皆さーーん!その後元気でしょうか?
病気で入院されておられる方や、弱くて寝たきりの方もおられるかもしれませんね。それでも、皆さんの心が、元気で健やかであるよう願っています。
また来ましたよ! 永遠の命の希望の便りが! これこそがゴスペル=良い知らせです。どうか最後まで、お付き合い、よろしくお願いしますね。小さい字で、ごめんなさい。
私はこのレターを書かせてもらって、多分26−27年になると思います。毎月出しています。書かせてもらった目的はただ一つ。これを読んでくださる方に、『真理であり永遠の命の望みであるイエス・キリストを知っていただきたいからです。』
私は時々想像するのです。郵便受けに入った私のレターがゴミ箱直行かも、とね。シクシク……。そのことは私にはわからないのですが、わかることもあります。それは、イエスキリストが、少なくとも、私に会わせてくださった人々に、イエス・キリストにある永遠の命の望みを伝え続けてほしいということです。ずいぶん前に、イエス様が私の心にそのことを示してくださったのです。
『秋です』
私が若かったころは、秋になれば、『食欲の秋』とか『読書の秋』というのを、もっと聞いたような気がしますが、最近はあまり言わなんですかね?
『読書の秋』っていうのは、読んだことを『考える時』、読んだ言葉に『想いを潜める時』、ということなんでしょうね。人生って?、生きる目的って?、私の存在の理由って?、愛、死、希望、天国、永遠の命、等。書き連ねると、ちょっと重いですね。
日頃そのようなことはほとんど考えないかもしれませんが、この季節、一人静かに、そう、たった一人で、聖書の『良い知らせ』の言葉に想いを潜めてください。『福音(イエスの良い知らせ)は、人を救う神の力』ですから。
虫の音に耳を澄まして、黙ってる。夕焼けに昔を想い、黙ってる。落ちる葉に齢を想い、黙ってしまう。そうです。秋は黙って、静かに考える良い季節ですね。
今日も聖書の言葉から。今回は特に長いですよー! どうか、最後までよろしくお願いします。
『真理(イエス・キリスト)を知るための費用』(ルカ14:25−33)
(私が勝手につけたタイトル)
さて、大ぜいの群衆が、イエスといっしょに歩いていたが、イエスは彼らのほうに向いて言われた。『わたしのもとに来て(イエス様を知りたいと願ってイエス様の所に来た人で、)自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子となることができません。自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。
塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に十分なお金があるかどうか、その費用を計算しない者が、あなたがたのうちにひとりでもあるでしょうか。基礎を築いただけで完成できなかったら、見ていた人はみな彼をあざ笑って、『この人は、建て始めはしたものの、完成できなかった。』と言うでしょう。
また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようとするときは、2万人引き連れて向かってくる敵を、1万人で迎え撃つことができるかどうかを、まずすわって、考えずにいられましょうか。もし見込みがなければ、敵がまだ遠くに離れている間に、使者を送って講和を求めるでしょう。
そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子となることはできません。
(ルカ14:25-33)
これから書くことは、私がこの箇所を読んで、色々と考えさせられ、神様が私に示してくださったことです。
『自分の全てがかかる』
げ――――っ!!! ひどい話に聞こえますよね。自分の家族を憎まなければ? 全財産を捨てなければ? えーーーっ!!ですよね。何なんですか、これは? 『そこまでしてイエスの弟子なんかになりたくない!』って皆さんは思うかもしれませんね。どういうことなんでしょう?
『あなたは、あなたの敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。』『私があなたがたを愛したように(罪びとのために命を捨てるほど愛したように)、あなた方も互いに愛し合いなさい。』と言われたイエスですから、親を憎め、兄弟姉妹を憎め、と言っているのではないでしょう。自分の命までも憎めって? どういうことでしょう?
それは、真理(イエス・キリスト)を知ることは、自分が最も大事にしている人や物、また、自分が一番大事にしている自分自身よりも、何よりも、大事なことだと言っているのだと私は思います。
33節の、……自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。英語では、『any of you who does not give up everything he has cannot be my disciple.』 自分の財産全部を捨てなければ、というより、神を知るためには、自分の全てがかかると言っているのだと思います。自分の全てって? 家族、友達、持ってる物、お金、仕事、評判、地位、名誉、趣味、考え、気分、思想、自分自身、なんせ全部! それらすべてよりも、イエス(真理)を知ることのほうが大切で大事だと言っているのです!!(実際、比べ物にならないのじゃないかと思いますが……)
『費用のたとえ話』
ここでイエスは、二つのたとえ話からイエス(真理)を知るためにも費用がかかることを説明をしています。すごく現実的です。いや、現実そのままのたとえ話です。
一つ目は、 家を建てる人が、建てる前に座って、十分お金があるかどうか(現在なら、完成するのにいくら銀行から借りたらいいか)計算することです。当たり前ですよね。いくらお金がかかるか、だれでも、絶対!計算しますよね!
