実家にAmazonのEchoshowを導入し、スマホやタブレットに乗り遅れた父とのビデオ通話が開通。
姉がいてくれるので、当初目論んでいたほどの活用はしていないけれど(見守りとかホットラインとか)、それでも親の様子が映像として把握できるのはすごくいい。
父自身も耳が遠いためか電話では積極的にコミュニケーションを取ろうとしないのだけれど、これだと少なくとも顔を見せよう顔を見ようという気になるのか、前よりはしゃべってくれる。
そんな中、直々にお願いされたのが、母に何かあったときの判断。
正直、母は意識もはっきりしているし、判断能力もぜんぜんあるので、成年後見制度のようにアタシが何か決めたりというような局面では正直ないのだけれど、事実はともかくとして、急にいろんなことが覚束なくなってきたと自覚した父が、今のうちにアタシに将来のことも含めて直接伝えたかったのだろうと理解。
切ないけれど、そういえば日本には隠居という言葉がある。
よく考えたら、父も齢80を超えてしばらくになる。
江戸や明治の昔なら、十分に家督を譲って悠々自適の生活を送っていても不思議でない歳だろう。
そう考えると、これもある意味、自然な流れなのかとも思い。
アタシももういい歳だものねえ。
アタシにこの話をしてほっとしたのか、その晩には幻覚にも悩まされず落ち着いた夜を過ごしたという父。
家族に囲まれて穏やかな日々を過ごして欲しいと思いました。

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