(5月のニュースレター)
その後、皆さん、元気でしょうか? まだ
収束しないコロナの中ですが、人生、何が起
こっても、イエス・キリストに希望と救いが
あります!
「イエス様、助けてください」
コロナに感染することの恐れもあるでしょ
うが、経済的困難からの心配や落胆が、多く
の人を襲っていることを思い、不安な毎日を
送る人々のことが気になります。食べるもの
も十分得ることのできない人々も多くおられ
ると想像します。親戚や友達、また近所の人
たちでそのような状況の中におられる方を知
っていたら、必要なものを分け与えて、励ま
し合いましょう。イエス様、どうか、私たち
を助けてください。必要なものを与えてくだ
さい。私たちの心を力づけてください。お願
いします。アーメン。
「疎遠」
食堂や銭湯に行くと、黙食、黙浴、と入り
口に書いてあるのが目に留まる。「マスクを
して、話はしないように」という行政からの
指導の中で、誰が苦しんでいるのか、ますま
す分からなくなっていく状況です。コロナが
問題になる前でも、多くの人は、他の人と関
わりを持つのは苦手。コロナが続けば、これ
からますます、人と人の関係が疎遠になり、
落胆と寂しさの中で生きる多くの人が出るこ
とは確かだと思います。親しい友達とでさえ、
関わりが薄くなるのです。このような状況の
中で、意識的に自分で心がけ、自発的に、積
極的に自分にできる方法で、人との関わりを
強く保つことは、生きて行くのに必要不可欠
だと思います。このような状況になって初め
て、「人は、自分だけで生きていくものでは
ない」と気が付かされるのじゃあないでしょ
うか。いつの時代でも、人が助け合い、励ま
し合い、慰め愛し合い、お互いに憐れみ深く
あることは、神様の心です! 確かに、これ
らの事を口で言うことは簡単ですね。かりに、
心では助け合った方が良いと考えていても、
そうできない、そうしない、というのが、現
実かも知れません。神様、私たちを助けてく
ださい。
「人の心に書かれた神の性格」
人は誰も、「困ってる人を助けてあげたほ
うが良い、励まし合い、慰めてあげた方が良
い、愛しあい、力づけ、優しく憐れむ心でい
たわってあげたほうが良い。」そういう気持
ちが心にあります。誰にでもです‼ 自分で
そのように考えようとしなくても、その気持
ちが、全ての人の心の中にあるのです。これ
は、神の奇跡の業です‼ それは、神の性格
なのです‼ そのことは、神が、人の心に、「神
が現実におられること」を示している一つの
方法です‼ しかし、人は、自分の心の中の
それが良いと思いつつも、そのようには生き
ないことが多いのです。それどころか、それ
とは反対に、悪いと知っていることをしてし
まうのです。人を悪く言ったり、あざ笑った
り、見下げたり、批判したり、馬鹿にしたり、
意地悪なことを言ったり、無視したり、いじ
めたり、ののしったりする。そのようなこと
は、何の努力もしないで、いとも簡単に、素
早く心の中で思い、口に出し、行動が取れる
のです。そのようにしようと練習したり訓練
したりしなくても、すぐできます。残念なが
ら、私もそうです。自分が、そうすることが
良いと思っていことをするのは、難しいこと
が多く、多くの場合やらないし、また、はっ
きり言ってやるのは不可能と思われます。あ
る程度できるように思えても、状況が変わっ
たり、自分の気分が変わったら、やる気は飛
んでいき、心からやるのは無理でしょう。し
かし、そのことも、「神が現実におられること」
を神が人の心に教えようとしている方法だと
思います。
聖書からの話「良きサマリヤ人」
このことは以前にも書きましたが、もう一
度書かせてくださいね。アメリカで、時々、
テレビやラジオのニュースなどで、この言葉
を聞きます。「良きサマリヤ人」これは、聖
書のイエス・キリストの例え話から引用され
たものです。しかし、実際にイエスが言われ
たのは、「あるサマリヤ人」です。困ってい
る人に出くわしたある誰か知らない人が、す
ぐにその人を助け、その後、その場を去って
行ってしまい、その人が誰だったかもわから
ない、そのような人のことを「良きサマリヤ
人」と言うようになったみたいです。
その聖書の箇所を書いてみますね。
……ある律法の専門家が立ち上がり、イエ
スをためそうとして言った。「先生。何を
したら永遠の命を自分のものとして受ける
ことができるでしょうか。」イエスは言わ
れた。「律法には何と書いてありますか。
あなたはどう読んでいますか。」すると彼
は答えて言った。「心を尽くし、思いを尽
くし、力を尽くし、知性を尽くして、あな
