皆さん、元気でしょうか?
いくら歳をとっても、どうしても伝えさせてい
ただきたい、永遠の命の望み(ゴスペル)を、今
日も、伝えさせてくださいね。最後まで、よろし
くお願いします。
『100歳の T さん』
先日、私の友達の T さんに出した手紙です。
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T さん、お手紙、ありがとうございます。
T さんのお手紙を、受け取る時、私は、いつもび っくりします。100 歳の方の手紙には、とうてい、 思えないからです。
私が、いつも、長い手紙を T さんに出すので、 返事を書かねばと、T さんに、気を使わせている のではないかと、気になりました。ごめんなさい ね。これからは、私の手紙の返事は、気になさら ないで下さいね。
誰も、肉体は、古びていきますが、今日まで、T さんを、健やかに守ってくださったイエス様に、 心から感謝します。
『クリスマス』
ところで、12 月 25 日は、クリスマスです。
T さんは、もう何度も、クリスマスを経験されま したね。 知っておられるかもしれませんが、クリスマスと いうのは、天と地の全てを創造されたイエス・キ リスト様が、人となって、この世に、生まれて下 さったのをお祝いする日です。(もちろん、毎日、 何処ででも、イエス様に感謝して、お祝いできますが......)12 月 25 日は、イエス・キリスト様の、 誕生日なんですね。 神様が人となられて、地上に来られたのです。 今年は 2018 年ですが、2018 という数字は、イ エス様が、この世に生まれて下さった年から数え て、2018 年目ということなのです。 世界中で、イエス様の誕生日に基づいて、年を数 えているのですね。イエス様のことは、おとぎ話 や、作り話ではないのです。
『神は愛なり』
『なぜ?』神様が人となって、この世に来られた のでしょう? それは、神様が人を愛しておられるからです。 全ての人は、神様の前には、恥ずかしい罪人で、 神様の前に、立つことができる人は一人もいない のです。 そして、神様は、聖(きよ)く、正しい方ですか ら、人の罪を、そのままで良しとすることができ ないのです。神様は、罪を罰しないままでは済ま されないのです。
人は、自分の罪のために、神様から罰を受け、こ の世での命が絶えた後、天国へ行けないのです。 この世の全ての人の心は、他人の目からは隠れて いますが、神様の前では、そうではありません。 全ての人は、裁かれ、滅びてしまうのです。 しかし、神様は、そのような罪人である人間を、 まだ、愛しておられるのです。 神様は、その愛を、私たちに示すために、神様ご 自身が、人となって、この世に来てくださり、私 たちが受けるべきである、『死』という罰を、私 たちに代わって、あの、十字架の上で苦しんで、 受けてくださったのです。
これが、『神は愛なり』という言葉の由来です。 神様は、私たちを愛しているのです。
『救われる』
人類の全ての罪の罰は、今から約 2000 年前に終 わったのです。 それ以来、誰もが、神様に罪を赦される望みの中 に入れてもらったのです。
神様は、全ての罪人のために、罰を受けてくださ いましたが、罪の赦しが、人に有効になるために は、一人一人が、イエス様の前に出て、(イエス 様と二人っきりで、心を見せて話し、)自分の罪 を認め、あやまり、イエス様が、自分の罪の罰を 代わりに受けてくださったことを、『ありがとう。』 と、感謝して、心に受け入れる必要があるのです。 その時、その人の、全ての罪が、一瞬にして、赦 されるのです。その人は、天国行きの切符をもら ったのです。そして、神の子供となる特権をもら ったのです。このことが、『私は、救われた』と いうことなのです。
『神様の前に、すなおな心』
人が、救われるためには、お金も、苦行も、名誉 も、善行も、そのようものは、何一つ、いらない のです。いるものは、たった一つ。それは、幼子 のように、自分の罪を認め、イエス様にあやまる、 へりくだった心だけなのです。 だから、どんな人にも、天国に入れる望みが与え られているのです。このことは、イエス様と自分 の、二人だけの間で起こることで、誰も、仲介者 は、いないのです。
『神様からの助けと養い』
人は、イエス様に罪を赦してもらった後でも、自 分の弱さのせいで、また、何度も、罪を犯します。 しかし、その罪までも、すでに、赦してもらって いるのです。 そして、今度は、神様は、その人を、ご自分の大 事な子供として、助け、導き、教え、慰め、励ま し、戒め、その人が、必要な、すべてを与えてく
ださるのです。 イエス様は、神様ですから、その人に一番ふさわ しい方法で、優しく、訓練してくださり、だんだ ん成長させてくださるのです。そして、罪を犯さ ないように、強められていくのです。 このことは、私たちが、いくら歳をとっていても、 同じように、神様は、私たちを養い、助けて下さ るのです。 今回も、長くなりましたね。ごめんなさい。
最後に、T さん、 罪人のままで、この世を去ってはいけません。 心一つで、イエス様に、罪を赦していただいてか ら天国へ行くべきです。 そこで、また、お互いに会えますよ。
のぼる
「神は、実に、その一人子をお与えになった ほどに、世を愛された。それは、御子を信じる 者が、一人として滅びることなく、永遠の命を 持つためである。」(ヨハネの福音書3:16)
"How should we then live?”
