2012/10/5 | 投稿者: hal

この所野田昌宏宇宙軍大元帥閣下の名作「銀河乞食軍団」シリーズを何読(何回読んだか覚えていないので)している。 文庫本で全17巻、未完のままとなっている大長編である。

最初に買った早川文庫版はとうに散逸して手元にないので、アマゾンで中古を探したところ「合本版」というのが出ていた。 残念ながら全17巻を通してのものではなく、合本版1は文庫1-6、合本版2は文庫7-11迄で、その後は刊行されていないようだ。

早速合本版1.2と文庫版12-17を購入した。

着いた合本版を見て驚愕・・・ 私は通常の文庫版又はそれより一回り大きい単行本版位のサイズとばかり思っていたのだが・・・ なんとおよそ縦30センチ×横20センチ、つまりA4版という、書籍としては異例の巨大さだ。

懐かしさに駆られて読み始めると、懐かしき大元帥節に酔いしれるのだが、とにかく疲れる。 目も疲れるがそれ以上に腕が疲れる。 なにせA4数百ページの分厚く持ちにくい本なのだ。 とんでもない重さなので、書見台でもないと腕が震えてくる。

銀河乞食軍団を読んでいない方のために、ざっと内容に触れると、時は現在から数百年後の未来、人類は既に恒星に進出していて広く植民が行われている。 そんな宇宙での冒険談である。 いわゆるスペオペという奴。

普通スペオペというと、やたら科学用語が出てきたりするが、こちらはべらんめえの江戸弁とうら若きオトメのキャピキャピ語が飛び交ういなせな世界なのだ。 

若い女の子の表現が、全て同じく「きれいな顔をしていて」などなっているのは、まあご愛敬。 ブンガク的表現がどうのこうのとかいう詮索をしてはいけないのだよ。


銀河乞食軍団という別名を持つとある宇宙運送企業が、権力亡者の軍隊やら警察やらと渡り合うという波瀾万丈の物語。 事件頻発、しかしいつも必ず乞食軍団が突飛な方法で裏をかき勝利するという、ご都合主義の見本みたいなお話しだが、野田節の冴えのおかげで一気に読めるのがgood。

私は、その江戸趣味のために野田さんは東京生まれの東京育ちとばかり思っていたのだが、福岡県の生まれだそうだ。 氏は日本SFの大先達今日泊亜蘭(光の塔・我が月は緑なりきなどなど)に私淑して江戸趣味に耽溺したらしい。 

縁者親戚には政治家(麻生太郎)だの旧帝大教授だのがうようよしているという、世が世ならええしのお坊ちゃま、我ら貧民下層階級は気安く名前も呼べない存在なのだ。 それがミンス杉とかいうもののおかげで、気安く「大元帥閣下」などと呼べる。 ありがたや。

今日泊亜蘭には、無名の若き日に宝塚の大スター明日待子に憧れていたのだが、到底手が届かないということで、「今日止まりにてあらん」というペンネームにしたという逸話がある。

ほんとかどうかはわしゃ知らん。 半村良の由来はイーデス・ハンソンに憧れてというのは小松左京のジョーク(私は本気で信じていた)だそうだが、こちらもそんなものかも知れない。 尚、光の塔は戦後日本で刊行された最初の長編SFだと思う。


台本を犬の鎖で腰にブラ下げ、力任せに袖を破りとったスタジャン姿に野球帽を後ろ前にかぶってスタジオをのし歩く。 その極端に眉の下がった漫画にしやすい容貌と、全くの初見の人からの質問にも懇切丁寧に返答するという律儀さで、若いSFファンには深く慕われていたという。

その野田さんも、大先達今日泊亜蘭氏も、半村良も小松左京も北杜夫も、懐かしい人々はみんなみんな幽明境を異にしてしまった。 ああ・・・
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2012/6/11 | 投稿者: hal

最近の本から。

ネアンデルタール ジョン・ダーントン ソニーマガジンズ
エサウ フィリップ・カー 徳間書店
海竜目覚める ジョン・ウィンダム 早川書房

「ネアンデルタール」と「エサウ」はよく似た内容のSFで、いずれも新種の動物(人類?)の発見をめぐるアクション風の冒険談であり、美貌で気丈なヒロインが大活躍するのもそっくりさんである。 あまりにも似ているので2つを1つにまとめてご紹介。

ヒマラヤで新種の生物らしきものが発見される。 探検隊が組織され現地を調査することになる。 苦難の末その生物を発見する。 その生物は(ここで少し違う)ネアンデルタールの方は題名通りネアンデルタール(人類)であり、エサウの方は人類と類人猿の中間的存在ということになっている。