たの神である主を愛せよ。」また「あなた
の隣人をあなた自身のように愛せよとあり
ます。」イエスは言われた。「その通りです。
それを実行しなさい。そうすれば、命を得
ます。」しかし彼は、自分の正しさを示そ
うとしてイエスに言った。「では、私の隣
人とは、誰のことですか。」
イエスは答えて言われた。「ある人が、
エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に
襲われた。強盗どもは、その人の着物をは
ぎ取り、殴りつけ、半殺しにして逃げてい
った。たまたま、祭司(ユダヤ教の神事を
する人)が 1 人、その道を下ってきたが、
彼を見ると、反対側を通って過ぎて行った。
同じようにレビ人(祭司を助ける役の人)
も、その場に来て彼を見ると、反対側を通
りすぎて行った。ところが、あるサマリア
人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見
てかわいそうに思い、近寄って傷にオリー
ブ油とぶどう酒を注いで、包帯をして、自
分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱
してやった。次の日、彼はデナリを 2 つ
取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介
抱してあげてください。もっと費用がかか
ったら、私が帰りに払います。』この 3 人
の中で誰が、強盗に襲われた者の隣人にな
ったと思いますか。」彼は言った。「その人
にあわれみをかけてやった人です。」する
とイエスは言われた。「あなたも行って同
じようにしなさい。」(ルカ 10:25 〜 37)
「……たまたま」、と祭司の場面にあります
が、それは、サマリヤ人の場面でも同じで、
たまたまサマリヤ人も、強盗に襲われたその
人に出くわしたのです。……そのことは、「い
つ起こるかわからない、すなわち、どんな時
でも」助けることを言っているのです。そし
て、「あるサマリヤ人」というのは、良い人
とか悪い人というのでなく、誰でもみんな、
そうするのが当たり前のことですよ、と言っ
ているのです。
しかし、「俺は、どうなん?」
「私はちゃんとやってるしぃ!」
後半の部分は、イエスの例え話です。その
例え話をした経緯があります。それは、その
律法の専門家が、自分の正しさを示そうとし
てイエスに言った言葉からです。「私は、そ
のようなことはちゃんとやっていますよ。」
みたいな。そこで、イエスは、神を愛するこ
とと、隣人を自分のように愛することがどの
ようなことかを、その例え話で説明したので
す。「愛しなさい。」という言葉が 2 回出ます。
神の律法は、「神を愛しなさい。」そして、「隣
人を自分のように愛しなさい」です。ここで、
イエスは何を言いたいのでしょうか?「神を
愛す」と言うのは、具体的にはどう言うこと
なのでしょうか? 聖書の別の箇所に、「神を
愛するとは、神の命令を守ることです。その
命令は重荷とはなりません。」とあります。
神を愛していれば、神が言われるように生き
たいですよね。
だから、神を愛するとは「神が、言われる
ように、神が、人に望まれるように生きるこ
と。」だと思います。
「知ってることを実行しなさい。できる?」
この律法の専門家はイエスの二つの質問に
正しく答えました。それは彼が、神のやって
ほしいことを、すでに、知っていたというこ
とでしょう。そのことって、なんだか、私の
ことみたい。知ってはいたが、やらなかった
のです。できなかったのです。
しかし、イエスは、「それを実行しなさい。」
「あなたも行って、同じようにしなさい」と
言いました。
「えーーーっ!」「はたして、そんなことが、
人に、できるでしょうか?」しかし、イエス
は私たちにそんな命令をしました。そのこと
を通して、神は人に考える機会を与えてくだ
さっているのです。
それは、神の前に、自分の行いによって正
しいと認められる人は誰もいない。神の望ま
れることを、自分の力ですることは不可能な
のです。しかし、「
人にはできなくても、神
には何でもできるのです。」と、イエスは言
われます。そのことは、神に罪を赦され、神
の愛をもらった者に、そのもらった愛と力で、
神の望むことをさせると言うのです。だから、
「
神の命令は、重荷とはならないのです。」現
実です。それは神業です。世の人々は、それ
を見て、どたまげるのです! そして、その時、
世の人々が、創り主なる神の存在の現実を考
える時となるのです。
