日がな実家でごろごろ。
いや、これも親孝行なんです(笑)。
でもそれだけじゃ暇を持て余してしまうので、本を一冊読了。
窪美澄という方の「
ふがいない僕は空を見た」という連作小説集です。
山本周五郎賞を受賞したり、本の雑誌や本屋大賞でも好成績を修めたりと何かと話題のこの小説、読もうと思ったのは、
asahi.comの「作者は「性」をよく知っている、あるいは「性」について深く、自身の体験もふくめて考えてきた人なのだろう。」という書評がきっかけでした。
でも最初の「ミクマリ」を読んだときには、正直さほどではないかなと思いました。
この短編は「女による女のためのR-18文学賞」という賞を受賞しているようなのですが(いろんな賞があるものですね(^_^;))、どうも主人公の男子高校生を美化し過ぎているような気がして。
いや、その賞の名前が反対に僕の印象にバイアスを掛けたのかもしれませんが、女流作家が男、しかも魅力的な男を書く時は、ほぼ必ずと言っていいほど、そこには彼女のファンタジーが入りこんでしまうのです。
僕もそんなに多読の方ではないので断言はできないけど、ここら辺りのリアリティーをクリアできている女流作家は桐野夏生くらいかなぁ。
少し鼻白みつつも、でも折角ハードカバーを買ったのでと読み進めていくと(廉い)、どんどん話者が変わる。
これは橋本治の「桃尻娘」と同じ趣向なので特に目新しくはない。
同じ事件を複数の目で語ることも、吉田秋生の「ラヴァーズ・キス」で経験済み。
でも話者が女性に変わると、途端にストーリーに「生命感/生活感」が満ちてきて。
本の丁度真ん中にある「2035年のオーガズム」、また終章の「花粉・受粉」はこれはオトコには書けんだろうと思うほどの生/性への賛歌となっていました。
個人的なベストは「セイタカアワダチソウの空」。
人間は生きるようにプログラミングされている。
そう思いました。

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