そして、二つ目のたとえです、戦争をする時、敵に勝てるかどうか、時間使って考えない(計算しない)ということがあるでしょうか? それを考えないで、戦いを交えることはありえないでしょう、自分の兵隊の命、自分の命、自分の国がなくなるかもしれないのです。ですから絶対! 計算するでしょう!それが当たり前のことです。
それと同じように、真理(イエス・キリスト)を知るのに費用がかかるのです。費用って? いくら? それは、前に書いた『自分の全てです。』このことが起こった一人の女の人を紹介しましょう。それは、私自身にも起こったことですが、そのことは『イエス・キリストを知りたがる誰にでも起こるのです。』
今回は長い聖書の箇所ですよ。でも、大丈夫です。秋の夜は長いのですから。笑。何回かゆっくり読んで、その言葉に想いを潜めてください。『福音(イエスの良い知らせ)は、人を救う神の力』ですから。
『サマリヤの女』 (私が勝手につけたタイトル)
イエスはユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。それでイエスは、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は6時(昼の12時)ごろであった。
ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは、『私に水を飲ませてください。』と言われた。弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。そこで、そのサマリヤの女は言った。『あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。』――ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしていなかったからである。――
イエスは答えて言われた。
『もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその水を求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。』
彼女は言った。
『先生。あなたはくむ物をもっておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。……』
イエスは答えて言われた。
『この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。』
女はイエスに言った。
『先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。』
イエスは彼女に言われた。
『行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。』
女は答えて言った。
『私には夫はありません。』
イエスは言われた。
『私には夫がないというのは、もっともです。あなたには夫が5人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。』
女は言った。
『先生。あなたは預言者だと思います。……』
イエスは彼女に言われた。
『わたしの言うことを信じなさい。……真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。』
女はイエスに言った。
『私は、キリストと呼ばれるメシヤ(救い主)の来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。』
イエスは言われた。
『あなたと話しているこのわたしがそれです。』
……女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。
『来て、見てください。私のしたことを全部私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。』
そこで、彼らは町を出て、イエスのほうへやって来た。……さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、『あの方は、私がしたこと全部を私に言った。』と証言したその女のことばによってイエスを信じた。……そしてさらに多くの人々が、イエスのことばによって信じた。そして、彼らはその女に言った。
『もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方が本当に世の救い主だと知っているのです。』
(ヨハネの福音書4:3-42)
聖書をあまり読んだことがない方も、ここに書かれていることを読んで感じると思いますが、聖書はわかりにくいところがあっても、決して難しいものではないですよね。
『わけあり女性』
水くみはおもに女性の仕事で、涼しい朝方か夕方にしたようですが、このサマリヤの女の人は、真昼に水くみに来ました。それも、たった一人で来たのです。それには深いわけがありました。その女の人にイエスは水を飲ませてくれるよう頼んだのです。彼女は頼まれたことにたまげている感じです。まさか、ユダヤ人から、そんなことを頼まれるとは思っていなかった彼女の言葉は、ちょっとけんか腰のようにも想像できます。『なんで私に頼むんだよぅ。』現在も続いているアラブ人とイスラエル人の関係のように、当時もお互いに嫌い合っていました。しかし、イエスはそうじゃあありません。だから女の人はもっとたまげたのでしょう。優しいイエス様との出会い。話はここから展開していくのです。
『この水を飲んでもまた渇きますよね。しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かないで、心の中で泉となって、永遠のいのちへの水が湧き出るんですよ。』と聞いた彼女は、またまたドたまげたでしょう。『そんな水があったらほしいなぁ』と思ったんでしょうね。
その女の人は、イエスに自分の心を見透かされてそう言われたように感じたのでしょう。それもそのはず、この女の人は、5回も夫を代えた×5の女性だったのです。そして、今は6番目の男性と同棲しているのです。喉も渇きますが、彼女の心は全く渇ききっていたのです。
