2009/12/22

まだあったか登戸研究所  雑記

僕の出身校の校舎のなかに、化学や生物化学などの基礎実験を演習する建物があって、それはそれは当時(80年前後)でも「こりゃ、屯田兵の家か?」ってくらい十分に古さを感じさせる建物でした。

それがまだ取り壊されずに残っていたとはしらなんだ。

その建物は戦時中、陸軍の実験施設として使われていたところで「陸軍登戸研究所」というのが正式名称だったそうです。

そこがいよいよ取り壊されることになるそうです。
記事はこちら↓
http://www.news.janjan.jp/living/0912/0912214646/1.php

建物そのものからはそこで何があったのかは知る由もありませんが、学生当時、戦前はここで生体実験がおこなわれていて、近くの学校の建設時に人骨がでてきた、とかキャンパス内の慰霊碑は人を祭ってある、とかいろんなうわさが流れていたものです。

でも実際のところはどうなのか、資料の大半が戦後意図的に焼却されたらしく、事実関係を確認するすべはほとんどありません。
かの帝銀事件の鍵をにぎっていたともいわれるこの研究所、真実があきらかになる日はくるんでしょうか。。。

しかし、学生当時の校舎もそうだけど学食やクラブの部室など、悲惨なくらいにボロかった。

今ではどこの学食もファミレス以上に工夫を凝らしたおいしいそうなご飯を食べられますが、当時の学食はまるで「飯場」のような食堂。

残り野菜やかす肉を煮込んだような「サッポロスープ」70円とごはんにキャベツ千切りとコロッケが一個のったB定食200円のセットがけっこう贅沢な組み合わせだったりしました。
一番豪華と思われる「ビフテキ定食」380円にいたってはまるでゴムぞうりのような強靭な肉と対峙せなばなりませんでした。それでも食っている学生は「リッチ!」と羨望のまなざしが注がれたのもです。

いまどきの学食は寿司はもちろん、懐石風や本格的なエスニック料理までなんでもあるそうですね。
マイミクのTOMOさんの学食スナップ(マイミク限定公開ですが)をみるとそれがよくわかります。

当時使われていた肉はもっぱら農学部の動物実験後の肉を使っているのでは、という噂が流れていたものです。それくらい質の悪い肉。
(その肉を大量に仕入れて鍋にして食べていたのは他でもない、我々ジャズ研の人たちですが。おかげさまでよくお腹をこわしました)

残飯は食堂の脇を動くベルトコンベアのうえに捨てて、自動的にバケツに放り込まれるシステム。

食堂のおばちゃんに体を売って昼飯代を浮かせていたという輩がいたとかいないとか。。。。ま、それはうそだろうけど。
美味いとか関係なく、単に空腹を満たすだけのためにあるのが「学食」(注)というものでしたね。


それはともかく、学生時代の思い出の建物がまもなく消えるというお話でした。

(注)当時も学校間経済格差から来る学食の良し悪しは当然ありました。我々のような底辺の大学とは違い、お嬢様系大学などとは雲泥の差があったのは確か。ジャズ研の演奏活動で他大学、なかでも女子短大等へ出向くときの楽しみのひとつがそうした学食で味わうことのできる華麗耽美なお食事でもあったのです。
ただのカレーライスですら、食器やプレートにいたるまで無骨な田舎大学にはない上品さを感じたものです。
さらに理工系大学に当時は皆無に等しい「女子学生」という人種と接する貴重な機会であるとともに、そうした「臭い」と「味」を同時に楽しむ唯一の機会ともいえたでしょう。


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タグ: 日記



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