フィリップ・カーはナチス時代のベルリンを舞台にしたスリラー「ベルリン レクィエム」や、ハイテクパニック「殺人摩天楼」などでこの作以前からかなり知られた存在である。

それに比べてジョン・ダーントンはこれが処女作ということで、他に2作程邦訳されているが、知名度から言えばカーよりは大分落ちる。 しかし読後感の爽やかさはこの「ネアンデルタール」の方が大分上だった。


「海竜目覚める」は星新一の訳で、昔(初版?)の邦訳題名は「海魔目覚める」ではなかったか? 今回のものは昭和52年の出版だが、その遙か前(昭和30年代か40年代)に読んだようなおぼろげな記憶が残っている。 (注 星さんの後書きでは昭和41年に日本での初訳が星さんによってなされている。 私が読んだのはこれであろう。)

昭和30年年代に私がSFに目覚めた頃には、SFの邦訳は至って少なく、それどころか「SF」という名称さえ一般には定着していなかった。 数少ない話題の中で良く出て来たものが、「ウィンダムという英国作家の『トリフィードの日』というSFが凄い」というものがあった。

もう一つ名作という噂が高かったのが、クラークとかいう作家の「地球幼年時代の終わり」である。 無論あの「幼年時代の終わり」のことである。

その「トリフィードの日」も「幼年時代の終わり」も、邦訳されるSFは年に数作程度という時代なので中々読むことができず、かなり後になってようやく読むことが出来た。 読後感はトリフィードの方はかなり良いという所だったが、幼年時代の終わりは掛け値無しの超名作だと思った。

その後ウィンダムの別の作品を読むことが出来た。 それがこの「海竜目覚める」である。 いきなり目玉のシロモノを目の前に差し出すのではなく、じわりじわりと搦め手から見せてゆくといういかにも英国風の作風であり、トリフィードの日よりもこちらの方がウィンダムの本来の作風ではないかと思う。

内容的には、特に科学技術的ファクトに関してはかなり古くなっているが(なにせ半世紀以上前の作品だからしょうがないだろう)、見せ方のうまさ、お話しの持って行き方のうまさは、現代ではかなり貴重なものだと思う。

大西洋上に現れた赤い光球が海に落下し、その後船舶の難破事故が続発、やがて南極北極の氷が解けて水位が上昇し始める。 というような内容で、ウィンダム得意の破滅ものの一つであるが、私にはトリフィードの日よりこちらの方が面白かった。 今回の3作の中では最もお奨めできる。

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2012/3/21 | 投稿者: hal

レリック マウントドラゴン レリック2

いずれも既読ではあるが、ふと思い立って再読(多分三読か四読)した。 作者はプレストン&チャイルドの共作である。

3作共にホラーとバイオ系を合わせたような娯楽大作だが、やはり最初に日本に紹介されたレリックが印象的だ。

ある学術探検隊がアマゾンの奥地で奇妙な種族と彼らが祭る恐るべき神?を発見する。 しかしその探検隊は・・・という、おなじみの出だしで始まる。 このあたりステロタイプとはいえ、好き者は(笑)充分にぞくぞくさせられるのだ。

一転・数年後。

ニューヨークの自然史博物館は、それ自体がメイズとも言える巨大な施設であり、地下には職員でさえ知らない部屋が無数にある。 その一つに迷い込んだ少年たちの遺体が発見される。 彼らはするどいかぎ爪?で切り裂かれ、しかも視床下部がなくなっていた・・・

とまあそんな筋で始まるこの小説、よくある話しといえばそれまでだが、お話しの持って行き方がうまく、しかも登場人物が個性的で魅力的なので、思わず引き込まれてしまう。 どこかに似たようなのがあったなあ・・・などと言わず、一読して損はないと思う。 (映画化されている)


マウントドラゴンはバイオハザードものの傑作である。 しかしバイオハザード以外にも、砂漠でのインディアンの知惠と追跡劇とかブルーグラスミュージックとか、種々の要素が取り込まれていて飽きさせない。

特にブルーグラスミュージックが大好きな私は、主人公と研究所長の演奏シーンでにやりとした。 

なにせ「君はスリーフィンガーかね、それともクローハンマー?」とか、「オールドスタイルのフラット&スクラッグスがいいな」などというセリフがぽろぽろと出て来るのだ。

又、主人公(と言っても良いだろう)の一人で巨大企業社長が、優れた才能を持ちながらかなり矛盾混乱した精神構造の持ち主であり、風貌や性格はあのビルのそっくりさん。 明らかにこれは意識的にやったものうだろう。

このマウントドラゴン、小説としてのまとまり具合から見ると、レリックより上かもしれない。


レリック2(地底大戦)は題名通りレリックの2だが、
1>2>3 (又は 3<2<1 )

