2009/6/30 | 投稿者: Hal

今回は?編である。 題して、

妄説日本古代史シリーズ 陵墓のオーパーツ 又は 4世紀の路傍のピクニック

既に確立していて万人に異論のないような理論、研究については、「トンデモ説」は発表しにくい。 例えばe=mc2(一石おじさんの数式のつもり)にたてつこうとするなら、これは大変な覚悟がいる。 覚悟だけでなくガクシキもタップリと必要だ。 どれも簡単に身につけられるものではない。

しかし歴史、特に古代日本史では、大分事情が違う。 文献資料が少ない上に、その資料が極めていい加減、と言って悪ければ、どのようにでも解釈できる「ノストラダムス」風のものが多い。 だいたい実証不可能な神話伝説の類を、どうやって証明するのだ?(^^; せいぜいが、「A書にあった事柄がB書にもあったから、それは事実だ。」という程度のもの。 B書だって信用出来ないのだから、A書だっていい加減ということだってままあるだろうに。 

最も確実な実証方法は、「A書の記述通りの場所を発掘したら、記述通りのものが出てきた」ということだろうが、こんなことは滅多にない。 ほとんどの場合、位置が書いてなかったり、書いてあっても実際の地理と違っていたり、既にでっかいビルが建っていて発掘不能だったり、やんごとなきあたりから発掘を禁止されたり、地面を掘っていたら「勝手に人の土地を掘るな」とヤクザにおどされたり、果てはほっくりかえしても何も出てこなかったり、やっとこさ何か出てきたと思ったら、それは細長いゴム製品(それも使用済み!)であったり、さんざんである。

こんな具合だから、歴史学者でも研究者でもないタダのオジサンでも、「ここはこう解釈する。 ここの記述の意味はこのようなものである。」と、いくらでも好き勝手を言える。 実に有り難い状態でございますなあ。 私のようなト説好きがこれを利用しない手はない。(笑) 以下もその一例である。

以下はある人物から聞いた話である。 この人物の名前は勿論、職業も年齢も公表できないが、決していい加減な作り話をする人ではない。 社会的地位も高く、人間的にも充分信頼できる人物である。

どのようにしてこの人がこの情報を得たのかも、ここには書けない。 それを書くことによって、この人物を特定する手がかりになっては困るからである。 只、たまたまこの種の情報を知ることの出来る位置にいた、とだけ書いておこう。

なんでそのような人物が、お前のようないい加減な人間に、この種の極秘情報を漏らしたのかって? それはまあ、世の中色々ありますわな。(笑) たまたま会食した際に、ほろ酔いとなったこの人が、「これは外に漏らされては困りますが・・・」と前置きした上で、話してくれたものである。

よって「外に漏らす」為には、不本意ではあるが、ここでは私の創作による「フィクション」という形で発表せざるを得ないのである。 
1

2009/6/29 | 投稿者: Hal


クリエーターと経営者。 この両立はゲームに限らず難しいようだ。 要求される資質がこの二つでは全く異なるからだろう。 美少女ゲームの場合は、主として絵描きさんやライターさんがこれを両立させているが、作品の内容と商品としての価値は、必ずしも一致しない。

個々の例を挙げるのは控えるが、どうやら絵描きさんの方が両立に成功しているような気がする。 どちらにせよ、クリエーター専業の時には凄いゲームをばりばり作っていても、自分の会社を立ち上げると勢いが衰える、ということもあるようだ。

凄いのは蛭田昌人さんで、デジャ・デジャ2・エル・同級生シリーズと、傑作臭作、いや秀作を連発、クリエーターと経営者の立場を完璧に両立させ、内容売上げ共に抜群の存在である。 これはもう、紙の領域である。(これこれ、粗雑ATOKめ、何で神さまが紙になるのだ。) それはともかく、DOS時代にはエルフのゲームは一作おきに買え、というのがゲーマーの常識だった。 理由は簡単で、蛭田さん自身がシナリオを書くのが一作おきだったからだ。

世の中には真に凄い人がいるものだなあ・・・というのがHalの嘘偽りない実感である。 (ソレニクラベテコノワシハ・・・シクシク)
1

2009/6/28 | 投稿者: hal


ひさしぶりのジョギング中、教育の森公園でけったいなおっさんを発見した。 なにやら得体の知れない楽器でストリートパフォーマンスをやっている。

聞いてみると「バラフォン」という西アフリカの民族楽器だそうだ。 見た目は木琴の下にひょうたんをつけたように見える。 それをギターのように肩からつるし、右手のスティックで叩いて音を出している。 

その音は玄妙というか、摩訶不思議というか、あえて言えば、メシアンのトゥーランガリラ交響曲で使われている電子楽器オンドマルトゥノにやや近いような音色だ。(音の音色そのものではなく、音を聞いての感触が)

しかもおっさんは「これは曲ではなく物語なんですよ」という。 その調べは人の一生を物語っているのだそうだ。

葬儀の時西アフリカの人々はこの楽器を先頭に立て、山の頂上にある葬儀場まで練り歩く。 そして奏者は死者の物語をバラフォンで語る。 死んだ人が狩人であれば、獲物を発見(ドロドロ)、静かに忍び寄る。(小さくトントン) そして襲いかかる(ドドドドドーン)、といった具合。

