皆さん元気でしょうか? 心身ともに元気
なことを願っています!
「人生、一寸先は闇」昔からのこの言葉は
間違いありません。先のことは人から隠され
ているのです。それは、神の計画で、人が高
ぶらないためです。
「順境の日には喜び、逆境の日には反省せ
よ。これもあれも神のなさること。それは
後の事を人にわからせないためである。」
(伝道者の書 7:14)
しかし、イエスの愛と永遠の命の約束は、
一寸先も、そして、いつまでも変わらない
希望の光です! 闇ではありません! 希望で
す。それがゴスペルです! 人はそれが要り
ます!
『1本立て映画』
唯一無二、どこにもない劇的で、現実生身
の一本立て人生映画が、全ての人にあるので
す。 仮にあなたが、今、病で病院のベッド
に横たわっておられるとしても、職がなくな
り来月の家賃も食費もどうなるのかと案じ
ておられるとしても、離婚して子供も財産
も失う状態になろうとしていても、また、そ
の他、どんな絶望の状況の中におられるとし
ても…。全てをご存じで、愛と恵みとあわれ
みに満ちた、オールマイティーなる神がおら
れ、皆さんと一緒に人生を歩んでくださるの
です! それは、神の栄光のため! 神は人を
愛してやまないのです!
(連載)私の心の変遷『どのようにして、私がイエスを知るようになったのか?』
*3月号の終わり は──
『誰にどう思われても、この真相を知ることが
私にとって、人生で一番大事だ』と認めること
でした。これは、私の真実です。4 月号に続く。
*4月号の終わりは──
『えっーーー?日本の国のほとんどの人を敵に
回して、俺一人で立つことになるのか?(大げ
さなようですが、私にはマジでした)』『家族、
親戚、友達、それに全ての知人がいる反対側に
一人で立つことになるんやな。』『本当のことを
知る為には、何も要らないのですが、自分の全
てがかかるのです。』でした。その事は、全ての
人にとって同じです。
* 5 月号 6 月号には、私の心の変遷は書きませ
んでした。ごめんなさい。
以前も書いたことなので、あまり重ならな
いように。
1973 年の夏から、私は私と同い年くらい
の男性が 12 〜 13 人住んでいる家に引っ越
しました。(ナッシュヴィル)。ルームメート
はいましたが、なんせ安い。月 40 ドル。彼
らのほとんどが、クリスチャンというのです。
英語はあまりわからなかったのですが、彼ら
ひとりひとりのキャラは、はっきりしていた。
自由で優しかったかな? 他の人のことはと
やかく言わない、自分の人生は自分で、みた
いな、日本では経験しなかった自由さを彼ら
に感じました。
ある日曜日、彼らが行ってる教会とやらに
行ってみました。礼拝が始まる時間より少し
遅く着いたので、入り口まで超満員。じいち
ゃんばあちゃんもいましたが、なんと、ほと
んどが若者だった。それも、多くの若者がい
わゆる『ヒッピー』のようでした。何日も風
呂に入っていないような、何週間も洗濯して
ないような? 多分 500-600 人くらいが入る
礼拝堂だろう。空いてる席はもちろんなく、
入り口から前の講壇に続く二つの通路も、2
列で床に若者が座り、足の踏み場もない超満
員。何これ? 私は圧倒されたが、『この人ら
皆が洗脳されてるんか?』という感じはな
く、一人一人が自由さを持っているように感
じた。
『礼拝』
その教会は、大体どこの教会でも入る時に
手渡される『週報』(その日の礼拝の進行な
んかも書いてある。*このことは、何年かた
った後でわかったこと*)というものはなか
った。ざわざわしていたのが、だんだん静か
になり、どこからともなく、一人誰かが歌い
出した。すると、それにつれて、ほかの人達
が一緒に歌い始めた。タマゲタ!! その声と
美しさと技術にたまげた! 誰も指揮をして
いるわけではない。誰が、どのハーモニーや
るって、いつ決めたん? 楽器は何もなかっ
た。歌が終わると、静けさがしばらくあり、
また、違うところから、誰かが歌い始めた。
これが讃美歌 ?? 意味はわからなかったが。
そんな調子で、4 〜 5 曲歌っただろうか。自
由さと厳粛さと言ったらいいのか。真面目な
正直さ? そんな気持ちを声に感じた。上手
という言葉は当てはまらなかった。時々、会
衆全員が、立ち上がったり座ったり、また、
笑ったりした。私は、いつ立ったらいいのか、
また、いつ座ったらいいのか、いつ笑ったら
いいのかわからないので、ちょっと恥ずかし
い気がした。礼拝の中頃から話が始まった。
知らない言葉が多くてほとんどわからない。
話してる人のキャラは、腰の低い、大胆な優
しい人というのを、また、声に感じた。その
人は聖書を出して、その日の聖書の箇所?を
読み始めた。どこの何を読んでいるか全くわ
からない。
こんな調子で、何回か教会に行った。そう
こうしてるうちに、誰かが日本語の聖書を私
にくれた。クリスチャンでもないのに、私が
聖書を持ってることで、周りの人からクリス
チャンだと思われるのは嫌だった。
『不可能』
この人らは、聖書に書いてあることを、本
当に信じてるんかなぁ? 書いてあること
が、本当だと知ってるんかなぁ? もしそう
なら、 どうやってそれが本当だとわかった
んやろぅ?
