その後、みなさん元気でしょうか? また、
もう一回秋です。もの思いにふける秋です。人
生を、自分を、昔の思い出を。いや、何度も聞
いたイエス・キリストの良い知らせ「ゴスペル」
を考え、想いをひそめる秋です。どうか、今日
も、最後までよろしくお願いします。
今日は 9 月 26 日。今、秋の伝道の旅で日本
に向かうジェット機の中です。
私のレターの原稿の締め切りは、一応、毎月
15 日です。間に合ったことは多分一度もなく、
なんと、もう月末です。
皆さんも既に、ご存知のように、私は、神で
あるイエス・キリストが与えてくださる人類の
真の望み、神の愛、罪の赦し、神の下さる目的
ある人生、そして、この世の命が終わった後、
天国で与えられる永遠の命のことを書いてきま
した。それは、そのことを、どうしても皆さん
に知っていただきたいという願いから始まった
ことでした。そして、それは、神様から私に与
えられた役割でもあるのです。
しかし、今日はそのことを中心には書かない
で、この約半年間に起こった、私の個人的な生
活の一つのことを書かせてください。もちろん、
これらのことは神様の恵みと導きの中で起こる
ことなのですけれど…。
「パホアの村」
私の住んでる所から 130 号線を南の方に車
で 15 分くらい行ったところにパホアという村
があります。この村は、去年莫大な溶岩を吹き
出した地割れから車で 2 〜 3 分のところにあ
ります。1868 年以来、日本から契約移民とし
て入ってきた人々が、ここでも、さとうきびを
栽培しました。ですから日本の名前の人々がま
だあちこちに住んでいます。さとうきびが儲か
らなくなってから、農家の人はパパイヤ、グア
バ、切り花、生姜などを植えてきましたが、今
は、農業面では、さびれた村という感じです。
しかし、70 年代頃からアメリカ本土の白人
の若者たちが南国の楽天地を求めてやってくる
ようになり、現在は、いろんな宗教をやってい
るニューエイジの人々、麻薬やマリファナを常
用するヒッピー達でにぎわってる村という感じ
がします。
パホアのメイン通り(雑貨屋、レストラン、
健康食品店、セブイレ、コインランドリー、お
土産屋、ガソリンスタンド等)は 400 メート
ルほどですが、車で通るとたくさんのホームレ
スの人や、リュックを担いだ若者達が目にとま
ります。最初、パホアは、「私の知らない世界
の人たちの村」という感じがしていました。
「ティンシャック・ベーカリー」
(ブリキ小屋のパン屋)
文字通り、古いトタンの屋根とトタンの壁で
囲った、錆びた小屋って感じのパン屋。以前は
何かの倉庫だった天井の高い建物を、そのまま
使っていて(キッチンはきれい)、建物の片方
の壁を取り外し、そのまま外にオープン。なん
とも開放感がある。客にとっては、気を使わな
い居心地のいい場所みたいだ。
このパホアの村の端の方に、7 年位前から若
いクリスチャンオーナーが、めっちゃうまいパ
ンとスイーツ、いろんなサンドイッチなどなど
出す、このパン屋兼軽食屋を開いたのだ。なん
と、パホアとパホア近辺のジャングルに住むヒ
ッピー達はそこで出される食べ物が大好き。そ
れにうまいコーヒーも出す。値段も高くない!
むしろお買い得。朝 6 時から午後 4 時まで、
だいたい毎日客でにぎわってる。そりゃあ、い
ろんな格好の人が来る。サーカスのピエロのよ
うな人、海賊映画に出てくるような人、上半身
裸ではだしのひと。若者からお年寄りまで、今
まで私が、全く想像もしたことのない格好の人
たちがいっぱい。マジで。
日曜日にはこの場所は、「グラスルーツ・チ
ャーチ」(草の根教会)となる。
「ジミィー・イーガンと私」
「全くやせ細って、顔と足は泥だらけ、歯は
一本もない、ボロをまとったはだしの青年」そ
れがジミーです。
この 2 月のなかば、私は彼とグラスルーツ・
チャーチで出会った。彼に気がついた私は彼
に近づいて行って、「調子はどう ?」と言った。
彼は何も言わなかったけど私を見てニコニコし
た。「僕はノボルという名前だけど、君は?」「ジ
ミーです」「会えて嬉しいよ」と言って握手した。
口ひげの奥の、一本も歯のない口に気づいて、
握手しながら、「あんた、どうしたんだー?」と、
既に私の内は泣いていた。ジミーと私は、最初
に会ったその時から、お互いが好きになったと
私は思った。教会の後、しばらく話したら、パ
ホアに住んでると言う。靴はあるというので、
翌日の月曜の朝 8 時に靴下とトレーナーを持
ってくるから、ティンシャックで一緒にコーヒ
ーを飲もうと約束をした。
翌朝、彼は来なかった。火曜の朝も行ってみ
たが、いなかった。でも、次の日曜日に教会で