そして頂上につくと死体を荼毘に付し、バラフォンも火に投げ入れる。 

音色と同様に、バックストーリーも玄妙で摩訶不思議で、ちょっといい感じ。

2

2009/6/27 | 投稿者: hal

今回は「アドベンチャーゲームの美しさ」という点を書いてみたい。 「美しさ」といっても色々ある。 視覚的なつまりCGの美しさ、ストーリーや文章の美しさ、醸し出される雰囲気の美しさ、或いは又音響面での美しさ(主題歌やBGMなどの)、その他に種々あるだろう。

音楽の美しさという点では、ゲームの場合中々難しいところがある。 これはCGも同じだが、単に一つの絵又は音楽として美しいだけでは、ゲームの素材の一つとしては困る。 内容に沿った、ピントのあった絵や音楽でなければならない。

ゲームの音楽としてまず思い出すのは「北へ」のBGMがある。 「かにがいっぱい〜」のあれではなく、ダイアモンドダストの方である。 タイトル画面で流れるノスタルジー溢れるピアノソロ。 甘酸っぱい青春の思い出にぴったりの、甘く切ない音楽だ。 ゲームのストーリーはたわいないものだが、この音楽とゲーム全体の内容とは良く合っていると思う。

風雨来記のBGMもシンプルだが感傷性と叙情性に溢れていて、ゲームの内容によくマッチした優れたBGMだと思う。

ストーリーでは、虚淵さんの「沙耶の唄」のラストシーンがある。 繭の開花?のシーン、これは凄い。 妖しくおぞましく、しかし美しい。 CGの印象はそれほどでもないが、文章とストーリーの持って行き方がうまくはまっていて、印象的だった。

不思議なのは、これらの印象的シーンや音楽があるからといって、そのゲームが最高の出来であるとは限らないことだ。 同じ作者でももっと良い出来のものがある、というのは良くあること。 何故なのだろう?

1

2009/6/26 | 投稿者: hal

「蠅声の王 シナリオU」本日発売であります。

ご支援ご声援をいただいた皆様方、本当に有難うございました。

今回はサイコロしないと書いたのに、一度だけだがやはりサイコロしてしまったのは残念だが、それ以外はまずまず制作は順調。 売上げは? さて? こちらは順調かどうかなんとも。(笑) 

まずは取り急ぎ発売のご挨拶でした。
16

2009/6/25 | 投稿者: Hal

遠くへ行きたい 遙かな夢、北の旅 続き

♪ When Blue Moon turns Again ♪

私の記憶では、当時(1970年代始め頃)の日本一長い直線コースは、国道272号線の西春別−中標津間というものだった。 しかし現在では、国道12号線の滝川−美唄間の29.2キロが、日本最長の直線コースということになっているようである。

これは私の記憶が誤りなのか、それともその後国道12号線が改修されて最長直線コースになったのか、そのあたりは不明である。

ともあれ、272号線の西別から中標津にかけての一帯は、根釧原野・上春別原野・春別原野など、原野の巣ともいうべき地帯で、ゆるやかなアップダウンがどこまでも続く、ひたすらまっすぐな道という印象だった。

阿寒や摩周のような観光名所もなく、文字通り何もない果て知れぬ原野が、地平の彼方まで侘びしげに波うって続く。 そんな道であった。 そして若かりし頃の私の心象には、それが殊更そぐわしく思えたのだった。 青春のセンチメントというやつだろう。


♪ How Mountain Girls Can Love ♪

この旅の印象の一つとして、「北海道は食べ物がうまい」というものがあった。 現在でも札幌の同業者とすすき野あたりで会食すると、その旨さに唖然とすることが多い。 特に海産物は、文字通りの「産直」であるせいか、とびきりの味である。

3年ほど前のことだが、ある海鮮料理屋(名前は忘れたが水産会社直営の有名な店だそうだ)で食べたホッケは、正に驚異的(^^;な味だった。 

東京で食べるホッケはただ塩辛いだけでパサパサと味気なく、こんなまずい魚のどこがいいのか、と思えるような味だが、ここで食べたのホッケは、名前は同じでも全く別の魚としか思えないような美味であった。

充分に脂ののったウチワより大きいホッケは、届けられるやいなやたちまち箸の戦場と化した。 私の箸と相方の箸はホッケの上で丁々発止と火花を散らし、竜虎相打ち嵐を呼んで大波乱という有様であった。

そこで私の夢の旅の、最後の思い出である。 根室の手前の道路脇で、手ぬぐいでほっかむりしたおばさんが花咲ガニを売っていた。 恐らくは漁師のおばさんなのだろう。 根室港で獲れた直後の蟹を、道ばたのドラム缶で茹で、それをそのまんま屋台(といっても只のミカン箱)に乗せて売っているという風情だった。

