森繁昇からの手紙

 

2022/1/29


 今日もまた、新たに、優しいイエス様の愛
と、天国での永遠の命を下さった約束を思い
出して、心から感謝して、イエス様と、天の
父なる神様をほめたたえます。
 紀元 2022 年、あけましておめでとうござ
います。皆さん、元気でしょうか? 皆さん
が、心も体も、元気にしておられるのを心か
ら願っています。
 12 月になって特にバタバタしていた私の
心は、いつものように、『神様、私は何を書
いたら良いのでしょうか?』と叫ぶのです。
今回も、何を書くべきかわからないままで、
神様にそうお願いした後で、このレターを書
き出しました。紀元 2021 年、明けまして、
まで書いたら、「ちゃうやん、ちゃうやん!」
と気が付き、紀元 2022 年と書き直した時、
神様の恵みで、急に、書く心が励まされまし
た。イエス様ありがとう‼
 2021 年は終わるんや!(皆さんが、これ
を読まれる頃には、2021 年は、すでにうし
ろ)、後ろはうしろ! 済んだことは後ろ! 後
ろには戻れんど! 前にしか進まんのんや!
で、思い出した歌は、『前を見て走る! 振り
向かずにー! 初めて来た今日という日! ゴ
ールを目指し走る!』
 歳を重ねて生きる中で、「また今度やるよ」
というのは、急激に少なくなり、「今日」、「今」、
神様は、私に何をするように導いておられる
のか尋ねて進んでいくことを、また、真剣に、
考えさせられました。「母を温泉に連れて行
ってあげてたらよかった、早く姉も連れて行
ってたら良かった。」はもう後ろです!「ま
た今度」はないのです。だから、今日から
ですよ‼ 今からですよ‼ イエス様、どうか、
あなたの助けと導きを、今、この時から、よ
ろしくお願いします。
働きの変化
 去年 1 年の間、コンサートは 1 つだけで、
その他は、いくつか家庭でさせていただいた
集会やホームコンサートでした。それから、
新しいアルバムの録音のほかは、個人的に友
達を訪問したりしました。新しい働きのヴィ
ジョンも与えられました。今日は、ある方を
12 月に訪問した時のことを書きますね。そ
の事を通して、イエス様を話させてください。
I 姉妹
 最初に I 姉妹にお会いしてから 25 年?位
経つのでしょうか? 昔の事を思い出そうと
する私は、実際、もう、10 年前だったのか
30 年前だったのか、はっきり思い出せない
のです、うぅ! でも、OK ! 12 月に、そ
の方が住んでおられる介護付のホームに行き
ました。ご主人は何年も前に天国に帰られ、
姉妹お一人で住んでおられます。今はおさま
っているようですが、姉妹は癌の手術をされ、
また、腰の骨を折られ、歩いたり、座ったり
するのも容易ではない状況です。息子さんが
近くに住んでおられるので、数年前にこのホ
ームに引っ越して来られたのです。息子さん
は仕事がとても忙しいようで、会える回数は
少ないみたい。今回の訪問は、2度目で、そ
のホームに住んでおられるお友達のMさんも
一緒にロビーまで、手押し車で降りてきてく
ださいました。
 その場所は、たまげるほど立派なところで
した。車をとめた駐車場から建物の玄関が見
えます。「タカそう……」。自動ドアを入った
ら、天井の高い大広間があり、3 つのグルー
プの人々でも、別々に分かれて座れるよう、
椅子と長椅子のセットが3つ、スペースを十
分とって置かれていました。マジ、高級ホテ
ルです! 絶対、チョー、高いね!でも、誰
も座っていませんでした。
全ての人は、神様(イエス様)の愛が要
ります
 (ここからが、I 姉妹に書いた私の手紙の一
部です。)
 ・・・・・・・・。
 自分自身の罪のために永遠の滅びへ向かっ
ていた私たちを救うため、神御自身が人とな
ってこの世に生まれてくださり、時が満ち
て、十字架の上で私たちの代わりに、父なる
神様から罰を受けてくださったのです。その
身代わりの愛を感謝して心にいただいただけ
で、私たちの全ての罪は赦されました。神の
こと、神の愛のこと、罪の赦しのこと、天国
での永遠の命のこと、それらのことが現実で
あり、本当のことであると教えていただいた
のは、正に神の恵みであり神のミステリー(神
秘)でした。人間の理解以上です。
何という御愛でしょう!!
 私はその御愛を心から感謝していますが、
その御愛の偉大さは、私の想像力では、ほと
んどわからないと思います。しかし、私がイ
エス様を知りたいと心を開いた時、聖霊なる
神様は、私に神様の御愛を知らせてくださり、
私はその御愛に、全く圧倒されてしまいまし
た。それ以来、私は神様の子供として、父な
る神様に訓練され、こらしめられ、色んな試
練や問題を通して、イエス様に信頼して生き
ることを、イエス様に従って生きることを学
ばせていただきながら、今日になりました。
神様からの導きと助け、訓練はこれからも続
きます。私は、決して聞き分けの良い子供で
はありませんでしたが、神様は、恵みと、あ
われみと、忍耐をもって神様の子供達を養っ
てくださいます。
 神様は、私達が耐えられない試練には合わ
せず、おしおきは酷すぎず、弱すぎず、ちょ
うど良いもので、鍛えて下さいます。しかし、
それらのこらしめは、当座は喜ばしいもので
はありませんでした。聖書の中でパウロが言
った通りです。それでも、いろんなこらしめ
の中で、あわれみ深い神様は、私に、十字架
の上のイエス様を思い出させて下さったので
す。これからも、思い出させて下さいます。
十字架の上のイエス様を思い出すたびに、「神
様は、私によくしてくださらないはずがない」
と、私は励まされるのです。私を天国へ連れ
て行ってくださるために、父なる神様の一人
子のイエス様の命がかかったのですから。も
う一度!神様が私を天国に連れて行ってくだ
さるためにかかった犠牲は、ご自分の一人子
の命だったのです!!! 私は、今、これを書い
ていて、涙が溢れています。それほど良くし
てくださった神様の御愛に、圧倒されている
からです。
ホームでの出来事
 数日前、I 姉妹と M 姉妹に、ホームで会
えて本当に感謝でした。ほんの少しの時間で
したが、私は嬉しかったです。それと、その
施設で働いておられる人に会えたのも感謝で
した。4人の方がおられましたね。4人とも、
受付で働く人でした。他の人は誰もいないそ
のロビーで、ほんの数分間、マスクして小さ