私は、そんなことを考えるようになりまし
た。そして、あのいつもの話です。創世記 1
章 1 節です。どのようして、彼らは、それ
が本当だとわかったのか ??? 私は、そのこ
ろまでに、聖書に書かれてあることが、『もし、
本当なら知りたい。』と思っていました。私は、
そのようなことを何日も考えていたと思いま
す。しかし、造り主なる神がいることが本当
かどうか知ることは『不可能』という答えに
到達しました。知るすべがないのです。
『興味深い聖書』
何日も経ったと思います。私は、創世記
を、とても興味を持って読んでいたと思いま
す。「もし、本当なら知りたい」と思って読
んでいる私には、その内容は、とても新鮮?
神が人間みたい?(実際は、人間が神に似せ
て造られたのですが…)神には妥協がない?
神は、人に言った言葉に対して忠実?神はあ
われみ深い? 人は、どうして、神に逆らう?
等…を感じていました。何だ! 物語みたい
じゃん! 私は、聖書が難しいなんて全く思
いませんでした。
(ここのところは、もっと細かく書いてみ
ますね。)
『もし、本当にいるなら ??』
私の心はだんだん変わっていきました。「も
し、造り主の神が本当にいるなら、今、俺の
ことを、どっか上の方から見てるんだろう。
そして、俺のことを、よく知ってるんだろう。
天と地を造れた神なんだからなぁ。もし、そ
うなら、神は、俺が神を知りたがってること
も知ってるはずだ。もしそうなら、神の方か
ら、俺に自分のことを直接教えたらいいじゃ
あないか! こっちからは知るすべがないん
だから!」と心が言いました。
私は、これらのことを、『もし本当なら知
りたい。』の心で、まだ知らない神に立ち向
かっていたのです。横柄にも。
それから、どの位たったのでしょうか。
天地の全ての造り主なら、『俺のことを良く
知ってるどころか、知り尽くしているに違い
ない。』の想いが、私を襲ったのです。これ
らの私の心の変遷は、私と、私がまだ知らな
い創造主なる神との二人(?)だけの間で起
こったことです。
『私という人』
『神は、私のことを、知り尽くしている?』
それは、私が勝手に想像したことでした。私
のことを知り尽くしてる? えっ? その時ま
で、『私のこと』(私という人)というのは、
『他の人が私を見たり聞いたりして、彼らが知っ
ている私』それが私でした。外見、言葉、言
葉使い、声の調子、動作やしぐさ、何ができ
るか、キャラ、等、外側からだけで判断され
る私です。私自身も、それが自分だと考えて
いたようです。いや、実際、そんなことは、
多分、一度も考えたことがなかったと思いま
す。それは、人は誰も、他の人の心の中は見
えないからです。私も、他の人の心は見えま
せん。そんな私に、『神は、私の心の中の全
ても知っているんじゃないだろうか? 天と
地の全てを造った神なら、それはできるに違
いない!!』その思いが私を襲ったのです。
『アーーーーーーーーーーーーーっ!!!!』
『なぜ、そんなことを考えた?』
そんな神が、いるかいないかもまだわから
ないのに、私は、自分が悪いと知っているこ
とでも平気でやってきた多くのことや、誰に
も知られないからと思ってやった多くの悪い
こと、恥ずかしいこと、それに嘘嘘嘘……を
考えてしまった。その時まで、そんなことは、
生まれて一度も考えてたことがなかったので
す。それなら、「なぜ、その時、そんなこと
を考えた ??」その理由は……天と地を造っ
た神がいるかもしれないと「想像した」から
です。私は、ただ、その想像だけで、やられ
たのです!「なぜ、そんなことを想像した
???」それは……私が、『もし、創世記 1 章 1
節が本当なら、その創造主なる神を知りたい』
と心が言ったからです。
『私は、罪人だ。』
その時です!私にとって、生まれて初めて
の思いが心に起こりました。
それは……もし、天地の全てのものを造ら
れた造り主の神がいたら、『私は、罪人だ。』
ということでした。そして、世の中の全ての
人間が罪人であると思いました。神の前に、