花咲港とか花咲岬という地名もあるので、根室近辺は花咲ガニの本場なのだろう。

その蟹は、それはそれはとてつもない旨さだった。 とてつもないというより表現のしようのない程の旨さだった。 ほおばるととろりと甘く豊潤で、しかも後くせのない淡泊な味であり、分厚い身はあっという間に胃袋に滑り落ちてしまった。

値段は忘れてしまったが、1000円とか1200円とかいうレベルだったと思う。 勿論こんな値段で現在極上の花咲ガニが賞味できるわけがない。 札幌の蟹専門店でその数倍の金額を出したが、あの時の味はついに再現できなかった。

取れたて新鮮というものが、海鮮料理の場合どれほど味を支配するかという見本だろう。 

しかしそれだけではない。 あの時の味は、私の「夢の旅の味」だったのだ。 恐らく今現在あの時の蟹と全く同じものを食べても、その味はあの時の味には遠く及ばないだろう。

何故なら、それは私にとって「夢の旅」の味だからだ。 二度と帰り来ぬ若き日の夢の味だからだ。 この花咲ガニの味に限らず、サロベツの単色の侘びしい原野も、うら寂れたアイヌの墓場も、ただ吹きすぎる風の音だけが孤独感をかきたてる朱鞠内湖のバスも、全て夢の世界のものだからだ。

夢を捕らえることも、夢と比較することも不可能である。 だからこそこの旅は私にとって何ものにも換えがたいものだったのだと、今にして痛感している。 今現在どのようにお金や時間をかけようと、あの時の「夢」を再現することは出来ないからである。


釧路から襟裳岬を回り、苫小牧からフェリーに乗って東京に戻った。 9月も半ばだというのに東京はひたすら暑かった。

こうして私の長い夢の旅は終わった。

4

2009/6/24 | 投稿者: Hal

遠くへ行きたい 遙かな夢、北の旅 続き

♪ The Silence Or Tear ♪

朱鞠内湖から国道40号を北上し、サロベツ原野に至る。 ペンケ、パンケの沼にも脚を伸ばした筈なのだが、その記憶は全くない。 

只残っているのは、荒寥としたサロベツ原野とうら寂れた漁師町、そして冷たげな日本海のおぼろげな印象だけである。 あれだけ強烈な印象を受けたのだから、墓場まで記憶を持っていけるかと思っていたが、あまかったようだ。(笑)

稚内から網走にかけてのオホーツク沿岸の道も、やはりほとんどの記憶が飛んでいる。 ただ、夏の終わりのやや弱々しい陽光に照らされた北の海は、寒々として広がり、行き交う車もなく寂漠としていたというのが、唯一残された心象である。

私に今残されているのは、連続した事象の中でとぎれとぎれに残る、数少ないカットだけだ。 北海道の夢の旅の中でも、とりわけ強烈な印象を受けたものだけが、その残されたカットなのだろう。

と書いていたらここで一つ思い出した。 網走の思い出である。 遙か昔から網走といえば刑務所と相場が決まっている。 その刑務所の門前で記念写真を撮った。

「長いおつとめ、ごくろうさんでやんした」という思い入れである。 思い出としても、しごくアホな思い出ではある。(笑)

♪ 知床旅情 ♪
The Blue Moon Of Kentucky

世界遺産でもある知床半島の記憶は、ほとんど残っていない。 当時既に「知床旅情」という歌もあった筈なのだが、ハマナスの花が咲いていたという記憶もない。 

勿論ピリカメノコと出会った思い出など、毛頭ない。 このあたりは「風雨来記」とはエライ違いである。 所詮あれはゲーム、俺の実人生などつまらんものさ・・・ フフン(笑)

光苔の洞窟は見たが、これも鮮明な記憶はなく、薄暗く狭い洞窟があったことと、「光苔といってもまるで光らんぞ。 つまらん」と思った程度の記憶しかない。

唯一鮮明に残っているイメージは、場所も店名もとうに忘れてはいるが、羅臼の近くの食堂でとった食事がやたらうまかったことだ。 勿論メニューなどはまるで覚えていないが、ルイベやラーメンがめちゃうまだったことは、今でもしっかと覚えている。

もう一つの記憶は、居合わせた大阪の板前と称する男がやたら生意気だったことだ。 「わては包丁が切れる」としつこい腕自慢が鼻持ちならず、当時は血気盛んだった私は奴の尻を蹴飛ばしてやりたくなった。

なんとも嫌みな奴だったが、生意気と感じた原因の一つは、向うは数人の女性(それもかなり美しい(^^;)を引き連れていたのに、こちらは男の一人旅であることもあったようだ。(笑)

♪ Rank Strainger ♪

トド松の林が海水にひたって立ち枯れ白骨化した「トドワラ」。 今ではレストランや駐車場もあり、観光花馬車まで走っているという、観光名所になっているらしい。 

現在は保護のため途中までしか入れないようだが、私が訪れた時は、野付半島の付け根からトドワラの見える所まで、車で入ることができた。 そのかわりレストハウスどころかトイレ一つない、全くの無人のサイトだった。