会った。良かった。歯がないので話しにくいみ
たいで、あまり話さない。しかし、お互いに顔
を見合ってニヤニヤした。靴下とトレーナーを
渡して、次の日の朝 8 時に、又約束した。その
日は、彼が先に行って私を待っていた。うれし
ーー! 美味いシナモンロールとコーヒーで、
1 時間くらい話した。
だいたい毎晩、カバ・バーの入り口の軒下で
寝させてもらってるという。そこは、正にヒッ
ピーのたまり場。常時マリファナの匂いがする
薄暗い場所。(カバ……カバという木の根っこ
を絞ったり、粉にして水に混ぜて作った飲み物。
飲むと口の中がしばらくしびれて、リラックス
させるのだそうだ。) そのバーではアルコール
は出さなくて、客はだいたいみんな静か。そこ
のオーナーの土地の草刈りをすれば、時々、わ
ずかな食べ物をくれて、軒下に寝させてくれる
という。少しは想像できても、私にはその生活
が全くわからない。その後、春の旅で日本に出
発するまで、週に 2 〜 3 度あって、シナモン
ロールを食べながら、一緒に聖書を読んだ。
「6 畳くらいの箱」
5 月 21 日、日本から帰って来た。日曜日、
ジミーに会えるのを楽しみにして教会に行った
ら、彼がいた。「I missed you」ニヤニヤしな
がら私に走り寄って来て彼が言った。私たちは、
そりゃあもう、嬉しくてハグした。
私がいなかった間、大きな変化があった。カ
バ・バーのオーナーのデイヴは、パホアの郊外
に、動かなくなった車、約 700 台(ジャング
ルの藪に埋れてる)を置いてるジャンクヤード
を持ってる。ここにお客が中古の部品やタイヤ
を買いに来るのだ。そこで、ジミーはタイヤを
外す仕事をもらったと、嬉しそうに話す。タイ
ヤを外すのは誰にでもできる仕事ではない。大
変な仕事だ。彼は一生懸命な人だと私にはわか
る。タイヤを 1 本外すと、10 ドルもらえるそ
うだが、客が来ないと一銭にもならない。火曜
から土曜まで、朝 9 時から夕方 5 時まで、そ
こで客を待つ。忍耐強い!「屋根のついた箱が
あるんだ」と、また嬉しそうに言った。それを
見せてもらった私も、嬉しくなった。それは 6
畳くらいの部屋で、奥の壁にロフトがあり、そ
こで寝るのだが、壁の上は 20 センチくらいぐ
るりと開いている。窓が 2 つあるが毛布がか
けてあって、そこは蚊の巣くつ。ドアはあるが
蚊は自由に出入りできる。ドアの前に 1 分間
立ってたら、軽く 30 箇所は刺されるだろう!
笑。大げさじゃない! そこら中に積んである
中古タイヤで蚊が生まれるのだから、それもそ
のはず。
近くに住む 30 年来の友達テリー・ケリーに
頼んで、箱に天井を張り、窓とドアに網戸と網
のドアをつけてもらった。テリーは本当に頼り
になるクリスチャン兄弟です。(クリスチャン
は神の子供だから、お互いは兄弟姉妹で、テリ
ーも私の兄弟。)
「ジミーがいない」
日本から帰って来て 1 週間くらい、だいた
い毎朝 8 時にジミーをピックアップしてティ
ンシャックで一緒に聖書を読んだ。 彼は、夕
方になるといつもカバ・バーに行っていた。パ
ホアのその辺には、ヒッピーやほかのホームレ
スの人達がいて、ジミーはリラックスできたん
だろうと思う。
その次の週の月曜はジミーと会わなかった。
火曜の朝、同じ時間にジミーの箱に行ったけど、
ジミーがいない。すぐにカバ・バーに行ったら、
オーナーのデイブがいた。「ジミーがいないん
だが、どこにいるか知ってる?」と聞くと、「ジ
ミーに何か悪いことが起こったようなんだ。今
朝までには帰って来てるはずなんだ」と、かな
り慌ている。聞くと、月曜の夜、デイブは自分
の車で友達を島の反対側のコナの飛行場まで連
れて行くようジミーに頼んだというのだ。エー
ッ! ジミーに頼んだ?!! 運転できるん? 免許
証持ってるん? 身分証明書もないだろう! そ
りゃむちゃだ! 彼に何が起こったか、今どこ
にいるかわからないのだ。「警察に電話してみ
ろよ」と言い残して、私はティンシャックへ行
ってみた。いない。私は、イエス様にお願いす
るほか、何もできないのです。
「無事でよかった。イエス様、あり
がとう」
次の日の朝(水曜)、わかった。
ジミーは、北回りでコナに行き、飛行場でそ
の人を降ろした後、南回りでヒロに向かった。
そして、島の最南端の村、ナアレフを過ぎたと
ころで、警察に止められ、車を道路横に停めさ
せられ、留置所に直行。火曜の朝、留置所を出
て裁判所に連れていかれたことが分かった。
それを知った(Jimmy was released,,, と言っ
たデイブの言葉を、ジミーは釈放されたと理解
し、誤解し?早合点?)おっちょこちょいの私