のhalの方程式通り、1に比べてかなり落ちる。 ニューヨークの地下に広がる巨大空間と、そこに住み着いたホームレス達の描写が興味深い程度で、小説としてみると???なレベルである。 

もうひとつ、なんぼなんでも「地底大戦」というサブタイトルはひどすぎる。 「マグマ大戦」と間違えるではないか。


尚、プレストン&チャイルドの共作は、日本に紹介されているのは上記と「殺人者の陳列棚」の4作らしい。 個別の著作は幾つかあるが、私は未読である。 

殺人者の陳列棚は読んだ記憶はあるが、ほとんど印象に残っていないので、あまり芳しい出来ではなかったと思う。 ペンダーガストが登場するのだから面白かろうと、期待すると損をしそうだ。
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2011/10/28 | 投稿者: hal

どくとるマンボウ北杜夫氏が逝去された。

ここ10年程は新作もなくマスコミに登場することもなかったので、いつかはと思っていたが、ついに・・・という感。 第三の新人と言われた作家達が次々に世を去り、その後の世代である北さんもあちらの岸に行ってしまった。

これが川端康成とか武者小路実篤といった作家達なら、歳も遠く離れているし、歴史上の作家という印象でそれほど実感も湧かない。 

しかし遠藤周作とか吉行淳之介とか開高健などの人々となると、年齢的にもそれほどの開きはなく、川端武者小路が親或いは先祖ならアニキという感もあるので、なにがしか身近な作家達であった。

マンボウ博士北さんとなると更に親近感があり、何よりもユーモアのセンスに共感する所が多かっただけに、余計切実でもある。

私がマンボウ博士の書を始めて読んだのは、高校生位の歳のころではなかったか。 夜汽車で山へ行くために上野駅に向かう直前、トイレに入りながら読んだ本が「どくとるマンボウ航海記」だった。 余りにも面白くてついつい長いなが〜いトイレになってしまったという記憶がある。 臭い仲とか言うやつか。

あの独特のユーモアとペーソスにぞっこんだった私。 つい最近も旧作を集めて愛嬢の由香さんが後書きを書いた文庫本を買ったばかりだ。 幼少の頃の由香さんへの愛情溢れる?エッセイも今は昔となり、ご本人もエッセイストとして筆の道を歩んでいる。 悲しみと感慨はつきない。
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2011/8/2 | 投稿者: hal

小松左京氏逝去。

星さんに続いて半村良さん、今日泊亜蘭大先達、福島正実編集長、そして今度は小松さん。 懐かしいSF作家達が次々に向こう岸に渡って行く。 昔懐かしい人々で残っているのは筒井康隆さん位か。

このところ半村良の旧作を幾つか続けて読み直していた。 楽園伝説・人間狩り・裏太平記・平家伝説・不可触領域、それになにより石の血脈などだ。

半村良(はんむら・りょう)のペンネームの由来は、イーデス・ハンソンに憧れてという説を長年信じてきたが、これはどうやら小松左京のジョークだったらしい。

半村作品を読んでのわき起こる感情ははいつも「切なさ」だ。 平凡なサラリーマンがふとしたきっかけで幸運を掴み、のし上がって行く。 しかしそれは一時の夢、最後には・・・というのがパターンだが、そのラストへ向かって行くあたりから切なさが募ってくる。

都市の仮面・闇の中シリーズ・平家伝説・夢の底から来た男・戦士の岬などがその代表的な例だが、ハッピーエンドの筈の戦士の岬でさえ、ラストでのセリフがじんと胸に来る。 これは単なるテクニックなのか、それとも作者自身の胸裏の反映か。 時々そんなことを考えてしまうのだ。

残念ながら80年代半ばの北海道移住以後の半村作品は、それ以前のほとばしるような熱気が薄れ、単にうまいだけという印象が強い。 作家にもやはり旬というものがあるらしい。

半村のうまさは尋常ではなく、一読唖然とするといううまさである。 職人芸の極みというか、このあたりはクーンツとよく似ている。 

クーンツのある作品では、冒頭の10ページ程読んだだけで、「ああ、これはアレだな」と分かってしまう。 最後迄読んでも実際その通りのアレなのだが、アレだと分かったその時点で放り投げるが普通。 しかしクーンツの凄さは、アレと分かっていてもぐいぐいと引っ張って行って最後迄読み通させるという、剛力というか巧みというか、凄いとしかいいようがない。 半村はクーンツほど剛力という印象はないが、うまさでは匹敵或いは上回るものがある。