『この男の人とならもう大丈夫……』『この人となら……』と、自分の心の願いを満たすために真剣に考えて結婚したものの、そこには自分の心を満たすものは無く、次々と離婚し、そして、それが5回も続いたのです。どんな心の渇きだったことでしょう。そんな彼女が、イエス様のその言葉を聞いたのです。とっさに彼女は、『心が渇かない水があるなら、それを私に下さい』と、言ったのです。自分の心の渇き(不満、不安、不平、恐れ、怒り等)を正直にイエスにぶちまけたのです。その心の渇きは彼女を苦しめていました。
×5で、今は新しい男と同棲している彼女の噂は、長い間女達だけの間じゃなく、町の皆にも知られていたに違いありません。だから彼女は誰にも見られたくない、誰にも会いたくなかったのです。真昼の水くみは、そういうことだったのですね。『もう、ここまでくみに来なくても済むように……』と言ったのは、『こんな心のままで生きるのはもう、うんざりです。この心の状態から私は抜け出たいのです!助けてください!』と叫んだのでしょうね。しかし、一度飲むと二度と渇かない水? そのような水はあるはずがないのです。しかし、もしあるとしたら、神だけが与えることができるものです。彼女はそんな水をイエスに下さいといったのです。それは、丁度、今の自分の状況から救い出せるのは神だけだと言ってるようです。イエスは、彼女の過去をすべて言い当てることで、 彼女の心に、自分が救い主であること示し、さらに、はっきりと彼女にそう言ったのです。
その時、彼女の心に何かが起こるのです。『この方が救い主??』『私は救い主に会ったの?』まだはっきりとはわからなかったのですが、イエスとイエスの言葉に応答したのです。彼女(私)はそれまで、自分の心の思うままを生きてきた人でしたが、その時、何かが変わったのです。それまで聞いていた、真理(イエス・キリスト)を知ったのでしょうか? それはその後、彼女が取った行動で想像つきます。今まで自分にとって一番大事にしていたものを、イエスと出会った場所に置いて、町に走ったのです。
『水がめを置いて』
水がめは、人や家畜が生きるのにどうしても必要なものです。水がなければ全てが死にます。水がめは生きていくのに欠かすことのできない道具です。水くみは自分の仕事です。水がめは彼女の命です。しかしその水がめの水より、もっと大事なイエスを彼女は知ったのです。
『町へ行った』
彼女は、それまで、見られたくない、会いたくもない、と思っていた人々のいる町に行って、自分が出会ったイエスのことを彼らに話したのです。自分が人々からどう思われようが、何を言われようが、自分のことはどうでもよくなったのです。もう、恥ずかしくないのです。もう、怖くないのです。彼女は、自分を捨てていました。それは、自分よりも、何よりも大事なイエスを知ったからです。
このことは私たちに何を言っているのでしょう?
私たちは皆、このサマリアの女の人同様『わけあり人』なのです。憎しみ、怒り、不平、不満、不安、恐れ、死の恐怖、愛せない、赦せない、生きる目的がわからない、等。たとい、それぞれの人の問題や渇きの原因が何であったとしても、それら全ては、真理(イエス)を知ろうとしたがらないことからくる罪の結果なのです。だから、人は渇くのです。満たしがないのです。しかし、その人が、その渇きの中から、人にとって一番大切な真理(イエス・キリスト)を求める時、その人はイエスを知り、罪を赦され、渇きを満たされ、イエスと一緒に永遠に生きる人生に歩み始めるのです。
約2000年前起こったサマリヤの女とイエス・キリストの出会いは、今日、誰にでも起こりうる現実です。これは、真の神(イエス)を知ることが何よりも人にとって大事であることを言っているのです。神は愛です。神は私たちを愛しています。私たちは神の愛が要ります。
『探しなさい。そうすれば見つかります。』(マタイ7:7)の言葉は現実です。神は実に、その一人子であるイエスを私たちの罪の罰の身代わりとして十字架にかけて殺させました。それほど、神は人を愛しています。それは、『その身代わりは、私の為であった』と認め、感謝して神の愛と赦しを受け取る者が、人生が終わった後、そのまま滅びないで、よみがえって天国でイエスと一緒に永遠に生きるためなのです。(ヨハネ3:16)この言葉は真実です。
『福音(イエスの良い知らせ)は、それを心に受け取る人を救う、神の力です。』
どうか、ゆっくり、何回か読んで、考えてみてくださいますよう、よろしくお願いします。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。嬉しいーー!!!
この秋もいくつかコンサートを計画しています。もし、近くであるようでしたら、友達や家族の皆さんも誘って来てくださいね。もちろんお一人でもよろしいのですよ。笑
9月
30日 7:00開演 (70分前後)
神戸市御影 母の家べテル 078-851-0146
10月
3日 12:30−12:50 (20分間) 関東学院大学金沢文庫キャンパス 045-786-7218
7日 4:00開演 (60分) 岩国市 周東のぞみキリスト教会 0827-84-5505
8日 1:30−3:00 同上
14日 1:00開演 熊本市 オリーブの家 096-342-4123
15日 2:00−3:30 淡路市 淡路キリスト教会 0799-72-4391
20日 12:25−12:50 関東学院大学金沢八景(室の木)チャペル 045-786-7218
21日 7:00−8:30 宮崎市 佐土原キリスト教会 0985-73-5872
22日 10:30− 同上
25日 万座温泉 0279-97-3131
27日 長崎県対馬市 080-8569-3655
28日 同上
29日 10:00と3:00 (2回) 奈良県大和高田市 0745-52-6355
31日 12:25−12:45 関東学院大学金沢八景チャペル 045-786-7218
ザ・デイ / 森繁 昇
振替口座▶01330-4-93687 ザ・デイ
〒744-0019 山口県下松市桜町2丁目17-24
TEL▶ 0833-91-0937 FAX▶ 0833-91-6492
E-mail▶ thewindisblowing@hotmail.com
HP▶
http://thedaywill.com
Noboru Morishige
P.O.BOX 1666
KEAAU, HAWAII 98749 U.S.A TEL ▶ 808-966-9252

1