おまけにトドワラへ至る道はもの凄い悪路で、大人が一人すっぽり入れそうな大穴が道の至る所にあり、どのようにそれを避けても前後左右どれかの車輪は穴に落っこちるという有様だった。 

シートベルトをギリギリに締めても、身体は宙に躍り上がり、次には舞い落ち、しけにあった小舟もかくあらんか、という状態であった。

「風雨来記」によると、野付半島の道は両側に海が見える素晴らしい景観ということだが、残念ながら私の記憶には残っていない。 あまりの悪路に景色を見るどころではなかったということも、記憶にない原因の一つだろう。

トヨタのSSのある町まで戻って最初にしたのは、サスペンションのチェックを依頼したことだった。
0

2009/6/23 | 投稿者: Hal

遠くへ行きたい 遙かな夢、北の旅続き

♪ Almost heaven, West Virginia ♪ 

最初に脳裏に浮かんだのは、日高山脈の山麓の光景だ。 あれは更別あたりではなかったか。 空の彼方に日高山脈が雄大にそびえ、その麓にはまるでヨーロッパアルプスのような緑の丘陵が緩やかに波打ち拡がる。 そして道の両側には「雄々しくそびえるエルムの梢」が連なる。 北大予科寮歌そのままの景観だった。

取り立てて有名な観光地でもないこの風景、阿寒や摩周以上に鮮烈な印象として記憶に残っている。 内地では絶対に見ることが出来ない、全く日本離れした光景に、若き日の私はしばし恍惚として時の経つのも忘れた。 その私は、今では「恍惚の人」となりつつあるが・・・(笑)


♪ The Little Cabin Home On The Hill ♪ 

現在の朱鞠内湖にはキャンプ場があり、売店は勿論シャワー室やコインランドリー迄あるそうだ。 しかし30年前の朱鞠内湖にはまるでなにもなかった。 売店もホテルも人家も、人の気配を感じさせるものは何一つなかった。

あるのは黄昏の光にそびえる展望台。 およそ三階建てのビル程の高さの展望台に登ると、晩夏の夕暮れの弱々しい光が、湖面のさざ波にかすかなきらめきを見せる。 風は夏とも思えぬ程冷たく、数分で鳥肌が立った。 見渡す限りの森と湖。 私以外には誰一人としていない。 聞こえるのはただ吹きすぎてゆく風の音だけ。

そしてもう一つだけ人の息吹を感じさせるのは、杜の中に置き忘れられたような一台のバス。 勿論エンジンは外されていて動きはしない。 これがキャンプ場の替わりということらしい。

その中で一人食事をしていると、二人連れの男女が入ってきた。 彼らも車で北海道を旅しているという。 男の方は音楽家の卵ということで、安ウイスキーを酌み交わしながら、音楽の話に花が咲いた。

宴が果てると、彼らは車に戻ってそこで寝るという。 私は一人でバスの床にシュラフを広げ、風の音を聞きながら眠りについた。

♪ The Boquet In Heaven ♪ 

旭川郊外でけったいな人に出会った。 中年をやや過ぎた位のオッサンだが、かなりよれよれの服装でむさ苦しい風体と言ってよく、ありていに言えば相当怪しげに見えた。 そのオッサンに、いきなり「にいちゃん、アイヌの墓を見たいか?」と聞かれたのだ。(笑)

「見たいです」と答えると、「ならついてきな」との答え。 少しくアルコールが入っているようだが、当時でさえ美青年でも美少年でもなかった私を、ホンコンにたたき売るということもあるまいと、のこのことついて行ったのだ。

林の中を歩くこと暫し。 旗やら木の標識?のようなものが立ち並ぶちょっとした広場に出た。 オッサンの言によるとここがアイヌの墓場だという。

まことに残念ながら、その旗や木の標識状のものについて詳しい記憶はない。 その広場について、なにやらエキゾティックでもの悲しげな印象が残っているだけである。

オッサンに礼を言って車に戻り、私は一人旅を続けた。

0

2009/6/22 | 投稿者: hal

遠くへ行きたい 遙かな夢、北の旅

30年以上前のことだが、8月下旬から9月始めにかけて、道東と道北を中心に、2週間程かけて北海道を車で旅したことがある。 車にキャンプ道具を積込み、時には車の中で寝泊まりをするという、登山の延長のような一人旅だった。

それは全てが美しく、全てが懐かしい、遙かな夢のような北の旅であった。 知らない海をながめ、知らない街を歩き、人と会い、行き交う人もない山道を一人走る。 そんな旅であった。

「遠くへ行きたい」を聞く時、又「風雨来記」をプレイする時、何時も脳裏に湧き出すのは、あの夢の旅の思い出だった。

その時の印象は今でも強く残ってはいるが、映画のように連続した情景は既に亡失し、スティール写真のような細切れの記憶となってきた。 当時の写真など残っていればいいのだが、年月が経つと共に散逸してしまい、手元には見あたらない。

それで、あの時の印象が空の彼方に飛び去ってしまわない前に、「私の遙かなる夢の旅」を書き記しておこうと思い立ったのである。 誰の為でもなく、私自身の為に、若き日の残影の為にである。

