2011/8/22

祖父 66年たって  雑記

毎年お盆の時期は、戦争終結のタイミングと重なり、日本中で亡くなった家族へ思いをはせる時期ですね。
いつもそんなことを考えながら、バタバタと時間がすぎ、気がついたらあれからもう66年もたってしまっているという。

しかし、自分がどれだけ当時のこと、なにより家族のことをどれほど知っているかというと、たいへん心もとない。
自分から母や父、祖母に時どきに聞いたといえば聞いたのだけど、あえて突っ込んだ話などしないまま。時間だけが過ぎてきてしまったように思います。

今年103歳になる祖母に、そうした話を聞くにも、今はちょっと難しい。
だったらもっと早く、って後悔もあるけど、実際当時の状況はそれはあんまりな状況で、母や祖母にとって思い出すのも辛いし、それをあえて積極的に話をするのもしんどかったのが正直なところのような気がする。祖母の部屋に飾られていた祖父、叔父の写真を見ながら、そんな気がしました。
父が自分の戦時中の話をしたり、手紙に書いたりしたのも亡くなる直前のことでしたから。


断片だけを聞きかじっても、なんかそれ以上「それでどうしたの?」「なんでそうなったの?」など聞くのを躊躇してしまったり。


こないだ北海道へ帰省して、ひとつわかったことは祖父は徴兵されてすぐに沖縄へ派兵されたわけではなく、第24師団という部隊に入り、最初は満州にいたということ。
ほどなく米軍上陸を控えた沖縄へ転戦となり、それから2ヶ月後くらいに激戦のなか命を落としたらしい。

祖父の最期がどうだったのか、誰か知っている人はいたのだろうか?

でもNHKのドキュメンタリーで証言する生存者の方の話を聞くと、それはそれはあまりに壮絶すぎて、もしかしたら祖父もそうした境遇にあったから、僕らが初めて沖縄を訪ねたとき、天国から電話をかけてきたのかな、とも想像する。

そして大黒柱を失った農家の長男として、重圧を感じながら、現金収入をえるために電気工事の職についていた叔父は仕事中の事故で20歳という若さで命を落としてしまった。治療代にもことかき、大事な馬を売っても、当時のお粗末な治療ではかなわず亡くなってしまったのだけど。
その時の話は以前聞いたことがあり、あまりに悲惨だったので、これ以上ここでは書かないけど。

戦前から戦後を時代背景としたNHKの朝ドラ「おひさま」を見て、母は当時の自分の境遇と重ね合わさることが多く、終戦までの学校でのシーンには毎回涙して見ていたそうだ。

たとえフィクションであっても、庶民ひとりひとりに共通した事象が反映され、演出されたドラマだから、訴える力を持っているのでしょう。常に家族愛を見つめる脚本家、岡田恵和氏の力によるところも大きい。

ま、そんな重い話をほんの少しだけ聞くことができたこの夏は、少しだけいつもと違う夏だったのかもしれないな。

マイミクのかたには祖父、叔父の写真をアップしています。なかなかのイケメンですよ(笑)

2
タグ: 日記 家族



トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