『それでは、いかに生きるべきか?』
ここからは、私のことを少し書かせてください ね。 私は、クリスチャンになって、しばらくたった 頃に(2、3年くらいたった頃? その頃は、まだ、 ナッシュヴィルに住んでいましたが)、行ってい た教会の人から 1 冊の本をもらいました。その 本を書いた人は、クリスチャンで、聖書について、 何冊か書いている人だったようです。 その人の名前は、フランシス・シェーファ ー。その本のタイトルが、"How should we then live?”『それでは、いかに生きるべきか?』だっ たのです。
勿論その本は、英語で書かれていて、当時、私 には英語で本を読むというのは、とても困難でし た。知らない単語が多すぎるのと、辞書で単語の 意味を調べても、なかなか内容が理解できないのです。(えっ? そんなことあるんですか?)(ハイ。 私の場合は。)笑
何ページか開いて目を通しても、その人が何を 言おうとしているのか、さっぱりわからないので す。勉強嫌いの私は、疲れてきて、頭が痛くなる ようでした。それで、直ぐに、読むのをやめました。 で、その後3年くらいして、私たち家族は日本に 帰って来たのです。帰ってしばらくたった頃、そ の同じ本の日本語訳が出ていることを知って、何 だか嬉しくなり、『日本語ならわかるだろう』と 思って、その本を注文しました。それが届いて、 何ページか読んでみたのですが、『何これ?』 読 んでも、ようわからんし、私の益になるようには 思えないのです。やっぱり、私は、勉強は苦手で、 読解力なんて、ないんやね――。それも読むのを やめました。笑。
『それでは、』
そんなことがあってから、 どのくらいたった のでしょうか? 何かの時に、私は、又、その本 の表紙を見たのです。『それでは、いかに生きる べきか?』
その時です。ガーーーーン! 私は、あることに気が付かされたのです。『そうだよなーーー!』
『何が?!』
その人が、つけたタイトルですよ。『それでは、 いかに生きるべか?』えっ?
その本のタイトルの、『それでは、』というのが、 私の心に叫んだのです。
『如何に(いかに)生きるべきか?』ではない のです。『それでは、いかに生きるべきか?』な のです。その瞬間、私の頭の中は、その時まで、 自分が何をして生きてきたかを、一瞬にして思い 出しているかのようでした。自分が、クリスチャ ンになってから、その時までのことを。
『自分の存在の目的、理由?』
げっ、タイトル大きすぎ? 笑。 『それでは、』という言葉を言う前には、何か、 はっきりとした、確信のある理由があるはずでし ょう。『だから~、』みたいな。
私は、その時に至るまで、『どうして? なぜ-? こんな人生をしてるんだろう? どうして、今やっ てることを、やるようになったんだ? どうして、 こんなことを、続けてやってるんだーーー??!!』 そう思ったとき、私の目に涙があふれていました。 私ってよく泣きますよね。笑。それは『、それでは、』 の前にある理由を、私が、あらためて思い出した からです。
人には、何か理由があって、それから先、何を して生きるかが決まるんですよね。『それでは、 私は、これから先、どのように生きるんだ??』 私はクリスチャンになるまでは、ただ、『いか に生きるか?』とだけ考え、自分だけの世界に生 きる、自分中心男だったのです。そんな男の人生 の方向を変えた、『それでは、』というのは、『何 だったのですか?』