この時の旅では、阿寒や層雲峡などの有名観光地には取り立てて思い出はない。 楽しい懐かしい思い出が残っているのは、ガイドブックにはあまりのっていないような所ばかりだった。

当時の私は登山やイワナ釣に明け暮れるアウトドア派であり、この北の旅もキャンプや車の中での寝泊まりを主体にしたワイルドな旅であった。

残念ながら釣りの道具は持参しなかったと記憶している。 今考えれば、イトウ釣りにでもチャレンジしていれば、更なる思い出が残ったかも知れない。 惜しいことをしたものだと今更ながら悔やまれる。(笑)

更に残念なことは、詳細な行程がどのようなものであったのかさえ、今では失念してしまった。 当時はパソコンもインターネットもなかったので、インターネットマガジンに記事をアップロードすることもなく、パソコンに画像を取り込むということもなかった。

せめてメモ書きでも残しておけばと、これ又悔やまれるが、無精な私故それもない。 とぎれとぎれの記憶を頼りに、ポツリポツリと断片的に残された一齣の記憶を思い出すのみである。


8月下旬の早朝に東京を発ち、当時は仙台までしか建設されていなかった東北自動車道を走った。 八幡平から恐山を経て青森から連絡船で函館へ渡った。 函館山の夜景は流石に綺麗だったが、それ以上の思い出はない。

あやふやな記憶を辿ってみると、この時のおおまかなルートは、函館−札幌−日高平野−大雪山周辺−旭川−朱鞠内湖−サロベツ原野−道北の峠越えの連続−稚内−オホーツク沿岸−知床半島−トドワラ−根室近辺−釧路−襟裳岬−苫小牧−フェリーにて帰京、というコースではなかったかと思う。

函館や札幌の道南はただ通り過ぎるだけで、道東と道北の侘びしい風物の中をひたすら走るという旅だった。

当時の北海道は現在に比べて施設設備が整っていなかったようだ。 現在は朱鞠内湖や野付半島のトドワラ、サロベツ原野などにも、レストハウスやキャンプ場が設置されているようだが、当時はまるでなにもなかった。 朱鞠内湖でさえ、トイレ一つなかったのだ。

無論層雲峡や阿寒など有名観光地は、当時からそれなりの設備があったが、無名或いはあまり有名でない所には、設備や施設は何一つないといっても過言ではなかったと記憶している。

5

2009/6/21 | 投稿者: hal

遠くへ行きたい  風来の記

コンピューターゲームには、「旅ゲー」というジャンルがある。 名前のとおり旅をテーマにしたゲームの総称である。

代表的なものには、レッドカンパニーの「北へ」、「北へDD」、fogの「みちのく秘湯恋物語」、「風雨来記(ふうらいき)」などがある。

内容は、若者が何かの精神的転機に際して旅をし、その旅を通じて知り合った異性との交流により成長してゆくという、判で押したようなものがほとんどだ。 早く言えば萌えゲーのツーリスト版というところ。

旅行先は北海道が圧倒的に多いが、これはやはり北海道の大陸的大自然と、そのエキゾティシズムによる魅力が強いからだろう。

fogの「風雨来記」はその旅ゲーの典型的なもののひとつだ。 駆け出しのルポライター兼カメラマンの主人公が、バイクに乗って北海道へ旅立つ。 目的は北海道の風物を新しい視点から見直すルポを書くことと、それによってフォトルポルタージュのコンテストに参加することだ。

旅の過程で主人公は様々な美少女と知り合い、愛に落ちてゆくが、そのストーリーは正にご都合主義の日本フル代表みたいなもので、Xファイルも裸足で逃げ出すというしろもの。

それでも「北へ」よりはまだましで、「北へ」のストーリーはご都合主義を通り越してSFに近い。 「北へ」の主題歌の「カニがいっぱい〜 ホタテもいっぱい〜」というくだりを聞いた北海道の人は大層怒ったそうだ。(^^;

おまけに「北へ」の背景は、ろくにフィルターもかけない撮ったままの生の実写写真。 それに大槍蘆人氏(NOCCHI氏)のあのめるへんちぃいくなCGがデンとのっているのだから、その非現実感はこの世のものとも思えないほどである。

シュールレアリスムというのは、正にこのことを言うのだろう。 商業ゲームをシュールレアリスムで表現するとは、いやあ、王子様はやはりくーるだにぃ。

このように旅ゲーはスタイルとしてはアドベンチャーゲームの範疇に入るものが大半だが、アドベンチャーゲームとして見ればどれも駄作に近く、「北へ」のように愚作に近いものさえある。

しかし、旅ゲーの魅力はアドベンチャーゲームの魅力と完全に重なっているわけではない。 アドベンチャーゲームとしては駄作或いは愚作であっても、旅ゲーとして見れば秀作傑作というものもある。

「風雨来記」はその典型である。 そのストーリーを語る勇気は私にはない。 臭いセリフ、不自然な設定、そしてダサイお説教。 そんなものをわざわざ聞きたいという方もいないと思われるので、お話し関係は一切すっ飛ばす。

