今日はこの度はじめての単独行動。
今まで甘やかされてきたままに、こちらに来てから一度も手に取らなかったといってもいい地球の歩き方とにらめっこし、まずは朝食を食べに外出。
その店はパンケーキが有名で、アタシもこちらならではの味を楽しむ気満々だったのだけど、いざメニューを見たらあまりの炭水化物(&脂肪)の量に怖じ気づいちゃて、結局エッグベネディクトに逃げるアタシ。
ああ糖分に強い体質に生まれたかった…。
腹ごしらえしている間に普通に店が開く時間になったので、ショッピング開始。
まずは昨日買ったワインが割れないように「wine skin」というプチプチがお洒落な袋状になったものを購入。
2パックで7ドルくらいしたけど、高いワインだし保険料と思えば悪くない(と自分に言い聞かせる)。
続いてコーチに立ち寄って通勤用鞄を新調し、ついでにバナナリパブリックで両親用のお土産と自分用の冬装束を買いました。
あ、そうそう。
サンフランシスコといえばこれ!のSee'sのチョコレートもお土産用にどっさりと買いました。
ラッキーだったのは今日が年末年始のギフトシーズンであったこと。
コーチは30%OFFだったし、バナレパは半額、シーズですら見知らぬオバサンから「あなたこれ使ってよ。私はもう使わないから」と店内でクーポンをいただき、5$分お得にお買い物。店員のオバちゃんは「まあ、貴女、どこでこれを手に入れたの?」と驚いていたけど(笑)。
なんだかんだで旅行というものはやっぱり大きな出費ではあるのだけど、昨日のワインといい、今日のアメリカンブランドといい、日本より大幅に安いものもあるので、そういうのに目をつけると、散財への罪悪感が薄まります。
昼は中華街で。
バーブラがライアン・オニールと「おかしなおかしな大追跡」で自転車で疾走したところよね、とやおらバーブラ聖地巡り気分。
ワンタン麺と青菜のオイスターソース掛けで人心地ついたのだけどとにかく高い。
結局チップ込みで25ドルほど置いてきたのだけど、多分同じメニューでもっと美味しいものが香港なら500円以下で食べられるよ。
今回お昼は常に20ドル超えだったなあ。
でね、各々の皿の値段なんだけど、麺も青菜も大体同じ値段で。
そりゃ貧しい人は野菜とか頼んでられないって。
なぜこちらのお金のない人たちが肥っているか腑に落ちました。
道すがらでベーグル買って(今回一番の美味だったかも)、しばし荷造りを兼ねてホテルで急速。
今度はカストロ通りに出かけました。
そう、あの「カストロ」。
駅ビルはハーヴェイ・ミルクの名を冠し、エスカレーターはレインボーカラーにライトアップされ、街には虹色の旗がはためき。
自分の半生と先達の人生と。
怒りや苦悩や喜びが誇りとないまぜになって、言葉にならない想いが胸を満たしました。
嗚呼、サンフランシスコ。
こんな近くにアタシ達が胸を張って暮らせる街があったのね。
夜はホテル隣のフードコートにて「和食」なるものを。
ざっと揚げた天ぷら(てかフリット)に寿司(てかカリフォルニアロール)、白米に鶏(の細切れ)の照り焼き(風)がドドーンと乗っていて、税込みで〆て約11$。
メニューには約900kcalって書いてあったけど絶対1000kcalは超えているよね。
てかテリヤキソースで甘辛くしてりゃ何でもJapaneseって安易だわ〜。働いてるの雑な中国人ばかりだし。
アタシ、あの清潔感や手際の良さ、芸の細かさも含めて「和食」だと思ってるから、どこか釈然としない想いで箸を口に運んだわ。
でも変な話、washokuが一般化するには一度はこの「陳腐化」を経ないといけないのかもね。
そして夜はお待ち兼ねのコンサート。
今晩はひとりメシだしだからといって部屋にこもってるのももったいないとネットをうろうろしていたら、目を疑うような情報が。
ラトル指揮のベルリンフィルのチケットが余っているだと?
しかも日本の半額以下で聴けるだと???
日付とか何度も目を疑いながらネットで予約して、喜び勇んで聴きにいきましたとも。ええ。
プログラムは前半はシェーンベルグ、ウェーベルン、ベルクのウィーン世紀末(ラトルの言葉によると「マーラーの音楽を引継ぐ者たち」の)音楽、後半はそのシェーンベルグが敬愛してやまなかったという(でも一般的には新古典派として知られる)ブラームスという野心的なプログラム。
おまけに前半は三人の曲を一つの作品として捉え、拍手は前半が終わるまで我慢しろという指揮者直々のお達し付き。
「情感のウィーン、機能美のベルリン」と讃えられるほどの彼ら相手ですら刻まざるを得ないラトルの指揮が興味深かったです。
もちろん後半はもう勝手に流れ出すような十八番ぶりで。
しかし思ったのは、日本との集積の違い。
そしてその審美眼の確かさ。
確かに前半の現代曲集もウェーベルン、ベルクの一部に面白いものがあった。
それに対してスタンディングオベーションで応える聴衆。
アタシは自分の感覚に自信が持てなくて立ち上がる機会を失してしまったけれど。
そしてその立ち上がった人々はしかもきちんと拍手のしどころを知っているんだな。
日本の聴衆ではこうは行くまい。
そしてこうして演者と聴衆の共犯関係が生まれ、今日はサイレントだった聴衆の中にも批判精神が養われていくのだろう。
うらやましい限りです。