な声で賛美歌を1曲、私たちに歌わせてくだ
さいませんでした。小さくハミングで、と
M 姉妹が提案してくださったのですが、そ
れもダメだと、4人で来られて言いましたね。
確かに、それがホームのルールなのかも知れ
ませんが、強い口調で、こんなことをするな
ら、ここには住めなくなると脅しましたね。
とても残念でしたが、でも、私は悪い気はし
ませんでした。15 分だけしか私はロビーに
いることはできないと聞いた時、それを知ら
なかったので、私はすぐ謝って、皆で外に出
ましたね。外は寒かったですが、3人で一緒
にイエス様にお祈りできました。本当に感謝
でした。
 それらの事の成り行きで、私はいろんなこ
とがわかり、考えさせられました。
 そのホームで働くその4人の方は、その時
までにも、お2人を意地悪くあしらい、いじ
めてきたことだろうと、その口調としぐさで
私は察しました。特にお年寄りを世話する仕
事なら、そこで働く人は、心から優しく、気
遣い、気配りして、肉体のことだけでなく、
利用者さんの心の安らぎと慰め、励ましのた
めに労するのはあたりまえです。実際、多く
の施設で、そのように優しく利用者さんをケ
アーして働いておられる方々は、たくさんお
られると思います。しかし、その時の4人の
方は、それとは全く反対でした。
私のこと
 残念なことですが、実は、私も昔、それと
同じような態度で、人に優しくしなかったり、
何度も意地悪したことがあるのです。私は、
人のことを悪く言えないのです。しかし、イ
エス様を知って、イエス様の愛をいただき、
全ての罪を赦していただいてから、私は、イ
エス様が喜ばれるように生きたいという心に
変えられていったのです。それは、全くイエ
ス様の恵みとあわれみの奇跡でした。時間は
かかりますが、イエス様が、その愛で、少し
ずつ私を変えてくださったのです。
 そこのホームで働くあの4人の方ですが、
イエス様の愛をいただかないならあの通りで
す。私も、イエス様無しなら同じだったので
す。あの4人の方はあのようにしかできない
のです。一階の玄関のすぐそばで、ホームに
入ってくる全ての人が一番最初に会う人たち
です。ある意味、ホームの第一印象の看板を
表す仕事の人たちです。しかし、残念なこと
でした。彼らの人生は、かわいそうな惨めな
人生です。ですから、私たちは、彼らに意地
悪や、いじめをされても、イエス様からいた
だいた愛とあわれみの心で、彼らに良くして
返すのです。それが、この世(罪で犯されて
いる人々の社会)で、私たちがイエス様とイ
エス様の愛を輝かさせる生き方です。まだ、
全ての人に、救いの希望があるのですから。
彼らもイエス様が必要なのです。
 もし、お2人がそこのホームで生活するこ
とが、イエス様の御心なら、そのように生き
ることが、お2人のイエス様からの役割だと
確信します。そして、そのように生きること
は、イエス様が私たちの心に下さった聖霊の
力(御心をさせてくださる力)を、使わせて
もらってできるのです。(ローマ人5:1〜5、
コロサイ人1:28、29、ヨハネ 16:33)
 この世では、神の子供達には多くの患難が
あります。しかし、大丈夫です。すでに世に
勝ったイエス様が一緒です。もはや、自分の
ために生きないのです。イエス様の御旨を尋
ね、他の人の霊的益(他の人の永遠の命の益)
の為に生きるのです。
 そこには喜びと感激があります。心の満た
しと平安があります。御心をさせてもらいた
いと願って生きることが、私たちが毎日必要
な心の食べ物です。それはイエス様の食べ物
と同じなのです。
 「イエスは彼らに言われた。『私を遣わし
た方のみこころを行い、そのみわざを成し
遂げることが、わたしの食物です。』」(ヨ
ハネ 4:34)
御心は、他の人の救いの為に人生を捧
げることでしょうか?
 私たちはクリスチャン。キリストに似た者
です。ですから、私たちの食べ物も、イエス様のと同じものだと私は確信しています。食
べなかったら弱ります。
 どうか、私がここに書いたことを、説教が
ましい話に取られませんように、よろしくお
願いします。ここに書いたことは、私のこと
なのです。私自身に言ってることなのです。
それを、お2人に当てて書いただけなのです。
イエス様の助けによって、そのように生きる
よう、私が、イエス様に語られているのです。
 ・・・・・・・・
イエス様と一緒なら、大丈夫です!!
 今回、このお2人の姉妹と私が経験したこ
とは、歳を取ってホームで生活する人の誰に
も起る可能性があります。いくら素晴らしい
ホームに住んでもです。ほしい物は全てあっ
てもです。そのような中で、この世での人生
の最後の日々を、悪い仕打ちの中で、不満と
怒りと、情けなさで過ごすのですか? それ
は、悲しすぎます。絶望過ぎます。自分で体
を自由に動かせなくなった時に、そのような
中で、自分の不満を言ったり、怒りをその人
たちにぶつけることができるでしょうか?
余計酷いことになるのでは……?? 神の愛を
頂かないままで、かりにそのような人生の最
後の日々になるとしたら、それは、悲しすぎ
ます。他人ごとではありません!!!
 しかし、しかし、イエス様の愛を頂いてい
れば「大丈夫です‼ 」何が起こっても、何を
されても大丈夫です。そのよう中でも、イエ
ス様と一緒に低くおらせていただき、イエス
様が下さった愛と、喜びと、平安で、試練の
中でも、天国を待ち望み、楽しく生きさせて
くださる日々を、イエス様が用意してくださ
ってると、私は信じているのです。
主の祈り
 神様……私の罪を お赦しください
 私も、私に罪を犯す者を赦しました
 私を試みにあわせないで 悪からお救い下
さい……アーメン
新しいCD
 神様のみ旨なら、今月下旬に新しいCDを
出す計画です。
タイトル 『本当の愛は……』
 歌 1.パシリ 2.セミ 3.引っ越し
   4.十字架 5.本当の愛は・・
 今回のCDを、ご希望の方に無料で送らせ
ていただきます。手紙、メール、ファックス、
等、このレターの最後に載ってるところに連
絡してください。皆さんからの連絡を、心か
らお待ちしています。是非、聴いて頂きたい
のですから。
最後まで、ありがとうございました。
 イエス様、このレターを読んで下さった皆
さんと、その家族の皆さんを、あなたの愛と、
罪の赦し、天国での永遠の命で祝福してくだ
さい。  のぼる