「風雨来記」の魅力は、その綿密な取材とそれによる背景の風物CGである。 道北と道東を中心に、ゲームで使用される全ての行程の写真を撮影し、背景CGとしている。 

その数なんと3千枚!。 ガイドブックにさえ載っていないような、珍しいスポットにも焦点を当てているのは凄いことである。 又、「北へ」と異なり、こちらは原画家が典型的な劇画調の岸上大策氏なので、実写にCGをのせてもさほどの違和感は感じない。

ゲーム中主人公(=プレーヤー)はバイクを駆って北の大地を駆けめぐる。 その全ての行程で使用される背景CGが素晴らしい。 背景CGはレストランなどの飲食遊興施設はほとんどなく、大半が北海道の雄大な風物である。

その風物も移動中の道路の背景が大半で、これがまたいい。 東京など本州の人間にはまず見ることができない遙かな地平線と、ゆったりとうねる丘陵。 そしてどこまでも拡がる深い緑の平野・・・

どれも観光地とは全く無縁の、ただの道路沿いの風景だ。 なのにそれが実に新鮮で素晴らしい。 私にとっては阿寒や摩周などの観光地よりも遙かに好もしかった。 東京の人間は、ただ地平線が見えるだけで感動してしまうのである。(笑)


おまけに時間の経過と共に背景CGを少しずつ拡大して、バイクで移動している感じを出すなど、中々芸が細かいところもある。

随分前のことだが、私も北海道の一人旅を二度程したことがある。 最初は高校生の頃、チャリンコにキャンプ道具を満載し、一週間ほど道南を旅した。

二度目はもう30年以上も前のことだが、車で2週間ほどかけて道東と道北を回った。 どの旅も、それは夢のような旅であった。 なにもかも美しくなにもかも懐かしい。 そんな旅であった。

その楽しくも甘酸っぱい思い出が、このゲームをプレイしていると脳裏に蘇ってくる。 ゲームの中で遙かな地平線に向かってバイクを駆っていると、同じように地平線に向かって車を駆っていた自分と重なり、鼻の奥につーんと来るものを感じるのである。

それは二度と帰り来ぬ青春への愛惜の情か、はたまた現在の自分に対する哀惜の念か・・・

0

2009/6/20 | 投稿者: hal

遠くへ行きたい  旅へのいざない

「遠くへ行きたい」という歌がある。 故中村八大さんと永六輔さんの名曲である。 初出はNHKの「夢で逢いましょう」ではなかったか。 

この六八コンビ(これに坂本九を加えて六八九という言葉もあった)は昭和20年代末から40年代にかけて、数々の名曲を作っているが、その中でもこの「遠くへ行きたい」はずば抜けた名作だと思う。

甘く切ない旅と愛への憧れが溢れる、ノスタルジーの権化ともいうべき名曲である。 某民放の旅番組のタイトルにもなっているので、そちらでご存じの方もあるかも知れない。 もし、この曲を未だ聞いていない方があるならば、是非とも一度お聞きになっていただきたい。

フランクの弟子であるアンリ・デュパルクに、ボードレールの詩による「旅へのいざない」という歌曲がある。 勿論「旅へのいざない」とこの「遠くへ行きたい」とは、曲想も内容も全く異なるが、共通するのは「あこがれ」と「せつなさ」という、音楽によって呼び覚まされる人間の感情の表出だろう。

知らない街を歩き、知らない海を眺め、そして愛する人とめぐり逢う。 

今自分が存在するこの現実ではなく、誰も知らないどこか遠くへ行けば、そのようなめぐり逢いが在るのかも知れない。 愛と信頼と幸福が、いつの日かどこかの土地で得られるのかも知れない。 

それは今現在のこの現実の世界では決してない。 しかし、いつの日かここではない世界でそれは得られるだろう。

現実の世界では決して得られぬものへの、その憧れとその切なさが、甘美でノスタルジックな旋律となって心を撃つ。 やはりこれは中村八大さん畢生の名曲である。

中村八大さんは戦後の日本のポップス系作曲家の中でも、最高の才能を持った作曲家であったと今でも信じているが、残念ながらまだこれからという年齢で逝ってしまった。 九ちゃんも飛行機事故で既にこの世の人でない。 六八九トリオの中で残っているのは永六輔のみ。 ああ・・・

3

2009/6/19 | 投稿者: Hal

何故か旅ゲーが好きだ。 「風雨来記」12や「北へ」のシリーズ123。 純粋にADVとしてみると若干不満は残る。 しかし特に風雨来記は、ADVとしての要素より旅ゲーとしての要素が強く、旅ゲーとして見ると大傑作と思う。 fogは昔から「みちのく秘湯恋物語」など制作しているから、旅ゲー指向が強いソフトハウスなのだろうか。

「北へ」シリーズは現地とのタイアップで、実名の商店などが数多く登場する。 商店側でも宣伝になるので喜んで取材に応じたのだろう。 プレーヤー側から見ても旅の気分が横溢していて悪い感じはしない。 しかしそれがあまりにも度が過ぎて、ゲームだか観光宣伝だかわからないという不評は多いようだ。

