2007/7/25
昔、とある小ホールの楽屋でのことです。
その日の仕事を終えたあるピアニストが、
小さいけれどはっきりした声でこう囁いたのを、私の耳は捉えました。
「フォーレのピアノ曲はどうもねぇ、、、
なぜ歌曲のような魅力のあるものを残してくれなかったんだろう。」
じつは、フォーレのピアノ曲に関しては、当時私自身もこのピアニストの方と同様の感想を持っておりました。
どうも取り付きにくく、というより、あまり好きになれなかったというのが正直なところかも知れません。
少なくとも今日話題にしようとしているジェルメーヌ・ティッサン=ヴァランタンの演奏を聴くまではそうだったと思います。
ティッサン=ヴァランタンの弾くノクターン(夜想曲)集を聴いたとき、ようやくフォーレのピアノ曲という扉の錠が開けられたのでした。
たとえば多分に旋律的でロマンティックな「ノクターン1〜5番」、
けれど三部形式の中間部の楽想に、
何か不自然さというか、唐突さを感じないでしょうか。
ティッサン=ヴァランタンはこうした中間部に力んで変化を付けようとせず、
きわめて自然に、さらりと流してしまいます。
そうすることによって、これら中間部はじつにスムーズに前後と繋がり、
全体のバランスが整うのです。
彼女は、フォーレらしい夢幻に満ちた6〜8番も、
そして後期のやや沈鬱で晦渋な楽想の見られる9番以降も、
それぞれの時代におけるフォーレの心情を追体験するかのように、
作品の内面に深く、深く入り込んでいきます。
こうした演奏を聴いていますと、
聴き手の方も(ティッサン=ヴァランタン同様に)、
フォーレの心情を追体験してしまいます。
そして、もはやこれらの作品は取り付き難いものではなくなり、
逆にとても親しみのある音楽に変わってしまうのです。
ジェルメーヌ・ティッサン=ヴァランタン、
このピアニストがいてくれて本当によかったと思います。
そうでなければ、私はいまだにフォーレのピアノ曲の素晴らしさを知らないままでいたことでしょう。
[DATA]
ガブリエル・フォーレ作曲「13のノクターン」
pf) ジャメーヌ・ティッサン=ヴァランタン
(英国TESTAMENT:SBT 1262)
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