それは、私が、イエス・キリストというお方を 個人的に知り、その方の真理と現実を知らされ、 私が神様に造られたこと知り、神様に愛されてい ることを知り、私の人生には、私を造られた神様 の目的と役目があることに気づかせてもらったこ とです。それは、まさに、神様が私の心に教えて くださったことでした。自分の知恵や努力、経験 等、そんなものではなかったのです。『イエス様、 私に何をするように言われるのですか? それを、 私に教えてください。頂いた人生を、どうか、そ のために生きさせてください。』今でこそ、この ような言葉にして、その時の私の心を説明するこ とができますが......。その頃は、まだ、イエス様 のことはよく知らず、弱い私でしたが、しかし、 上に書いたことが、マジ、私の心でした。 このように、ある時から、イエス様に尋ねて生 きる私の人生が始まったのでした。それからの人 生は、スムーズと呼ばれるようなものではなく、 試練や困難、問題や葛藤が十分ありました。しか し、イエス様は、いつも私と一緒でした。
シェーファーさんの本のタイトル 『それでは、 いかに生きるべきか?』の、『それでは』という 言葉は、神様の真理を知った私の心に、それから 先、どのように私が生きるべきか、神様の御心を求めて生きるこの世での人生の理由を、あらため て思い出させる言葉だったのです。そして、その 言葉、『それでは、』は、今日も、私の心に響いて いるのです!
『信じる者は救われる』
「神は、この世の人々には愚かに思えるキリ ストについての福音(ゴスペル)を、信じる者 を救うのです。」(第一コリント人への手紙 1:20 私なりの訳)
イエス様にもらった歌から『信じる者は救われる』
信じる者は救われる。誰でもみんな救われる x2
1. 信じることってどんなこと? じっと考えてみたら
全く疑わないままで、自分をまかせることですよ。
2. 椅子に座ったお嬢さん。そうです、あなたのことで すよ 椅子に座ったその時に、あなた、何にも心 配しなかったね
全く疑わないままで、自分の全ての体重を、椅子に 任せて座ったね それが、信じることですよ。
3. 仕事に、朝、出かける前に 子供と約束した父ち ゃん 仕事の帰りに自転車を、買ってくるから 待 っててよ
子供の顔が輝いた、近所のみんなに自慢した。まだ、 もらってないその自転車を、もらったみたいに大はしゃぎ
信じることってこのことさ 信じることって見る前さ
見たら信じるというけど 信じることって 見る前さ
4. すべてを創った神様が いるならほんとに知りたいと 思ったときに 気が付いた 自分が裸と 気が 付いた。
穴があったら入りたい 手ぬぐいあったらかぶりたい 池があったらもぐりたい 羽があったら、飛んで、 飛んで、飛んでー 行きたいよ
5. 私の全ての罪の為 優しいイエス様十字架で、 命を捨てたその愛を もらったときに救われた
椅子に自分を任せたら、イスがあなたを支えます。 イエスに自分を任せたら、イエスがあなたを支えま す。
信じる者は救われる、誰でもみんな救われる、 信じる者は救われて、天国目指して生きてゆく
最後まで、読んでくださって、ありがとうございました。
この冬も、いくつかコンサートを計画しています。もし、近くであるようでしたら、どうか、聞きに来てくださいますよう、お願いします。
11 月 28‒29 日 両日 20:00 ー 20:45 群馬県吾妻郡万座温泉 日進舘 0279-97-3131
12月1日(土)15:00開演群馬県桐生市 新里チャペル0277−47-6049
12 月 8 日(土) 14:00 開演 富田林市 浜西宅ホームコンサート0721-28-5133
12 月 9 日(日) 14:00 開演 大阪府堺市 北野田キリスト教会072-235-0522
12 月14 日(金) 19:00 開演 京都府宇治市 木幡キリスト福音教会 0774-32-7911
12 月15 日(土) 15:00 開演 埼玉県入間市 ニューライフ・ファミリーチャーチ 04‒2941‒5045
12 月16 日(日) 11:00 開演 15 日と同じ教会
12 月 18-19 日 両日 20:00 ー 20:45 群馬県吾妻郡万座温泉 日進舘 0279-97-3131
ザ・デイ / 森繁 昇
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