1にはセガカラ迄登場している。 商店紹介に紛れてちゃつかり自社?の宣伝までしているのだ。 転んでも転ばなくても只では起きない、恐るべしセガ(&レッドカンパニー)商魂。

「北へ」の画面は、ほとんどイフェクトもかけていない実写そのものの背景に、大槍葦人氏のめるへんちいく重度大爆発なCGがのっているという、玄妙というか面妖というか摩訶不思議というか、不自然な非現実感・非日常感いっぱいの世界である。

ストーリー的にもかにがいっぱいご都合主義もいっぱい。 しかしゲームのストーリーからご都合主義を除いたらなにもなくなる。 ある程度はお約束ごととして目をつぶらなければならないのだろう。

とまあ、随分けなしたが、ではなんでプレイしたのかと聞かれれば、やはり心地よかったからという答えになる。 ほんわかとした現実と非現実の狭間に浮かぶような、非日常感が心地よいのだ。 ゲームとしては駄作の部類に入るのだろうが、この感覚は得がたいものがある。

「北へ」と来れば「風雨来記」シリーズを取り上げないわけにはいかない。

こちらもストーリー的にはかなり妖しげなところが多いし、主人公のお説教調がうざくてたまらんという苦情も又多い。

とはいえ、風雨来記1の北海道の描写はやはり素晴らしいと思う。 遙かな地平線までどこまでも続くまっすぐな道路。 左右は原生林が果てもなくうねっている。
若い頃に旅した北海道の夢の旅を思い起こさせる。

風雨来記1や北へのノスタルジックなサウンドを聞きながら、回想するのは私の夢の旅。 ゲームのことを書くのはもうネタ切れなので、次回は私の夢の旅の思い出を語りたい。

0

2009/6/18 | 投稿者: Hal

どんな仕事でも取引先が至って大事なことには相違はない。 なんとかご機嫌を取りら結ぼうと色々なことをする。 その中の一つが「接待」である。 これはほぼ全てが「夜」のおつき合いとなる。

これはこれで接待する方にはしんどい仕事ではある。 特に私のように朝型の生活スタイルになってしまっている人間には、そもそも夜遅くまで起きているということ自体が結構大変なことなのだ。

私は若い頃は典型的な夜型だった。 朝の寝起きは至って悪く、昼頃までは頭の中がはまぐりおじや状態。 時間が経つにつれて意識がはっきりし、午後遅くから夜間にかけてフル駆動となる。

それが今は朝起きると同時にスイッチが入り、CPU使用率100%の状態となる。 しかしそれも長くは続かない。 午後遅くなるとHal-uso800型生体CPUは次第にスワップを始め、10時を過ぎるとはや完全な過負荷状態。 麦製潤滑油(別名トラピストビール)の出番となる。 私の一日は、まあ、そんな一日であります。

だから夜のおつき合いは苦手なのだが、仕事となればそうもいっておられない。 仕事場所はキャバクラ、それも前にピンクがつく所が多い。

ある「ところ」ではホステスさんの制服は「弊社特製テレカ」、つまり裸エプロン。 その下はほとんど(というよりほぼ全く)何もない。 うう・・・ 横を向くと*っぱいは完全に見える。 それ以外の場所もほとんど(というより全て)見える。 しかもこの手のキャバ嬢はブスばかりかと思っていたらとんだ間違い。 渋谷でも新宿でも街を歩けばすれ違う男は皆はっと息をのみ、振り返る、そんな掛け値無しの美人揃い。 極楽じゃあ・・・(遊びに来ているのならね)

店に入ると入口から向かって正面に長く続いたソファがあり、お客さんはまずそこに座り、飲み物などすする。 その右手には、なんと表現すれば良いのか、蚕棚みたいなボックス席が幾つか連なっている。 けったいなことには、そのボックス席の上部には網か布のようなものが着いている。 はて? ボックス席はともかくとしてこの網はいったいなんなのか?

その疑問はすぐ解決した。 お客さんが(いそいそと(笑))そのボックス席に座ると、裸エプロンのおねーさんも隣に座る。 と・・・ ボックス席には半透明の網が被せられ、中が「ほとんど」見えなくなる。

なるほど、そういう仕掛けか・・・ でも声は聞こえる。 その声の内容をここで紹介するのは遠慮させていただく。 いくら私がエロゲ制作者でもだ。 ここは皆さんの「豊富な体験」と優秀な想像力に、お任せするのみである。

で、接待する方は? 私もお相伴でボックス席に座ると、超美人のおねーさんが隣にくる。 待つほどもなく網が被せられるとあたりは薄闇。 私は超美人の・・・・・・ 

というようなことは全くない。 私は正面のソファに座り、馬鹿面下げて「**」が終わるのを待っているのだ。

さて、ここでこの「**」に文字を当てはめてください。

「えち」? no!
「えろ」 ないない!
「せく」 違うぞえ

正解は・・・

「お話」で〜〜す。(;´Д`)