は、いても立ってもいられなくなって、「そうか、
ジミーはナアレフの留置所から出て、ナアレフ
の裁判所に連れていかれ、釈放され、今ヒロに
向かって歩いて帰って来てるんだ! 100 キロ
はあるだろうから、まだ歩いているに違いない。
あんな汚いホームレスをピックアップしてくれ
る車はないだろう。」私はナアレフに向かって
すぐ出た。「無事で良かった。イエス様、あり
がとう。」
ヒロからナアレフまで、家は全く無いといっ
てもいい一本道。私は運転しながら、こっちに
向かって歩いて来るジミーが見えてくるのを想
像して、嬉しくて泣いていた。
「ジミー、どこにいるんだ?」
ジミーに会わないまま、ナアレフについた。
ナアレフの警察に駆け込んだら、ジミーは昨日
釈放され、コナの裁判所へ連れていかれたとい
う。そして、2 日後にもう一度裁判があると言
った。そうか、ナアレフには裁判所はないのか。
歯がゆいほど俺の気持ちを知らないノロノロし
たこのジジイの警察官は、最後に「どこにおる
か分からん!」と一言。腹たつーー!入って来
た若い警察官にコナの裁判所の住所を聞き、も
う 100 キロ近く車を飛ばした。昼過ぎに着いた。
裁判所は坂道を登ったところにある古い建物だ
った。何でもいいからジミーの情報が欲しくて、
入り口でセキュリティーのおじさんに、ジミー・
イーガンのことを聞いたら、「そんな名前聞い
たこともないし、わしらー、この入り口のセキ
ュリティーの仕事やから、何も分からん」と言
った。この人は、私に同情的だった。「ありがと」
と言って、裁判所を出て坂を下って行った。こ
こは、キャプテンクックという地名で、コナコ
ーヒーを栽培する農家や住宅もたくさんある。
キャプテンクックはコナの町から車で、20 分
くらい南に行ったところ。「あいつ、明後日ま
でこの辺のどこかの軒の下で待つつもりじゃな
いだろうか?」と思った私は、その辺をしばら
く運転した。いや、多分、ダウンタウンのホテ
ルやレスランがあるところの方が残飯にありつ
けるだろうからと思い、コナの町に向かう。カ
メハメハホテルの前に車を停めて、しばらく歩
き回るが、見つからない。「北回りで、ヒロに
向かって歩いて帰ってるかもしれない」と思っ
て車を飛ばした。パホアまでは 180 キロある。
彼に会わないまま家に着いた。私は、イエス様
にお願いするほかないのです。
2 日後、8 時から始まる公判に間に合うよう
に 5 時過ぎに家を出た。同じセキュリティー
のおじさんがいた。「そこの壁に、今日裁判受
ける人の名前と順番が書いてあるよ」4 番目に
Jimmy Eggon とあった。良かった。20 人くら
いの名前があったから、最初から入って待って
いた。裁判を受ける多くの人は、手錠や足かせ
をされていた。4 番目にジミーは現れなかった。
午後 4 時頃、最後の人が裁かれたが、ジミー
は現れなかった。私には、分からないことがた
くさんある。私は、ただ、イエス様にお願いす
るほかないのです。「ダウンタウンのどこかに
まだいるのかもしれない」と思って、またダウ
ンタウンの海沿いのにぎやかな通りをキョロキ
ョロしながら車で往復した。いない。8 時頃家
に着いた。泣く。私は、イエス様にお願いする
ほかないのです。
1 回のレターで書き終えらると思ったのです
が、無理なので、11 月号に「つづく」にしますね。
ごめんなさい。
この秋もいくつかコンサートを計画していま
す。もし近くであるようでしたら、聴きに来て
くださいね。
10 月 6 日 群馬県 大泉キリスト教会 0276-63-2329
7 日 さいたま市 (個人宅) 09054166012(津島)
9 日、10 日 群馬県吾妻郡 万座温泉日進舘 0279-97-3131
12 日 横浜市 保土ヶ谷純福音教会 045-333-8965
20 日 兵庫県 姫路栄光教会 079-296-3868
24 日 横浜市 関東学院大学 金沢八景キャンパス
26 日、27 日 茨城県猿島郡 境キリスト教会 0280-87-1140
29 日 横浜市 関東学院大学 金沢文庫キャンパス
11 月 3 日 奈良県 高田一麦教会 0745-52-6355
6 日、7 日 群馬県吾妻郡 万座温泉日進舘 0279-97-3131
9 日 大阪府富田林市 浜西宅ホームコンサート 0721-28-5133
10 日 大阪府堺市 北野田キリスト教会 072-235-0522
ザ・デイ / 森繁 昇
〒744–0019 山口県下松市桜町2丁目17–24
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