「
捜しなさい。そうすれば見つかります。」
この言葉は、全ての人に、間違いない、イエ
ス・キリストの約束の言葉です。
ハワイのこと「ジミー」
このレターを読まれている方で、「ジミー
は、あれからどうなったんですか?」と、何
人かの方から尋ねられたので、少しお知らせ
しますね。
ジミーのことは初めての方に簡単に説明す
ると、カリフォルニア・サンディエゴ生まれ。
現在、29 歳の青年。4 歳の時、裁判所の命令で、
2 歳上の兄と一緒に両親と別居し、ワシント
ン DC(東海岸)のおじさん夫婦のところに
預けられる。以後 18 歳まで、ひどい DV の
中で過ごし、高校を出るとすぐに家を出てホ
ームレス。すでにドラッグをやっていた兄か
ら彼もドラッグを習い、ホームレスのまま、
5 年間一人、カリフォルニアまで流れる。ド
ラッグの金やバイトの金で、2015 年、ハワ
イ島のコナに来る。そこで、ホームレス生活
を 4 年。2019 年、200 キロ離れた島の反対
側の町、パホアに、一人徒歩で着。パホアは
ドラッグをする人とホームレス人が多い。
同年 3 月、私、「ブリキ小屋のパン屋」で、
彼に会う。そこは、日曜日「グラスルーツ(草
の根)教会」になる。その時、すでに、ドラ
ッグのせいで、ジミー、歯が一本もない。
彼と仲良しになった。週3日くらい彼と会
う。私の仕事も手伝ってもらい、2019 年秋
に私が日本に出発する前の日、ドラッグをや
めるのを助け、また、仕事、住居を得られる
よう援助する団体に入れてもらった。1 年計
画。そこからの話。
「ジミー、本土へ」
私が、日本に行った 2 週間後、ジミーは、
夜中、その施設から勝手に抜け出し、翌日、
教会の友達から飛行機代を借りて本土に飛ん
だ。それから長く連絡が途絶える。2020 年
3月、本土のホームレス・シェルターの施設
の人の携帯で彼と話す。ハワイに戻りたいと
言う。「今、コロナだから、帰らないほうが
良い。」と伝えた。
「帰ってきたジミー」
6月。パホアの教会の牧師から、ジミーを
見たと連絡があった。コロナで教会での礼拝
中止中。皆コロナを警戒していた。私は、ま
だ、彼に会わないほうが良いと思っていた。
2021 年2月。牧師から電話。ジミーが、ど
うしても私に会いたいと言って教会に来たと
連絡。私も会いたい。翌日、パン屋に行って
ジミーのことを尋ねたら、何度か見たが、ど
こにいるか分からないという。パホアの町の
通りに出て、「ジミー知ってる? 歯が一本も
ない痩せた青年だけど。」3人目に尋ねた女
性が、「知ってるよ。彼、ヌード・コロニー
に住んでるよ。」「エッ、ヌード・コロニー?
俺もそこに行けるんかなー?」「行けるよ。
カラパナ・ハイウェイの 13 マイル・マーカ
ーの立て札が立ってるとこよ。」「俺も、服脱
がなきゃいけないんかな?」彼女は、黙った
まま微笑んだ。
その場所は、パホアから車で 10 分くらい
のところだった。ハイウェイに面したゲート
を入り、でこぼこで岩だらけの道をゆっくり
3 〜 4 分運転した。あたりはジャングルで、
誰一人いない。もうしばらく運転していたら、
道路のかなり向こうから、金網のフェンスの
ロールを肩に担いだ、真っ裸の男がこっちに
向かって歩いて来る。彼に聞いたら分かるだ
ろう。彼が車のそばに来た時、よく見ると、
何と‼ 「ジミーやーー!」彼も私に気付き、
ちょっと恥ずかしそうに、半分私に背を向け、
「オーノー!」と一言。また振り向いた彼の
顔は、あの無邪気で歯無しの大きな口を開け
た笑顔だった。私も嬉しくてたまらなかった。
それまでの経緯をいろいろ話してくれた。ジ
ミーはとても健康そうに見えた。アイス(強
いドラッグ)はやめて、もうやらないと言っ
た。イエス様、ありがとう。
以来、私が、今回日本に来るまで、週に2
〜3日会って、一緒に聖書を読み、お祈りし
て、食し、ドカタの仕事を私と一緒にしても
らっている。ジミーのために祈ってくださっ
ておられる皆さん、ありがとうございます。
神は、実に、そのひとり子をお与えにな
ったほどに、世を愛された。それは御子を
信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちをもらうためです。
(ヨハネ 3:16)
最後まで読んでくださって、ありがとうご
ざいます。今まだ大変な中ですが、イエス様
が、続けて皆さんを恵み、祝福してください
ますように。
ザ・デイ / 森繁 昇
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