ザ・デイ / 森繁 昇
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0

2021/12/16

皆さん、その後も元気にしておられるでし
ょうか? もうすぐ冬に突入です。もう入っ
てますか?
今回は長いのです !!! どうか、最後まで、
よろしく、よろしく、お願いします。どうか...。

最近、昔の友達のことを思い出します。昔
のですよ。小学生、中学生の時の友達。朝、
目が覚めた頃によく思い出していますが、
60 年くらい会ってない友達の顔を、たまげ
るほど、はっきり思い出すのです。それも何
人も。「どうしてるんかなぁ?」暖かい時よ
りも、今のように、手足が冷たく感じるこの
時期に、もっと思い出すようです。

「いつ頃からだったかなぁ?」

60過ぎてからだったろうか?「イエス様、
私は、あと何年、あなたを伝えさせてもら
うんですか?」みたいな、思い? 歳をとっ
ていく中で、人は誰でも「あと何年?」その
ような気持ちを経験するのじゃないでしょう
か?

限りあるこの世での命

イエスを知って(クリスチャンになって)
だいぶんたってから、私は、「天国へ行くま
でイエス様を伝えさせてもらいたい」という
願いをもらいました。「天国へ行くまで...?」
という気持ちは、最初の頃はなくて、だんだ
ん与えられたのです。若い頃には「あと何
年?」という気持ちは、私の心にはありませ
んでした。天国のことは、初めの頃、あまり
考えませんでしが、歳を重ねていく中で、私
はイエスに変えられていき、また、イエスか
らの役割も変えられて、天国に心を置くよう
になったんだと思います。それで、「天国へ
行くまで...」という思いが強められたのです。
イエスを知って、そして、永遠の命の約束
が現実であるのを知って、まさに「真理はあ
なたがたを自由にします。」というイエスの
言葉を、「この世での命には限りがある」と
いうことを通してでも、はっきりと示されま
した。確かにこれまでの人生の中で、いろん
な問題や試練や困難がありましたが、私の心
は、イエスの下さる平安で、ますます自由に
されたのです。それは神の恵みの奇跡です。
この世での限られた命を考える時、神が私に
やってほしいことを、天国に行くまで、一生
懸命やらせてもらいたいと、心が燃やされる
のです。

全ての人は、神の大切で貴重な人

天地創造の神は、人々が、この世で起こす
すべてのこと、また、その他、すべて起こる
ことをあえて許されます。神にとって、それ
らがいつもOKというのではないのですが
...。しかし、人によって起こされるそれらす
べてのこと、また、すべて起こることの、ま
だその上に、神はすべてを支配しておられる
のです。だから大丈夫です。人は、それが現
実であると知る時、人間一人一人が、神にと
って、貴重であると気づくのだと思います。
長い歴史の中で、神が決めた時と、場所と、
状況の中で、一人一人(自分)を創り、生ま
れさせた唯一無二の、大切で貴重な一人で
あると。
「イエス様、私は今回、何を書くんですかー
ー??!!」
 私がイエス・キリストのゴスペル聞いた
頃の、「私が全く知らなかったアメリカ」。
 その当時のアメリカのことを、今でも、あ
まり詳しくは知りませんが、少し書いてみま
すね。

時と、場所と、時代(状況)の中で、御
旨をおこなわれる神


1973 年4 月
 長く続いていたベトナム戦争で、多くのア
メリカの若者たちが死んでいっていました。
そのため多くの若者たちは厭世的になり、ま
た、別の若者たちは、自分たち流の「愛と平
和と自由、フリーセックス、自然流生活、ユ
ートピア的な集団生活」等に向かっていきま
した。恐ろしい、また、悲しい状況を忘れる
ために、麻薬をするようにもなりました。
 そのことは、それまでの長い間の、キリス
トのゴスペルをベースとした昔からの生活に
反発する流れも起こし、ます混沌とした
状況を作ったみたいです。たくさんの問題を
抱えたアメリカは、それらに対して、ほとん
ど何も助ける手立てがなかったようです。多
くの若者たちが麻薬の常用者となりました。
これらの人々が、いわゆるヒッピーと言われ
る人々で、当時、彼らの間で、いろいろな新
しい考えや思想の流れが始まっていきまし
た。そして、多くの人が、神から離れて行っ
たのです。

わたし?

 戦争を知らないで生まれ育った私は、アメ
リカのそのような状況、またアメリカの若者
達のそのような状況や心情を全く知らなかっ
たし、また、考えたこともありませんでした。
「平和だ平和だ」と言う人々の間で育ち、安
全で、ますます裕福になる毎日の生活、ウキ
ウキするような面白く楽しい生活の中で、世
の中は平和だと、私も考えていました。
 世界は平和だ! 平和に向かってる!
教育が行き届けばまた科学や医学がどん
どん進んでいけば、また、貧困がなくなり裕
福になれば、世界は平和になる、というよう
な風潮の中で、民主主義の国だから平和なん
だ、という考えや気持ちは当たり前のようだ
ったと思います。
 私はここで、政治のことを、また、政党や
思想のことを話そうとしているのではないの
です。

 そのような日本人の一人である私が、全く
知らないアメリカの文化や歴史や人間性を持
った人々の中に、また、その時の政治や社会
状況がどのようなものであったか全く知らな
いその場所に、いきなり、住むようになった
わけです。今思えば、昔聞いた、あの「井の
中の蛙」というのは、その時の私に関して言
えば、100% 当たっていました。でも、それは、
仕方のないことでした。神が、あえてそれら
のことを、あの時、あの場所、あの状況の中
で、私も含め、許したのですから。大丈夫で
す。そして、今があります。

 そのような中で、神の計画により、私は聖
書のばかげた話を聞くことになるのです。イ
エス・キリストの愚かな話を聞くことになっ
たのです。人間では到底想像もつかな、仮
に想像したしても、それは「おとぎ話」と
しか思えない、「人間の世界のことではない」
そのような内容のことを、私は、ごく普通に、
若者達から聞いたのです。私が、彼らは狂っ
ている、洗脳されてる、思い込んでる、昔か
らの宗教的な教えに生きている、そのように
しか思えなかったのは無理もないことでし
た。

「リバイバル」= 復活、再び活動させる

 クリスチャンの間でもリバイバルという言
葉を使ますよ。一度しおれてしまっていた
こと、忘れられていたこと、昔流行っていた
ことが、また再び、人々に知られるようにな
り、皆が興味を持ち、そして盛んになること
です。イエスのゴスペルの「真理」に関して
も、そのようなことが、「神の恵みの力」に
よって起こされたことが、歴史の中で何度も
あり、現在でも、起こされることがあります。
神の行われる業、神業です。
 そして、そのゴスペルのリバイバルがその
厭世的になった多くのヒッピーたちの間で起
こったのです。彼らは自分に頼ることができ
ない、他の人にも頼れない、何にも頼れない、
今まで持っていた希望が崩れた、自信がなく
なった、平安がなくなり恐怖と絶望で打ちの
めされた、「明日は死ぬんだ、パーっと行こう」
リバイバルはベトナム戦争という中で起こっ
たのです。多くの人が自分の願いや意思に反
して、兵隊としてベトナムに行かなければな
らなくなりました。反戦デモがアメリカ中で
起こりました。それでも多くの人が死んでい
きました。その頼るところがなくなった、拠
り所がなくなった…、心の平安と喜び…、そ
のようなものがなくなった時、彼らは、それ
までに聞いたことがあるイエス・キリストの
ゴスペル・メッセージを、また、新しく聞い
たのです。