死後既に十年になろうとしているが、68歳は死ぬには若すぎる。 ふと気がつくと今の私の年齢の方が上になっていた。 嗚呼・・・

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2011/6/5 | 投稿者: hal

「ヴァンパイア・アース」 E・E・ナイト 早川書房

近未来2065年。 クリアンなる謎の宇宙生物が地球を支配していた。 数千年の寿命を
持つクリアンは、人類と地球を支配下におき家畜化していた。 人類の大半はそれに甘んじてクリアンの手下となっていたが、それに対して反抗し闘う人々もいた。

彼らはライフウィーバーと呼ばれる善玉異星人(元々はクリアンと同根)の支援を受けて軍隊を組織し、クリアンやその配下のリーパーと呼ばれる人間が変身した超能力者と戦った。

というのがおおよその内容だ。 血湧き肉躍る活劇である。 無論クラークやコリン・ウィルソンのような思弁性は最初から期待すべきでない。 若き主人公ヴァレンタイン少尉のハラハラドキドキ大活劇を楽しむのがまっとうな読み方というもの。

そのように割り切れば、この「ヴァンパイア・アース」中々楽しめる。 異世界化した地球の描写など、S.T.A.L.K.E.R.の世界とも一脈相通ずるところがあり、「前実在」とか「世界感間樹」などの小物も中々良い。

原作はシリーズとして既に8冊刊行され、9冊目も近々に出版されるらしい。 しかし日本では2010年にこの「ヴァンパイア・アース」が刊行された後は、続篇の翻訳は未だない。
日本の読者にはこの手のものはあまり好まれないのかも知れないが、残念ではある。
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2011/3/1 | 投稿者: hal

虐殺器官  伊藤計劃 ハヤカワ

さて、この小説のインプレッションをどう書いたら良いのだろう?

凄い作品とは思う。 傑作とも思う。 僅か10日余りで第一稿を脱稿するという、異例のスピードで書かれたこの小説を、貧弱な知識と語彙と感性しか持たない私が、どう表現すれば良いのか?

ジャンルとしては、一応「軍事情報SF」とかいうことになるのだろうが、無論この小説はそんな枠内には収まりきらない。 軍事的データは詳細を極めていて、執筆期間は10日余りでも、調査と資料集めには膨大な時間が費やされているのだろう。

「虐殺器官」という表題は、内容から見ると「虐殺言語」の方が適切かと思うが、ナイーブさと非情と暖かさをないまぜにした主人公の造形と共に、この作品の両面性というか矛盾を表しているように見える。

「虐殺を強制する言語」というものが実際にあり得るものかは知らない。 常識的にはそのような言語或いは文章はあり得ないが、登場人物の描写の非現実感と共に、金属とガラスをこすり合わせる音のような感覚的な違和感を覚える。

バラードとの近似性も感じたが、これも的を外れているようだ。 飛行する「肉」など視覚的イメージは豊富すぎる程あるが、何故か私には具体的なビジュアルイメージは湧いてこなかった。 大仰な表現に辟易したということではない。 むしろこれだけ「モノ」が溢れているにしては、随分と抑えた表現で書かれているからだ。 

これがバラードだと、地球と月を繋ぐ銀の糸など視覚的イメージはふんだんにあふれ出るが、この「虐殺器官」からはそのような具体的なイメージは掴むことが出来なかった。

これはもしかすると「モノ」が多すぎるせいかもしれない。 あまりにも多量の「モノ」が存在しているので、私の貧弱な脳細胞が拒絶反応を示したとか。(笑)

正直に白状すると、私には理解不能の作品だった。 凄い作品だとは思うが、好きな作品ではない。


以下積ん読中

ゾーイの物語 (老人と宇宙4) ジョン・スコルジー ハヤカワ文庫
異星人の郷 マイクル・フリン ハヤカワ
ヴァンパイア・アース  E・E・ナイト ハヤカワ
ハーモニー (読了) 伊藤計劃 ハヤカワ
断絶への航海(再読用) J・P・ホーガン
フランケンシュタイン 野望 ハヤカワ ディーン・クーンツ
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2011/2/20 | 投稿者: hal

なつかしや銀河乞食軍団、その前日談である。 いかにして乞食軍団が創設されるようになったのか。 ロケ松・ムックフォッファの若き日?の勇姿を刮目して見よ!

