昼休みにその訃報を知って、しばらく茫然自失となってしまいました。
―北杜夫さん
世の中的にはどくとるマンボウの方が通りがいいのかな?
いや、この頃はその著作を書店で見掛けることもめっきり減ってしまったから、若い世代の方はどちらもあまりご存知ないのかもしれない。
僕が彼の著作を初めて読んだのは高校一年生の頃。
夏休みにとにかく膨大な量の本を読めという宿題が出て、読みやすそうな「どくとるマンボウ青春記」を手に取った僕は、すぐさま彼の文学世界の虜になりました。
もろもろの「マンボウ」ものを手始めに、「夜と霧の隅で」「幽霊」「楡家の人々」「白きたおやかな峰」などの純文学。またあるときは「さびしい王様」や「怪盗ジバゴ」などのユーモア小説。
僕は大学の入学祝に、祖母にねだって彼の全集まで買ってもらって、彼の全著作を読破しました。
いかにも育ちの良さそうな、何を書いても下品にならないそのユーモア、特に初期の中短編小説に見られる「個」としての心細さと恍惚、確かな洞察眼に裏付けされた人間という存在への興味と理解。
僕が大学で心理学の道を志したのも、少なからず彼の影響を受けていたためでした。
その後、無事に思春期・青年期(彼の言葉で云うと「死に近しい季節」)を終えた僕は、徐々に彼の著作から離れていくことになりますが、それでも知己を得て彼の娘さんとお話しする機会が持てたり、ブラジルと仕事をしていた際には現地の日系人や商社マンと「輝ける碧き空の下で」の話で盛り上がったりと、折に触れ彼との不思議な縁を感じながら生きてきました。
"なかんずく"先述の「どくとるマンボウ青春記」での「とにかく30歳まで生きろ」という言葉には何度励まされたことか。
今自分がこうして生きているのは多分に彼のお陰だと言えます。
僕の座右の書となった「青春記」の裏書にはこうあります。
青春-かけがえのない万人の心の故郷。なつかしくも稚拙なもの。活気に満ちて、さびしいもの。
こうして考えると、彼の著作は僕の魂のゆりかごであったのだなぁ。
心から冥福をお祈りします。
感謝、感謝です。

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