 麻薬をいくらやっても、彼らの心は、自分
が欲しかった”high”(いわゆる、薬物で精神
状態が平安になっているような状態)にはな
れなかったです。ただ、体と脳がイカれ
てしまうだけだったのです。
 そのような多くの人々がイエス・キリスト
の希望のメッセージ、愛のメッセージを聞い
たのです。その時、「神が多くの若者達の心
に語ったのです!」それは、それらの若者逹
が、ある意味、ベトナム戦争を通して、人生
の本当の意味を、生きている本当の目的や理
由を、自分の存在の理由などを、心から求め
るようになったからだと思います。その答え
は、人をも創られた天地創造の神にしかない
のです。多くの若者達が神の愛、罪の赦し、
永遠の命の希望に心を開いたのです。しかし、
新興宗教や、また、外国の宗教(特にアジア
の宗教)に走った多くの若者もいました。
 神の霊によって、神の真理が開いた心に示
され、彼らはイエスの愛に応え、その愛を心
に受け取ったのです。「もうドラッグはいら
ない! いくらドラッグをやっても、イエス・
キリストほど、俺をhigh にしてくれるもの
はない! イエス・キリストは現実だ! イエ
ス・キリストは神の救い主だ!」と知ったの
です。正にそれは、神の恵みとあわれみによ
る奇跡でした。
 あれは、あの時です! あれは、アメリカ
です! 
 今は、2021 年です! ここは、日本です!
これからです!
  
神が働かれる兆し

 コロナのこともありますが、実際、私は、「今
ほど、問題の多い日本はなかったと思います。
(世界もそうですが…)」しかし、まだ、「平
和だ」と思っている日本の人は多いと思いま
す。そのような中で、
 「神さま、私の役割は何ですか?」
 それは、神の愛と真理、そう、ゴスペルの
良い知らせを、日本の人々に伝えることです。
それしか助けはないのです。私は、それが神
からの私の役割だと確信しています。その役
割は、神の助けなしには、私だけではできな
いのです。そして、神は私を助けてください
ます。
 そのために、私は歌を書いて歌ったり、話
をしたり、何かを説明したりしています。も
ちろん、それらも、神からいただくものです
が…。それらを読んだり聞いたりしてくださ
る方が、聖書に書いてある神イエス・キリス
トと、その愛のメッセージを知りたくなって
ほしいと願っているからです。
 しかし、仮に、私がいくら説得力を持って
説明しても、人は神を知ることはできませ
ん。なぜなら、神のことは神にしか教えるこ
とができないからです。そのことから、イエ
スだけが先生で、このことに関しては、人間
の先生はいないことがわかります。誰でも心
から、天地の創り主なる神がおられるなら知
りたい、教えてくださいと、神に心を開くな
ら、それがどんな人であっても、神が直接そ
の人に、教えてくださるのです。だから大丈
夫です。聖書のある箇所にこうあります。「人
は、天から(神から)与えられるのでなけれ
ば、何も受けることはできません。」人はだ
れでも、真理を、神から教えてもらえるので
す。それは、一人一人が個人的に神を求める
ときに始まります。
 もう一つ書かせてください。ゴスペルのた
めに…。

日本人


 これは、私の説明です。
 日本は上下の関係が厳しかった社会、文化
です。日本人はグループで行動する人々です。
そこに上下の力の関係があって、一緒に行動
しないと、ある意味、恐怖と害が生まれます。
 例えば、日本の宗教ですが、仏教は家族と
親戚関係でグループを作ります。神道は地域
の人々と関わるグループを作ります。そのグ
ループのルールを守らないと、いわゆる村八
分になったのです。それらは誰でも知ってる
現実でした。それからでもわかるように、私
たち日本人は自分一人の意思で行動して決め
ていくということを、ほとんど経験しなかし、
経験できなかったようです。
 もう一つは、日本の国が、島国であるとい
うことが、日本の人々の性格に影響し、人と
関わること、特に、知らない人と関わること
を不得意とする文化をつくったと思います。
 その説明ですが、日本は国境が他の国と接
していません。海があるので、外国から離れ
ているのです。当然、昔から、外国との問題
や争いが少なかった国です。言葉がわからな
い人々とコミニケーションをとるという経験
が、国が始まって以来ほとんどなかったので
す。
 そして、その上で、もう一つ、江戸時代に
日本は200 年以上鎖国をしたのです。この
ことは私たちが外国の人とコミュニケートす
るということを、全く断ってしまったのです。
要するに、これらのことで、外国の人とコミ
ュニケートするという「考え」や「思い」ま
た、「願い」「理由」が、全くない!!!と言っ
てもいいくらいです。
 このことは、この半世紀以上、日本という
国は、アジアの中で(世界中でも)、いろん
な面で、ほとんど先頭を行っていた国にもか
かわらず、また、現在まで長い間、小学生か
ら大学生になるまで、英語という言語を勉強
しているにもかかわらず、英語で外国人とコ
ミュニケートできる人はほとんどいないと言
っても良いでしょう。(全員ではありません
…。)仮に大学まで、英語を科目として取ら
なければならなかった人も、外国人を見ると、
「ハロー、ワッチュアネイム? ハウオールダ
ーユー? サンキュー、 バイバイ……」そのよ
うな言葉を、ただニヤニヤしながら言って、
遊んでいる程度です。また、多分、外国人に
近づかない人がほとんどでしょう。私は日本
を悪く言ってるのではないのです。でも、こ
れは現実です! びっくりでしょ! 英語を勉
強しても、勉強のための勉強であって、コミ
ュニケートするために勉強しているという考
えは、ほとんどないのです。でも、これは、
仕方のないことです。私はここで、国の善し
悪しを言っているのではないのです。私はこ
の現実を話すことによって、仮にこれから先、
何が起こっても、イエスのゴスペルに希望が
あるということを、レターを読んでくださる
方に、覚えていていただいきたいのです。
 上下の力の関係が厳しかったこと、日本と
いう国が島国であること、そして、鎖国をし
たことなどで、個人的な思いや考え、また願
いを、コミュニケートできないようになった
のです。
 これは私が考える、日本人が英語が話せな
い大きな理由の一つだと思います。