というわけで、銀河乞食軍団黎明編でありんす。

銀河乞食軍団黎明編1-4 (積ん読済) 大元帥閣下原案 鷹見一幸 ハヤカワ文庫

前に、「この種の著作はどうしても大物原案家の方に目が行ってしまい、肝腎の内容は今一つ」と書いたが、本書に限って言えば、決してそのようなことはない。 鷹見氏の文は流麗自然とは言い難いが、大元帥閣下の雰囲気は充分出ているし、ハードウェアの表現に限ればその上を行くのではないか。

野望円舞曲(このタイトルはいかになんでもダサ過ぎですなあ)は田中的雰囲気はあっても、イメージとして田中とは少し異なるような気がする。 この種の作品は文体を原案作者に似せようとして頑張りすぎると、内容的には問題が出てくることが往々にしてある。 野望円舞曲もその陥穽に落ちてしまったような気もするのだ。

しかしこの点「銀河乞食軍団黎明編」は「野望円舞曲」とは大分異なる。 鷹見氏の文章は野田氏の文章よりやや堅いせいもあるが、文体を似せることより全体のイメージを野田的にすることを先行させているように見える。 そのせいか文体が似ている以上に違和感が少ないのだ。

ストーリー的にも「いかにも」という進行で、「光年飴」とかいろんな小道具が出てきて楽しませてくれる。 このあたりも「野田節」調が横溢していて、ファンには嬉しい所だ。 拾いものというと鷹見氏には失礼な言い方だが、原案ものとしては例外的に楽しめるものとなっている。

それにしても、野田さんが亡くなられたのは何時だっだのだろう? 今ではすっかり失念してしまっている。 訃報を聞いた時には「未だそんな歳じゃないのに・・・」と悲しかったことを思い出す。 死因はなんだったのか、あの体型と容貌を見ると、つい「脳卒中」とかそちら系の病気を連想してしまうが? (失礼)

犬の鎖で吊した台本を腰にブラ下げ、あの眉毛で闊歩している姿を見たかったなァ。


ヒプノスの回廊 栗本薫 ハヤカワ
腰巻きには「最後のグィン・サーガ」と銘打たれている。 これまで未発表だったグィン・サーガ関係の短編が収録されている。 中でも注目は「ヒプノスの回廊」で、シリーズの中で何度か思わせぶりに出て来る「ランドック」や「アウラ・カー」などのキーワードが、ここで解明されている。 解明といっても、この短編でグィンの出自や経歴の全てが明らかにされたというものではないが、一応の謎は明かされている。 

もっともその内容は、読者がこのシリーズを読み進んでいる間に、「ああ、これはこうなんだな・・・」という憶測や推測の域を完全に超えているわけではなく、おおよそは推測の範囲内というところではある。 とはいえ、この内容が作者自身によって書かれた(書かれていた)というところは、かなり大きな意味があるだろう。


以下積ん読中

ゾーイの物語 (老人と宇宙4) ジョン・スコルジー ハヤカワ文庫
異星人の郷 マイクル・フリン ハヤカワ
ヴァンパイア・アース  E・E・ナイト ハヤカワ
虐殺器官  伊藤計劃 ハヤカワ
ハーモニー 伊藤計劃 ハヤカワ
断絶への航海(再読用) J・P・ホーガン

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2011/2/15 | 投稿者: hal

「怖いぞフラグメント」 でもデフラグすればなんてことないや。
ほんとに? 怖くない?

でもこちらのフラグメントはデフラグなど到底不可能なのだ。

フラグメント ウォーレン・フェイ 早川書房

フラグメントという言葉はコンピューターをやっている者にはおなじみだが、こちらはウォーレン・フェイという作家の、クライトンの「ジュラシックパーク」を思わせる傑作だ。 専門用語を駆使しているので、生物学か生態学の専門家かと思ったら、ごく普通の作家だった。 下調べには3年以上の日時を費やしたそうである。

あるテレビ番組のスタッフたちは、偶然ヘンダース島という絶海の孤島に立ち寄る。 ヘンダース島は断崖絶壁に囲まれた小さな島だが、数億年も外界との接触がなかった。 そのため、進化の過程は通常の世界とは全く異なる状態となり、島の生物は独自のしかも恐るべき様相となっていた。

上陸したスタッフは、抜け駆けして一足先に断崖をよじ登った仲間が、後にスパイガーと呼ばれるようになった怪物に襲われるシーンを、リアルタイム中継のカメラに納めることになった。

アメリカはいち早く機動部隊の一部を回航、その島を支配下に治める。 そしてNASAの惑星探査機器を利用して島の生物の状況を調査するが、このヘンダース島の生物は通常の常識が通用するようなやわな相手ではなかった。 

驚異的な反射神経を持つマングースでさえ僅か2分で捕食され、NASAの火星探査機器を流用しての有人調査は、悲惨な結果となった。 島の生物が分泌する強酸で、分厚いプレキシグラスを見る間に割られてしまったのだ。

そして・・・ とまあ、こんな具合で話しは進む。 アイデア的にはこのフェイは非常に良いと思う。 アイデアの凄さはクライトンさえ上回るかも知れない。 なにより凄いのは、詳細精密に描写される新種の生物たちだ。 

