昔、まだアタシが若かった頃、職場の後輩と話していて、その後輩が「帰納的な対応ばかりだと疲れません?」と問いかけてきた。
アタシまだまだ経験値の少ない若僧だったから、「そんなものかしらね」と答えた記憶がある。
だって、演繹にせよ帰納にせよ、世の中の仕組がよく分かっていなかったから。
って今でも理解し尽くしているわけではもちろんないのだけれども、半世紀以上生きてきて経験を積み(帰納)、世の中こんなものだろうと(演繹)人の倫に外れない生き方ができるようになってきて、はたと困っているのが工場での働き方。
なんでもマニュアル、標準なのだ。
どこをどう切っても文系のアタシ、文章を読むのは嫌いではない。
というか、世の中的には得意な方だろう。
でもどうにも受け付けない文体というものがある。
その最たるものがISO系の諸々だったりするのだけれど、会社における標準類というものもその一つで、どうも文体に「色気」を感じないのだ。
って目的からしてそりゃそうだろうという気はするが、国語力というか、文学を愛するものが書けば、もうちっと読む気の起こるものになりそうな気もするのだけれど、ないものねだりかしらね。
とにかく、なんでも「読んで」からじゃないと動けないのは、なかなか窮屈なものです。

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