希望「真の神を知ること」

 コミュニケーション世界は、もう長い間、
急速に発展し、数年前まで第三国だった国々
が、現在、最先端の機材や情報を得るための
手段を取得して、急激な速さで先進国と頭を
揃えて走っています。その中で、私たち日本
人だけが、まだ、外国と、また、外国人と、
コミュニケートしようとする考えや、願いが、
ないのです!! アジアの国々の中ででも、外
国人とコミュニケートすることで、人間性が
養われる経験を、日本人は、まだしていない
のです。そのことで遅れをとることは確かで
すが。神は、これをあえて許しています。だ
から大丈夫です。 
しかし!!! 「神を恐れる(神を知る)こと
は、知恵のはじめ、また、知識のはじめである」
とあるように、真の神を知ることにのみ、「本当
の希望」があるのです。それを、知ってほしいの
です。今、世界は、いろんな面で、急激に変化し
ています。いや、変化させられています。しかし
、創り主の神は、そのまだ上で支配しています。
 今回、なぜ、私はこんなことを書いているんで
しょう? それは、皆さんに、天地の創造主なる
神イエス・キリストを知るべき時が、今、来て
いることを、真剣に考えていただきたいからです。

 希望があるのですから…。 

クリスマスです! 
イエス・キリストの愛のメッセージを、もう一度、
聞く時です。

 恵みとあわれみに満ちた唯一の神さまが、皆さん
を、永遠の命の希望で祝福してくださいますように。 

クリスマス、おめでとうございます!

noboru










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投稿者: noboru
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2021/10/3


 皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
 皆さんが、元気にしておられることを願っ
ています。
 天と地と、その中にある全てのものを造ら
れた神の恵みとあわれみによって、たとい、
私たちの、あちこち痛い体がさらに古びてき
ても、また、コロナで、私たちの毎日の生活
苦が増してきても……私達の心が、イエス様
のゴスペルの愛と希望で力づけられますよ
う、イエス様の下さる安らぎと喜びで励まさ
れますよう、天国での永遠の命の約束を待ち
望んで、日々イエス様に感謝して進めますよ
う、イエス様にお願いしています。イエス様、
どうか、私達の、それぞれの必要を満たして
ください。よろしくお願いします。ありがと
うございます。

『また、今日からやで!』

 先日、夜遅くに、旅先から下松に帰宅。次
の朝、用事で町に行く農道のはしに、何とも
爽やかで、きれいな花。秋晴れのそよ風に揺
られながら、ニコニコ咲いている。この花、
初めて見た! 今まで、なんで気がつかんか
ったんだろう?と、考えていたら……そうか、
いつもの年なら、この時期、私は、ここには
いないんだよな。コロナで、私の旅の日程も
変わったんだ。そういえば、裏になったイチ
ジク、去年は食べんかったが、今年は、何個
も食べた。そうだよなぁ……それぞれ、神が
決めた時に、神が決めた場所で、神の業を、
やらせてもらってるんやなぁ〜。そのまんま
やねぇ。

 その2日後、また、そこを通った。あんな
にきれいで、生き生きとしていた花のほとん
どが、しおれていた。私は……ダビデの歌を、
また、思い出していた。
 「人の日は、草のよう。野の花のように
咲く。風がそこを通り過ぎると、それは、
もはやない。その場所すら、それを、覚え
てはいない。しかし、天地の造り主の恵み
は、とこしえから、とこしえまで、造り主
なる神を恐れる者の上にある。」
 そして、俺の心が言った。「まだ、これか
らやで! この世におらせてもらう間は! 
天国へ行くまでは、また、今日からやで!」

 「私の心の変遷」続き

 今回も、私の心が、どのように感じ、思い、
考え、変わっていったのか、出来るだけ思い
出して書きたいと願っています。これらのこ
とは、ずいぶん昔のことですが、私は 1978
年に、自分の心の変遷を1度書いたことがあ
って、それで、今でも、かなり詳しく覚えて
いるのだと思います。

「キリストは馬小屋で生まれて、十字架
にかかって死んだ」

 いつ頃からだったでしょうか?多分、小学
校低学年の頃? その言葉が、私にとって、
どういう意味なのか 1 度も考えたことはあ
りませんでしたが、私はその言葉を知ってい
ました。「なぜだろう?」それを考えていた
ら、思い出したのです。そのことは、何年か
前、私のレターにも少し書きましたが……。

「キリストがあるよー!」

 あれは、私が幼稚園児か小学 1 年生くら
いだったと思います。当時住んでいた熊毛町
高水の村でのこと。 時々、日が暮れた頃に、
「火の用心」の拍子木を叩いて、「キリストが
あるよー」と言いながら、年上の子供達が近
所を回ったのです。多分、私の親は、それが
何か知っていたのかもしれませんが、行きた
いと親に言うと、その「キリスト」とやらに、
私たちを行かせてくれました。それは、高水
駅の前にあるタバコ屋のアヤマさんの家で、
アメリカの宣教師がやっていた、子供会だっ
たのです。(ここでは、詳しくは書きませんが)
多分、私は、その言葉を、そこで聞いたんだ
と思います。その「キリスト」やらに、何回
くらい行ったか覚えていませんが、行った時
のことは、いくつか覚えています。
(話は、もとへもどります。)

「十字架につけろ!」

 私は、マタイの福音書を読み進んで行きま
した。イエスが行なった奇跡や、癒しの奇
跡、また、イエスが人々に語ったことを読ん
でも、これといって心に残るものはありませ
んでした。多分、それらが、現実的でないの
で、やはり、おとぎ話という感じで、読んで
いたんだと思います。そして、その 27 章で、
群衆は、イエスを、「十字架につけろ!」と
叫び、イエスを十字架につけたと書いてある
ところを、自分で、初めて読んだのです。「キ
リストは馬小屋で生まれて、十字架にかかっ
て死んだ」というのは、ここに書いてあるん
や! 他のことは、深くは考えませんでした
が、イエス(キリスト)は十字架にかかって
死んだ、というのは少し考えていました。次
の章、28 章には、「イエスは、死んで3日し
て生き返った!」と書いてあるのですが、そ
の事も、心には残らず、ただ、十字架で死ん
だというのが、残っていたと思います。

「4 つの福音書」

 福音書というのが何なのか、全く考えない
ままで読み進みましたが、いつ頃からか、福
音書(ゴスペル)というのは、Good News(良
い知らせ)だと知るようになりました。誰か
らか聞いたんですね。それは4つあるのです。
4人の人が、別々に、自分がイエスと一緒に
いて、イエスが行なった奇跡を見たり、イエ
スが話したことを聞いて、それを書き留めた
ものというのです。4つとも、それに書かれ
ていることは、だいたい同じような内容でし
たが、どの福音書も終わりの辺で、イエスが
十字架にかけられて殺されるのです。