5億年の間に、通常の地球の生物とは全く異なる進化を遂げた恐るべき生物たち。 それは脊椎動物・無脊椎動物の垣根を乗り越えた、表現のしようもないほど多種多様でおぞましい形態となっていた。 銅をベースにした緑色の血液を持ち、その捕食性は極限にまで達していて、お互いに食い合い殺しあっていたのだ。

植物と動物との相違さえ曖昧で、一見植物に見えても素早い動作で相手を捕食する。 しかもある生物に至っては、相手の腹を食い破って卵を産み付けると、その卵は瞬間的に孵化して幼生となり、その幼生は相手の腹の中で更に卵を産み付け、その卵が瞬く間に幼生となって更に・・・

 どうです? 怖いでしょう、おっかないでしょう? これが怖くなければ、それは私の紹介文がつたないせいであります。

但し、ストーリーテリングはやはりクライトンには一歩を譲る。 もう少し捻った展開にすれば、歴史に残る傑作になっていたかもしれないが、ややストレートに過ぎて読了後の印象は佳作の上というあたりに留まった。 ラストがごく単純にめでたしめでたしというあたりも、その物足りなさ感を覚えさせるところの一つである。

でも面白かったお。 ホラー系或いはバイオハザード系SFがお好きな方には、充分お勧めできる。


ノパルガース (積ん読済) ジャック・ヴァンス ハヤカワ文庫
これまたなつかしや、「竜を駆る種族」などでおなじみのベテラン、ジャック・ヴァンスの新作ではないが新刊。

久方ぶりのヴァンスの作品ということで期待していたのだが・・・ 少し、いや大分がっかり。 ジャック・ヴァンスの作品ってこんなに古くさいものだったのか? 「竜を駆る種族」にはかなり興奮したものだが、これはいにしえの40年代の作品とさえ思える。 書かれたのは50年代半ばらしいので、やむを得ないと言えばやむを得ないのだが。 

大味でおおぶり、良く言えば古き良き時代の作品というところ。 残念ながら未だヴァンスを読んだことがないという方に、お勧めできる作品ではない。


以下は又後で・・・

銀河乞食軍団黎明編1-4 (積ん読中) 大元帥閣下原案 鷹見一幸 ハヤカワ文庫
なつかしや、故大元帥閣下の残したアイデアによる新作リメイク?である。 閣下御真筆のものは、完成に至らず中断したという記憶があるが、果たしてどうだったのか。 なにせだいぶ前のことなので、私の記憶も曖昧模糊としている。

同種のものには、田中芳樹原案・荻野目悠樹作の「野望円舞曲」というものもある。 
この種の著作はどうしても大物原案家の方に目が行ってしまい、肝腎の内容は今一つというのが多いが、これはどうだろうか?

それにしても、ムックホッファとかロケ松とかいう名前に、再びお目にかかれるとは! 懐かしい上にも懐かしい。

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2011/2/4 | 投稿者: hal

日本人にはユーモアのセンスがない?

とよく言われるそうだ。 しかし江戸時代の歌舞伎の名台詞や滑稽本の類には、掛詞(かけことば)がふんだんに使われているし、江戸末期から昭和初期にかけては地口(一種のダジャレ)が大いにはやった。

これらを見れば日本人にはユーモアのセンスがないなどというのは、完全に的外れであることをよく理解できるだろう。

一例を挙げると

滑稽本では
お泊まりはよい程ヶ谷と留め女 戸塚前ては(とっ捕まえては)放さざりけり
(東海道道中膝栗毛)

歌舞伎名台詞では

普段着慣れし振袖から、髷も島田に由比が浜 
打ち込む波にしっぽりと、女に化けて美人局 (弁天小僧菊之助)

十四の頃から親に放れ、身の生業も白浪の
沖を越えたる夜稼ぎの、盗みはすれど非道はせず
人に情けを掛川の、金谷を掛けて宿々で     (日本駄エ門)

がきの折りから手癖が悪く、抜け参りからぐれ出して
旅を小股に西国を、廻って首尾も吉野山      (忠信利平)

(以上いずれも「白浪五人男」より)


しがねえ恋の情が仇、命の綱の切れたのを、
どう取り留めてか木更津から、めぐる月日も三年越し、
江戸の親には勘当うけ、よんどころなく鎌倉の、
谷七郷は喰詰めても、面へ受けたる看板の
疵がもっけの幸いに、切られ与三と異名を取り、
押借り強請も習おうより、慣れた時代の源氏店   (与三郎)

(ご存知「与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし) 源氏店(げんじだな なんてよまないでね)の場でありんす。)