正しい人は誰一人いない。そして、人類の全
ての『悪』というものが、人の心から出てき
た(出てくる)のだと確信しました。 「森繁
昇は、どんな悪でもやる可能性を持った罪人
である」とわかったのです。このことは、私
の心に起こった、本当のことです。それを証
してくださるのは神です。
「ハワイの生活」(雨水)
私たち家族がハワイ島ヒロに引っ越したの
は1986年です。私の最初のヒロの印象は、「雨
がよう降るなぁ!」(年間雨量 3500 〜 4000
ミリ)でした。それは、私の最初の仕事がマ
カデミアンナッツの農場での草刈りだったか
らかもしれません。それも、鎌で刈るのです。
ナッツの木を植えたばかりの 700 エーカー(1
エーカー= 1200 坪)を売り出した会社と購
入会社の商談が裁判となって、まだ 50 〜 60
センチしかないナッツの木の周りの雑草が1
度も刈られてない時に、私が雇われたのです。
常夏の雑草は 2 メートル近くになっていて、
ナッツの木がどこにあるかわからない。大き
な草刈り機を使うとナッツの木を切ってしま
う。それで、「ナッツの木を見つけて、その
周り、直径 2 メートルの雑草を刈り、木の
そばに 3 メートル位の(赤いリボンを結んだ)
竹竿を突き刺すこと」これで、大きな草刈り
機がナッツの木を切らないで済む。「はい、
かしこまりました!」と言ったものの、この
仕事をするのは、私と現地のおっさんのカヴ
ィカの 2 人だけーーー!! ゲェーー! 朝に、
ちょっと彼を見るだけで、そのあとは、ほと
んど一日中彼を見ない。木は、だいたい 10
メートルごとに植えられていた。マジ、終わ
りのない草刈り〜! 1 時間 3 ドル 65 セント
(450 円)の最低賃金をもらった。これがハ
ワイでの私の最初の仕事。36 歳。私は、仕
事ができることを雇い主にわかってもらう気
で、一生懸命に黙々と草を刈った。雨が降る。
スコールというんじゃない!ある時は、土砂
降りが半日続く。宿るところがないまま、ず
ぶ濡れで草を刈る。涙が急に溢れる。これが
何日も続く。日本にいた時は、自分の家で始
めた教会で、チノパンにカッターシャツかな
んか着て、イエス様を語っていた。でも、今
の俺は何だ⁉ 俺がここで、こんなことして
るって、誰一人知る人はいない……。草を刈
る手をとめ、鎌を持ったまま、まっすぐ立っ
たら、もっと涙が溢れた。雨か涙かわからな
い。弱虫。そう、弱虫……。
『1本立て人生映画』
何年も経ってから、あの時のことと、その
光景を思い出す。自分からチョット離れた場
所で、あの時の自分を見るのです。土砂降り
の中、鎌を持ったまま、泣きながら、突っ立
てる私。唯一無二、どこにもない劇的で、現
実生身の一本立て人生映画!「神様ーー、私
は、ここで何をしてるんですかーーー?」と、
叫んでいる。
誰の人生にも、そのような時が必ず来ると
思います。誰もわかってくれない、誰も慰め
てくれない、自分のいろんな大変なことを、
誰も知らない時が来る。しかし、あの時も、
神は、神の恵みと私への忠実を優しく示して
くださった。(私が、忠実でなくても。)イエ
スは私を救ってくださるために、十字架で命
を捨ててくださったことを。神は、私を愛し
ておられることを、はっきり思い出させてく
ださった。「私を救うために、神の子の命が
かかったのです!」神は、私によくしてくだ
さらないはずがないのです!
その時から、私は、またイエスに励まされ、
心をふるい立たされて、黙々と草を刈った。
(他の人にとれば、大した試練に思えなくて
も、本人にとれば、一世一代の、どえらい患
難と思われることが、誰にでもあるのです。)
私は、この世におらせてもらう限り、皆さん
に、イエス様を伝えさせてもらいたいのです。
雨水を使うハワイの生活を書こうと思って
たのですが……すみません。
ザ・デイ / 森繁 昇
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