「イエスは、人の罪の罰を代わりに受け
る為に、十字架にかかって死んだ」

 私は、福音書を読み終えて、その先の方も
読み進んでいったと思います。時が経つにつ
れて、同じ家に住んでいた若者達がイエスの
話をしているのを聞いたり、住人の誰かが怪
我をした時もそうでしたが、他の人のために、
何人かで一緒にイエスに祈ってるのを聞いた
りすることもありました。その家に住んでい
たほとんどの若者は、いわゆるヒッピーのよ
うで、私と比べて、かなり自堕落な生活をし
てるように見えました。しかし、彼らが集ま
って、他の人のために、イエスに祈ってる(お
願いしてる)のを見る時、私自身は、ちょっ
と変な気持がしましたが、でも、なんか、私
にはない、素直で優しいものを彼らに感じま
した。
 そのような中で、私は、「イエスは人を愛
している。」そして、「イエスは人の罪の罰を
代わりに受ける為に、十字架にかかって死ん
だ」「誰でも、イエスの愛を心に受け入れる
なら、その人の全ての罪が赦される」そのよ
うなことを、時々、聞くようになりました。

「それでも、聖書の話を、現実のことと
して、受け入れなかった、私の理由」
*** 愛
 
 クJesus loves you”「イエスは、あなたを愛
している」 「おいおい、やめてくれよ!イエ
スが俺を愛してる?」皆さんはどう思われる
か知りませんが、当時、この love、愛、と
いう言葉を、誰かがそんな感じで使うのが、
私は、嫌でしかたなかった。男性と女性の間
だけで、いつか使うかもしれない言葉くらい
に考えていた私にとって、(日本では、普通、
そうでしたよね……)恥ずかしすぎて、意味
がわからんその言葉は絶対使わない!! キザ
過ぎ! 映画の中だけ! そのように、愛と
いう言葉を軽く口にする奴って、意味不明! 
絶対変や!
*** イエスを紹介されるの、大嫌い!
 『おいおい、聖書なんか開いて、イエスの
話なんかするなよ! 俺、聖書がホントだと
信じてないし! そんなもん引用するな!』
 話は、また、ちょっと前に戻ってしまいま
すが、私が、そのことに関して、どれほど嫌
だったか、皆さんにもわかる出来事がありま
した。イエスのことを人から勧められること
がどれほど嫌だったか、また、その出来事で、
私が、どんなに短気で横柄だったか、どれだ
け自己中だったかもわかると思います。いや、
自慢してるんじゃあないんですよ。笑……。

「You clean it up !」『お前がかたずけろ!』

 それは、私が、そこの若者たちと一緒に住
み始めて1〜2ヶ月経った頃だったでしょう
か。その家は、寝室が全部で 7 つか 8 つあ
る大きな家で、12 〜 13 人の若者が一緒に住
んでいた。2 階に住んでいたジョンのガール
フレンドのジュリア(その時、私は、彼女を
知らない)が家に来た。多分、ジョンを下で
待つつもりだったんでしょう。丁度その時、
私は、焼き飯を作って、居間のカウチで食べ
ようと、座ったところだった。すると、誰か
知らない一人の女が、カウチに座っていた私
のすぐそばの床に(私にとても近く)座り、
私を見上げて、こう言ったのです。クJesus 
loves you” この言葉に、私は、すぐ、カッチ
ーーーンときました。そして、その女は、聖
書を取り出して、ページをめくり始めるので
す。それを見た私は、苛立つ気持ちを抑えて
クWould you please stop talking to me about 
that?” と、優しく?その女に言いました。そ
れでも、その女は、俺が言ったことが聞こえ
なかったかのように、聖書のページをめくり
ながら、続けて俺に話そうとするのです。「俺
の言った事、全く無視??!!」ムラムラ、ガ
ッチーーーン!! 怒った俺は、まだ食べてな
い焼き飯を持って立ち、その女の後ろの壁に
向かって、思いっきり投げたのです。皿は割
れ、焼き飯が、カーペットのそこらじゅうに
散らばった!
 多分、彼女はド、ド、ドタマゲター!でし
ょう! 座ったままの彼女を指さして、私は、
”You clean it up”「お前が片付けろ!」
と言って、そこを立ち去りました。ゲーーー
ーッ !!! でしょ? 『森繁さんって、ヒドイ
ーーオトコーー!!!』でしょ?
*** 「話が良すぎるやろ!」
 「イエスを信じる者は、全ての罪を赦され
る ??」「おまえー! それ、話が良すぎるやろ
ぅ!」自分は何のつぐないもせんと、どんな
悪いことをやってても、ただ、キリストを信
じるだけで、全部の罪が赦してもらえる ?? 
絶対、都合が良すぎる! 適当な話やで!
*** 「昔、誰か賢い奴が、世界を平和にす
る目的で書いた本に違いない!」絶対、そう
いうもんやで!
 上に書いたことは、私が、キリストの話を
現実として受け入れなかった、他の理由でし
た。しかし、無くならなかった!「何が?」
私の、「もし、本当なら知りたい」の願い。

『わからないことと、わかること。』

イエスについて書いてある事柄や、言ったこ
とが、本当なのか、それとも、作り話なのか、
私にはわからなかった。それは誰にもわから
ないだろう、と思った。(まあ、他の人のこ
とは、おいといて……)
 しかし、わかることがあった。それは以前
にも書きましたが、『もし、創世記 1 章 1 節
に書かれている、天と地の造り主の神が本当
にいたら、私は、その方の前に罪人である』
ということでした。そのことは、はっきりわ
かっていました。もしいたら、ですが。

『罪』

 その時の私が考えていた罪というのは、国
の法律を犯した時に言う罪(犯罪)じゃあな
く、また、映画なんかで昔聞いた、「あんた
罪な人ね。」と、人を対象にいう罪でもなかっ
た。それは、私がまだ知らなかった、天と地
の全てを造られた神の前での罪だった。本当
なら知りたいと思ってる私には、私の心のこ
とに関して、造り主の神の前ではどうなの
か? と考えるようになっていたのです。そ
のころです、昔聞いた、「嘘は泥棒の始まり」
というのは、当たってると思った。まだ神を
知らなかった私も、『自分で悪いと知ってい
ることを自分の意志でやる!』それが、かり
に、どれだけ小さいことだと考えられていた
としても、「悪くても良いんだ」の心の邪悪
さは、とどまるところを知らない可能性を
持ってると想像できました。そして、そのこ
とを自分の心の中に見たのです。また、世界
の全ての悪と呼ばれるものが、人の、その心
から始まってると想像できました。それも、
はっきりと。
 それは、それまで生きて来た人生の善悪の
基準とは、全く異なったものでした。それが
わかったのは、私が、『もし、本当なら、知
りたい』と、願っていたからだと確信しまし
た。
 その後、私の心に、何かが起こるのです。


 『心の変遷』最終回だと思っていたのです
が、もうちょっと続きます。今回も、最後ま
で読んで下さって、ありがとうございました。

 PS:ゴスペルは、良いお知らせです。悪
いお知らせではないのです。

のぼる




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2021/5/19


(5月のニュースレター)


その後、皆さん、元気でしょうか? まだ
収束しないコロナの中ですが、人生、何が起
こっても、イエス・キリストに希望と救いが
あります!