地口のたぐいでは

恐れ入谷の鬼子母神(「恐れ入りました」+「入谷の鬼子母神」)
びっくり下谷の広徳寺(「びっくりした」+「下谷の広徳寺」)
嘘を築地の御門跡(「うそをつく」+「築地門跡=築地本願寺」)
その手は桑名の焼き蛤(「その手は喰わない」+「桑名名物の焼き蛤」)

江戸時代の川柳には
殊勝げに見ゆる出家の皮かむり

なんてのもある。

はては寅さんの啖呵売のセリフで

見上げたもんだよ屋根屋の褌
結構毛だらけ猫灰だらけ けつのまわりは糞だらけ(これでさくらちゃんがお見合いに失敗しましたな)
などなどなど。


これらはいずれも掛詞が多い。 これは日本語には母音、特に短母音の数が少ないということが原因ではないだろうか。 日本語の短母音は5つ(方言ではこの限りではない)で、英語の母音(長短母音の区別無し)は9つ(各種の異論あり)、朝鮮語は7つ(9つという説もあり)で、比較的少ない方に入る。 

母音の多いものでは17もある言葉があるそうだ。 尚最小は3つ(アラビア語)とのことである。 当然母音数の多い言葉ほど語彙は増える。 比較的少ない母音数の言語では、必然的に同音異語が増える。 これが日本語のジョークの類に掛詞が多用される原因ではないかと考えるのである。 もっともアラビア語に掛詞が多いかどうかは、弊社の関知するところではないが。
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2010/11/28 | 投稿者: hal

今回は歌手(主としてオペラ歌手)の美人談義。

本来クラシックの歌手は声と技術で評価されるべきもので、「美人度」などというとマジメな方には怒られるかもしれないが、私はこの手の悪ふざけが大好きで。 すんません。

美人歌手というとまず一番先に頭に浮かぶのが、ドイツの名歌手エリザベート・シュワルツコップフ。 ワグナーやリヒアルト・シュトラウスを得意とする。 特にバラの騎士の伯爵夫人は絶品。 日本へ来た時には50歳をとっくに過ぎていたと思うが、ひらひらとしたあでやかな衣装をまとった姿は絵の如し。

戦前のことだが、金髪も香しくヒトラーと並んだ姿が写真に残っているそうだ。 その後には若き日のフィッシャー・ディスカウが・・・

オーストリーのカンマーゼンガー(宮廷歌手)でアンネリーゼ・ローテンベルガーという人もいる。 美女というより美少女という感じの可憐な容姿で、ヘンゼルとグレーテルのカバー写真を見たが、40歳は過ぎているはずなのにどう見てもティーンエイジャーにしか見えない。 声も可愛い感じのリリコだった。

アンナ・モッフォというイタリア系アメリカ人も中々の美形だった。

マリア・カラスが美人だと思っている人がいるようだが、恐らく若い頃の写真を見たことがないのだろう。 はっきり言ってブスの中のブスである。 しかもデブ。(笑) 子供の頃はその容姿をからかわれて、随分いじめられたそうだが、それが後の成功の発奮材料になったと本人も言っていた。

後年王女メディアに出演する頃には、整形に次ぐ整形で元々の面影など全くない程に作り上げてしまった。 なんだか鉄仮面を見ているようで気持ち悪かったですな。

日本では田中彩子さんというコロラトゥーラソプラノの歌手さんがいる。 フォルクスオーパーのソリストなどハイソプラノ歌手として海外で活躍中だが、ハンガリーのテレビコマーシャルに女優として出演したりもする佳人。 元友店長さんに教えられて知ったが、声良し容姿良し、これで人気が出なければおかしい。
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2010/9/22 | 投稿者: hal

モーツァルトは天才だと言われる。 確かにその通りだと思う。 しかし、彼の凄いところは、若年にしてもてはやされ、日光の猿軍団の猿のように曲芸じみた弾き方(鍵盤に布をかけて弾くとか)をしたからではない。

モーツァルトが作曲する際には、普通の作曲家のようにピアノを弾いて旋律を確かめ、それに和音を加え、構成を築き上げてゆくというのとは全く異なる。 彼の場合は最初に楽想が脳裏に浮かんだ時点で、全ての音譜、つまりスコアが頭の中に確立されていたそうだ。

後は頭の中のスコアを紙に引き写してゆくだけである。 だからモーツァルトの作曲の速度は異常に速かった。 作曲を始めた時点で、既に通常の作曲家の仕事の大半が終わってしまっているのだから、速いのも当然だろう。 勿論ベートーベンでもワグナーでも、こんな芸当はできはしない。

いったいどうすれば、完全な形のスコアが頭に浮かぶのか、誰にもわからない。 恐らくはモーツァルト自身でもわからなかっただろう。 だって、自分には特に努力せずとも簡単にできてしまうのだから、何故自分には可能であるかなど考える必要もない。 正に奇跡というべきである。 これが天才の天才たる所以だ。

