昨日、ホテル周りの探検に出掛けたら、ごくごく近くにアンネ・フランクの家があって。
今回ツアーのチケットは入手できなかったわけだけれども、急に彼女のことが知りたくなり、部屋に帰ってからネットの海に溺れる。
歴史に「タラレバ」は禁物ではあるけれども、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所への移送列車は彼女たちが乗ったものが最後のものだと知って、改めて胸を衝かれる。
発見がもうすこし遅かったら、彼女はきっと生き長らえられただろう。
ネットの記事の中に、当時のアムステルダムの様子について書かれているものがあった。
ユダヤ人にとって比較的「寛容」なお国柄だったと。
今、この街を歩いていて、その「寛容」さは、形を変えながらも息づいているように思う。
マリワナ、売春、同性婚…。
確か安楽死ですらもこの国では合法になったのではなかったか。
その昔、「ほぼ日刊イトイ新聞」で「オランダは未来か」という連載コラムがあった。
何か事情があったのか、途中で連載が止まってしまったように記憶しているけれど、この国がある分野において世の中の最先端を走っていることは論を待つ必要はないように思う。
アンネの話に戻ると、第二次世界大戦のとき、オランダは中立を宣言していたけれど、ドイツから侵攻を受け、たった一週間で敗北宣言をしたのだとか。
もしかしたら、「寛容」は「受容」と言い換えた方がいいかしら。
それも「忍耐」と対を成す「受容」。
更に言うと「受忍」かしら。
オランダは常に自然、それも水と戦ってきた国。
嘆いても文句を言っても自然は人間の言うことを聞かない。
であれば、そこに存在するものがあるのなら、目をつぶるのではなく存在を認めた上で、共存の道を探るべきでは?
ドイツへの降伏の折には、負けるが勝ち、負けてから出方を考えればいいさ、そんな判断もあったのかもしれない。
アンネはじめユダヤの人たちは不幸にもこれで命を失うことになったけれど、一方で街は戦災を免れ、結果として沢山のオランダ住民は生き残ることができた…と言えるかもしれない。
いずれにせよ、「あるがままに受け入れる」というのは、この国の基本的な態度としてあるように思いました。
今日の観光はアムステルダム国立美術館から。
ここが配布しているアプリが優れ物で驚く。
Bluetoothと位置情報を駆使して、名画の在り処や説明をかゆいところに手が届くように案内してくれる。
日本語にも対応しているから、これさえあれば人間や専用機でのガイドツアーは不要では?と思いました。
ただ、アプリに頼ってみて思ったのは、アプリが教えてくれる作品以外にはなかなか目が向かない、ということ。
「ツアー」というものの功罪だな、これは。
ハンバーガーで軽く昼食を済ませて、ハイネケン・エクスペリエンスへ。
ヴァーチャル・リアリティやCGを駆使したアトラクションを楽しみながらハイネケンへの知識が深まるという仕掛け。
凄い。
18ユーロ徴収しているとはいえ、ここまでハイセンスな工場見学を提供している日本のビール会社はないんじゃないかな。
試飲スペースもクラブ(平坦発音)チックでとてもクールでした。
観光の最後はゴッホ美術館で締めくくる。
絵の素晴らしさはもちろん分かっていたつもりだったけれど、彼は求道者だったのですね。
絵を描くことで神の王国に到る、というか、プロテスタント的。
先人や友人の書法を徹底的に研究し、色彩の表現は科学的な分析に基づき、弟テオへの書簡には箴言ともいえる洞察に満ちた言葉が溢れ、彼がとても知性的な人であったことを初めて知りました。
ここではオーディオガイドを借りて、隅から隅まで食い入るように作品を眺めたのだけど、2時間余りとはいえ、一人の芸術家の生涯に向き合えるのは、単なる美術館での体験を超えた体験でした。
満足。
トラムに乗ってホテルに戻り、昨夜とは別のインドネシア料理屋でテイクアウトして、部屋でおひとりさまディナー。