「イエス様、助けてください」


 コロナに感染することの恐れもあるでしょ
うが、経済的困難からの心配や落胆が、多く
の人を襲っていることを思い、不安な毎日を
送る人々のことが気になります。食べるもの
も十分得ることのできない人々も多くおられ
ると想像します。親戚や友達、また近所の人
たちでそのような状況の中におられる方を知
っていたら、必要なものを分け与えて、励ま
し合いましょう。イエス様、どうか、私たち
を助けてください。必要なものを与えてくだ
さい。私たちの心を力づけてください。お願
いします。アーメン。

「疎遠」

 食堂や銭湯に行くと、黙食、黙浴、と入り
口に書いてあるのが目に留まる。「マスクを
して、話はしないように」という行政からの
指導の中で、誰が苦しんでいるのか、ますま
す分からなくなっていく状況です。コロナが
問題になる前でも、多くの人は、他の人と関
わりを持つのは苦手。コロナが続けば、これ
からますます、人と人の関係が疎遠になり、
落胆と寂しさの中で生きる多くの人が出るこ
とは確かだと思います。親しい友達とでさえ、
関わりが薄くなるのです。このような状況の
中で、意識的に自分で心がけ、自発的に、積
極的に自分にできる方法で、人との関わりを
強く保つことは、生きて行くのに必要不可欠
だと思います。このような状況になって初め
て、「人は、自分だけで生きていくものでは
ない」と気が付かされるのじゃあないでしょ
うか。いつの時代でも、人が助け合い、励ま
し合い、慰め愛し合い、お互いに憐れみ深く
あることは、神様の心です! 確かに、これ
らの事を口で言うことは簡単ですね。かりに、
心では助け合った方が良いと考えていても、
そうできない、そうしない、というのが、現
実かも知れません。神様、私たちを助けてく
ださい。

「人の心に書かれた神の性格」


 人は誰も、「困ってる人を助けてあげたほ
うが良い、励まし合い、慰めてあげた方が良
い、愛しあい、力づけ、優しく憐れむ心でい
たわってあげたほうが良い。」そういう気持
ちが心にあります。誰にでもです‼ 自分で
そのように考えようとしなくても、その気持
ちが、全ての人の心の中にあるのです。これ
は、神の奇跡の業です‼ それは、神の性格
なのです‼ そのことは、神が、人の心に、「神
が現実におられること」を示している一つの
方法です‼ しかし、人は、自分の心の中の
それが良いと思いつつも、そのようには生き
ないことが多いのです。それどころか、それ
とは反対に、悪いと知っていることをしてし
まうのです。人を悪く言ったり、あざ笑った
り、見下げたり、批判したり、馬鹿にしたり、
意地悪なことを言ったり、無視したり、いじ
めたり、ののしったりする。そのようなこと
は、何の努力もしないで、いとも簡単に、素
早く心の中で思い、口に出し、行動が取れる
のです。そのようにしようと練習したり訓練
したりしなくても、すぐできます。残念なが
ら、私もそうです。自分が、そうすることが
良いと思っていことをするのは、難しいこと
が多く、多くの場合やらないし、また、はっ
きり言ってやるのは不可能と思われます。あ
る程度できるように思えても、状況が変わっ
たり、自分の気分が変わったら、やる気は飛
んでいき、心からやるのは無理でしょう。し
かし、そのことも、「神が現実におられること」
を神が人の心に教えようとしている方法だと
思います。

聖書からの話「良きサマリヤ人」


 このことは以前にも書きましたが、もう一
度書かせてくださいね。アメリカで、時々、
テレビやラジオのニュースなどで、この言葉
を聞きます。「良きサマリヤ人」これは、聖
書のイエス・キリストの例え話から引用され
たものです。しかし、実際にイエスが言われ
たのは、「あるサマリヤ人」です。困ってい
る人に出くわしたある誰か知らない人が、す
ぐにその人を助け、その後、その場を去って
行ってしまい、その人が誰だったかもわから
ない、そのような人のことを「良きサマリヤ
人」と言うようになったみたいです。
 その聖書の箇所を書いてみますね。

……ある律法の専門家が立ち上がり、イエ
スをためそうとして言った。「先生。何を
したら永遠の命を自分のものとして受ける
ことができるでしょうか。」イエスは言わ
れた。「律法には何と書いてありますか。
あなたはどう読んでいますか。」すると彼
は答えて言った。「心を尽くし、思いを尽
くし、力を尽くし、知性を尽くして、あな
たの神である主を愛せよ。」また「あなた
の隣人をあなた自身のように愛せよとあり
ます。」イエスは言われた。「その通りです。
それを実行しなさい。そうすれば、命を得
ます。」しかし彼は、自分の正しさを示そ
うとしてイエスに言った。「では、私の隣
人とは、誰のことですか。」
 イエスは答えて言われた。「ある人が、
エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に
襲われた。強盗どもは、その人の着物をは
ぎ取り、殴りつけ、半殺しにして逃げてい
った。たまたま、祭司(ユダヤ教の神事を
する人)が 1 人、その道を下ってきたが、
彼を見ると、反対側を通って過ぎて行った。
同じようにレビ人(祭司を助ける役の人)
も、その場に来て彼を見ると、反対側を通
りすぎて行った。ところが、あるサマリア
人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見
てかわいそうに思い、近寄って傷にオリー
ブ油とぶどう酒を注いで、包帯をして、自
分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱
してやった。次の日、彼はデナリを 2 つ
取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介
抱してあげてください。もっと費用がかか
ったら、私が帰りに払います。』この 3 人
の中で誰が、強盗に襲われた者の隣人にな
ったと思いますか。」彼は言った。「その人
にあわれみをかけてやった人です。」する
とイエスは言われた。「あなたも行って同
じようにしなさい。」(ルカ 10:25 〜 37)

 「……たまたま」、と祭司の場面にあります
が、それは、サマリヤ人の場面でも同じで、
たまたまサマリヤ人も、強盗に襲われたその
人に出くわしたのです。……そのことは、「い
つ起こるかわからない、すなわち、どんな時
でも」助けることを言っているのです。そし
て、「あるサマリヤ人」というのは、良い人
とか悪い人というのでなく、誰でもみんな、
そうするのが当たり前のことですよ、と言っ
ているのです。
 しかし、「俺は、どうなん?」