この仕掛け、なにやら小学生の頃のお医者様ゴッコを思い出させる。 あの頃は*子ちゃんと蚊帳の下で、(以下略) 彼女は後にモデルなどやりテレビにも出演していたが、子供の頃から可愛かったな・・・
5

2009/6/16 | 投稿者: hal

今回はゲームの人気のお話し。

大人気(高売上げ)のゲームにはそれなりの理由がある。 当然のことではあるが、ストーリーも平凡、キャラも立たず、絵も魅力ない、というゲームが売れる筈がない。

例えばFateでは長大且つ波瀾万丈のお話しと、意外性のある設定(アーサー王女性説など)、魅力的なキャラクターと売れる要素は全て揃っている。

ひぐらしはその点やや違う。 こちらはゲームというよりほぼ完全なノベルで、CGは実写の背景とごくあっさりした立ち絵のみ。 つまりはお話しの面白さだけで引っ張って行くスタイルだ。 

これはこれで大変なことだと思う。 一つのシチュエーションを複数の人物と時間軸から書き分け、しかも後半(解の部分)で大きなどんでん返しを行う。 プレーヤー(読者)はそれで大きなカタルシスと満足感を味わうというわけだ。 これは相当高いレベルのストーリーテリングの技術を持っていないと出来ないことと思う。 人気が出るのも当然だろう。 それが偶然の産物なのかはたまた実力なのか、新作のうみねこで問われるところだ。


他の幾つかの人気作品でも、ストーリー・画像・音楽など全てが、高いレベルでバランスの取れた作品と、そのどれかが突出していて他はそれほどでもないものなど、色々なタイプがあるようだ。

どちらにしても要は面白ければいいので、特に決めつける必要はないと思うが、時々要素の大半が高いレベルにあるのに、どれか一つが決定的に落ちる、というものがある。 このタイプでは概ねストーリーに弱点がある場合が多いが、この場合は致命的に面白くない。 システムや画像だけが劣る場合の方が、むしろ魅力的な内容に仕上がっているケースの方が多いようだ。 やはりアドベンチャーゲームではストーリーが生命ということなのだろう。

4

2009/6/15 | 投稿者: hal

ホラーと探偵ものが出たので、次はSFのお話し。

小説ではSFは数多く刊行されているが、ゲームの方ではSFゲームというのは非常に少ない。 SF好きの私としては、何故こんなに少ないんだ、と嘆きの声を上げたい位だ。 一つには作るのが難しいということと、もう一つはユーザーの関心は萌えにはあっても、SFにはないということだろうか。 これだけ悪条件が重なれば、SFゲームが少ないのも当然か・・・

SFゲームでまず思い出すのが、クラーク原作の「宇宙のランデブー2」のゲーム化されたものだ。 タイトルは「ラーマ」だったか、良く覚えていない。 はっきり言ってこれは駄作だった。 CD数枚組の当時としては超大作だったが、ゲームとして見るとどうしようもないというレベルだった。

唯一面白かったのが、クラーク先生ご出演のシーンで、ロボット相手に傘でチャンバラ迄してくれるという出血大サービスぶり。 当時でさえ70歳は越えていた筈。 元気なもんですなあ・・・ わたし完全に負けています・・・

しかし、原作の「宇宙のランデブーシリーズ」は大傑作で、特に1でスポークのハブの部分から、ラーマの中心部に降りてゆくシーンは、空気感透明感距離感の描写の素晴らしさを未だに覚えている。 ゲームの方はこの空気感透明感はCGの限界を越えていたのか、特に印象はない。

比較的良かったのは「dig」(ルーカスフィルム作)。 しかし絵は恐ろしく汚く、フェィスウインドウの絵の顔の部分の線が外に迄はみ出しているというすさまじさだった。 おいオイ、これがルーカスフィルムと銘打った作品かい。 イベント絵はまずまずの出来なので、なんでフェィスウインドウの絵だけがあんなに汚かったのか、未だに理由は判然としない。 ストーリー的には、未知の惑星での冒険がかなり良く描かれていて、面白かった。 

「Lost in Time」というフランス製アドベンチャーゲームもあった。 これはCGが非常に美ししいが、ストーリー的にはあまりにも単純でやや不満が残った。 若き日の椎名へきるさんがヒロイン役で出演していたが、フランスのプログラマの方がご執心だったようで、どこだかをクリックすると、「しいなさん ちゃあみんぐですう」などと今時の萌えみたいなセリフで出てきたりした。(笑)

ブラッドベリの「火星人記録」のゲーム化もあった。 これもほとんど印象に残っていないが、ブラッドベリのインタビューなどは興味深かった。 随分と昔のゲームではある。

上に上げたゲームはDOS/Vマシン用だが、国産では「スナッチャー」や「ポリスノーツ」、「エル」、「イブ」や「デザイア」・「ゼノン」もSFの中に入りそう。 比較的最近では「ロケットの夏」もあるが、やはり数は少ない。 しかも「れとろ」の範疇に入るのが大部分で、このあたりは寂しい限りだ。

3




AutoPage最新お知らせ