部)
18 日 宮城県亘理 0223-35-6235(熊田)
19 日 青森県平川市 0172-55-5373(中西)
20 日 青森県黒石市 0172-52-4661(伊丹)
20 日 青森市 017-766-8840(渋谷)









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