しかもモーツァルトの曲の中で、とりわけ優れた楽曲は後半生、20代の半ば過ぎからのものばかりである。 彼はこの頃には既に人気作曲家の地位を滑り落ちていた。

人気作曲家であった前半生の曲は、ギャラントスタイルと言われる華麗なものではあっても、後期のような深みは全くなく、はっきり言って大したものではない。 クラリネット協奏曲や魔笛と、フルート協奏曲の違いは、比較して聞けば一目、いや一聴瞭然。 誰にでもすぐわかる程の違いがある。

天才ともてはやされた青少年時代の作品は軽く、人気を失った晩年(といっても30代の半ば前)の作品は至高の名作。 この矛盾・・・ しかも最後は袋詰めにされて露天の無縁墓地に投げ落とされるのだ。 明るくのどかにまぶしい魔笛との落差・・・

モーツァルトの後期の作品を偉大さを思えば、サリエリが嫉妬したのも当然だろう。 サリエリにとって不幸なのは、彼の才能は遠くモーツァルトに及ばないのに、モーツァルトの晩年の作品が古今に冠たる名作であることを理解できる程度の才能はあった、ということだろう。

もし、サリエリがその程度の才能さえなければ、彼は当時の大人気作家であったから、「俺の方が売れてるじゃん」で済ませることができた筈だ。 しかし、不幸にして彼はモーツァルトの偉大さを認識できる程度の才能はあった。 これもやはり悲劇である。
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2010/8/22 | 投稿者: hal

私は青年時代の約10年間、音楽(フルート)をかなり本格的に勉強した。 当時の師は東京放送管弦楽団(NHKの専属オーケストラ)の主席奏者であった東(とうの・と読む)先生である。

この先生、実に素晴らしい師であり、今も懐かしくその小粋な風貌と話し方を思い出す。 夏の盛りのくそ熱い時期にでも、黒い背広に蝶ネクタイ、それにちょび髭という伊達姿。 「先生、暑くないのですか?」 「むむ、まあちょっと暑いかな」 ちょっとどころではない。 気温は32℃なのである。

戦争中は軍楽隊に志願して南方戦線に出陣、乗っていた輸送船が潜水艦に撃沈されて波間を漂い、ようよう岸に泳ぎ着いて九死に一生を得たという豪傑でもある。 

師のいた所はインドネシアだったそうだが、「いやあ、それほど暑くはありませんでしたよ。 日本で言えば晩春位の気候かなあ」とすましておられた。 インドネシアの気候が日本の晩春という話しはあまり聞いたことがない。 当時から暑さには強かったのだろう。

どういうものか、私は東先生に気に入られ、ご自宅の酒宴にも何度か招かれた。
当時の私は非常に純真朴訥な青年であったのである。 今の私からは想像もつかないだろうが・・・

ある時その酒宴に若い女性が招かれていた。 当時東先生が指導していた「船橋ヘルスセンター少女音楽隊」のトランペット吹きのお嬢さんである。 この船橋ヘルスセンターは、今は「ららぽーと」なる一大ショッピングモールになっているが、その頃は温泉が出たとかで、温泉とその他のアトラクションを含めた保養センターみたいなものだったようだ。 彼女はそこの少女音楽隊に所属していたのだ。

「キミはあまり女性とつき合っていないようだから、わしがいい子を紹介してやる」というわけである。 この「あまり女性とつき合っていない」青年が、普通なら枯淡の境地に達する筈の老年期に、エロゲーなど作るようになるとは、お釈迦様でもご存知あるめえ。(笑)

で、宴はてて後、「この辺はたまに痴漢など出る。さあ、君、駅まで送りなさい」 駅迄このお嬢さんと一緒にゆく。 彼女を見送ってのこのこと帰ってきた私に、「なんだ、帰ってきたのか・・・」

つまり、先生は彼女を送った後或いはその最中に、彼女とどこかへ(それがどこであり、どのような施設なのかは、純真朴訥なわしゃ知らん)しけこんで、既成事実を作るのを期待しておられたようなのだ。

先生の期待を裏切る結果になってしまったのだが、当時の私はその位純情な朴念仁であったのである。 今と全然違うな、などとつっこまないでね。

そのお嬢さんとはその後どうなったのかって? 忘れてしもた。 人柄は素直そうだったがあまり美人ではなかったような記憶がある。 のこのこ帰って来たのは、そのせいもあったのかも知れない。 あれが***ちゃんみたいな美少女ちゃんだったら・・・ その後どうなっていたのか? 今となっては知るよしもない。
(***ちゃんについては詮索無用 (笑))
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