「私はちゃんとやってるしぃ!」

 後半の部分は、イエスの例え話です。その
例え話をした経緯があります。それは、その
律法の専門家が、自分の正しさを示そうとし
てイエスに言った言葉からです。「私は、そ
のようなことはちゃんとやっていますよ。」
みたいな。そこで、イエスは、神を愛するこ
とと、隣人を自分のように愛することがどの
ようなことかを、その例え話で説明したので
す。「愛しなさい。」という言葉が 2 回出ます。
神の律法は、「神を愛しなさい。」そして、「隣
人を自分のように愛しなさい」です。ここで、
イエスは何を言いたいのでしょうか?「神を
愛す」と言うのは、具体的にはどう言うこと
なのでしょうか? 聖書の別の箇所に、「神を
愛するとは、神の命令を守ることです。その
命令は重荷とはなりません。」とあります。
神を愛していれば、神が言われるように生き
たいですよね。
 だから、神を愛するとは「神が、言われる
ように、神が、人に望まれるように生きるこ
と。」だと思います。

「知ってることを実行しなさい。できる?」


 この律法の専門家はイエスの二つの質問に
正しく答えました。それは彼が、神のやって
ほしいことを、すでに、知っていたというこ
とでしょう。そのことって、なんだか、私の
ことみたい。知ってはいたが、やらなかった
のです。できなかったのです。
 しかし、イエスは、「それを実行しなさい。」
「あなたも行って、同じようにしなさい」と
言いました。
 「えーーーっ!」「はたして、そんなことが、
人に、できるでしょうか?」しかし、イエス
は私たちにそんな命令をしました。そのこと
を通して、神は人に考える機会を与えてくだ
さっているのです。
 それは、神の前に、自分の行いによって正
しいと認められる人は誰もいない。神の望ま
れることを、自分の力ですることは不可能な
のです。しかし、「人にはできなくても、神
には何でもできるのです。
」と、イエスは言
われます。そのことは、神に罪を赦され、神
の愛をもらった者に、そのもらった愛と力で、
神の望むことをさせると言うのです。だから、
神の命令は、重荷とはならないのです。」現
実です。それは神業です。世の人々は、それ
を見て、どたまげるのです! そして、その時、
世の人々が、創り主なる神の存在の現実を考
える時となるのです。
 「捜しなさい。そうすれば見つかります。
この言葉は、全ての人に、間違いない、イエ
ス・キリストの約束の言葉です。

ハワイのこと「ジミー」


 このレターを読まれている方で、「ジミー
は、あれからどうなったんですか?」と、何
人かの方から尋ねられたので、少しお知らせ
しますね。
 ジミーのことは初めての方に簡単に説明す
ると、カリフォルニア・サンディエゴ生まれ。
現在、29 歳の青年。4 歳の時、裁判所の命令で、
2 歳上の兄と一緒に両親と別居し、ワシント
ン DC(東海岸)のおじさん夫婦のところに
預けられる。以後 18 歳まで、ひどい DV の
中で過ごし、高校を出るとすぐに家を出てホ
ームレス。すでにドラッグをやっていた兄か
ら彼もドラッグを習い、ホームレスのまま、
5 年間一人、カリフォルニアまで流れる。ド
ラッグの金やバイトの金で、2015 年、ハワ
イ島のコナに来る。そこで、ホームレス生活
を 4 年。2019 年、200 キロ離れた島の反対
側の町、パホアに、一人徒歩で着。パホアは
ドラッグをする人とホームレス人が多い。
 同年 3 月、私、「ブリキ小屋のパン屋」で、
彼に会う。そこは、日曜日「グラスルーツ(草
の根)教会」になる。その時、すでに、ドラ
ッグのせいで、ジミー、歯が一本もない。
 彼と仲良しになった。週3日くらい彼と会
う。私の仕事も手伝ってもらい、2019 年秋
に私が日本に出発する前の日、ドラッグをや
めるのを助け、また、仕事、住居を得られる
よう援助する団体に入れてもらった。1 年計
画。そこからの話。

「ジミー、本土へ」


 私が、日本に行った 2 週間後、ジミーは、
夜中、その施設から勝手に抜け出し、翌日、
教会の友達から飛行機代を借りて本土に飛ん
だ。それから長く連絡が途絶える。2020 年
3月、本土のホームレス・シェルターの施設
の人の携帯で彼と話す。ハワイに戻りたいと
言う。「今、コロナだから、帰らないほうが
良い。」と伝えた。

「帰ってきたジミー」


 6月。パホアの教会の牧師から、ジミーを
見たと連絡があった。コロナで教会での礼拝
中止中。皆コロナを警戒していた。私は、ま
だ、彼に会わないほうが良いと思っていた。
2021 年2月。牧師から電話。ジミーが、ど
うしても私に会いたいと言って教会に来たと
連絡。私も会いたい。翌日、パン屋に行って
ジミーのことを尋ねたら、何度か見たが、ど
こにいるか分からないという。パホアの町の
通りに出て、「ジミー知ってる? 歯が一本も
ない痩せた青年だけど。」3人目に尋ねた女
性が、「知ってるよ。彼、ヌード・コロニー
に住んでるよ。」「エッ、ヌード・コロニー?
俺もそこに行けるんかなー?」「行けるよ。
カラパナ・ハイウェイの 13 マイル・マーカ
ーの立て札が立ってるとこよ。」「俺も、服脱
がなきゃいけないんかな?」彼女は、黙った
まま微笑んだ。
 その場所は、パホアから車で 10 分くらい
のところだった。ハイウェイに面したゲート
を入り、でこぼこで岩だらけの道をゆっくり
3 〜 4 分運転した。あたりはジャングルで、
誰一人いない。もうしばらく運転していたら、
道路のかなり向こうから、金網のフェンスの
ロールを肩に担いだ、真っ裸の男がこっちに
向かって歩いて来る。彼に聞いたら分かるだ
ろう。彼が車のそばに来た時、よく見ると、
何と‼ 「ジミーやーー!」彼も私に気付き、
ちょっと恥ずかしそうに、半分私に背を向け、
「オーノー!」と一言。また振り向いた彼の
顔は、あの無邪気で歯無しの大きな口を開け
た笑顔だった。私も嬉しくてたまらなかった。
それまでの経緯をいろいろ話してくれた。ジ
ミーはとても健康そうに見えた。アイス(強
いドラッグ)はやめて、もうやらないと言っ
た。イエス様、ありがとう。
 以来、私が、今回日本に来るまで、週に2
〜3日会って、一緒に聖書を読み、お祈りし
て、食し、ドカタの仕事を私と一緒にしても
らっている。ジミーのために祈ってくださっ
ておられる皆さん、ありがとうございます。


 神は、実に、そのひとり子をお与えにな
ったほどに、世を愛された。それは御子を
信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちをもらうためです。
(ヨハネ 3:16)





 最後まで読んでくださって、ありがとうご
ざいます。今まだ大変な中ですが、イエス様
が、続けて皆さんを恵み、祝福してください
ますように。







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