・・・というわけで「パン屋再襲撃」のオリジナルも読みました。
オリジナルだから「パン屋襲撃」というタイトルかと思ってたけど、単に「パン」。
糸井重里とのお題(?)集「夢で会いましょう」にひっそりと収められていました。
そして感想。
ふーん。
以上、終わり。
むしろ僕としてはこれらの本と一緒に借りた「中国行きのスロウ・ボート」に感慨が深く。
つか、なんか村上春樹づいてますね(笑)。
この本を最初に読んだのは高校2年生の頃。
筒井康隆の一連の作品や宮本輝の「青が散る」、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」など、カレシさんから貸してもらった本は沢山ありましたが、この本はその中でも特に印象深い一冊で。
当時の僕は北杜夫の熱狂的なファンで、その派生で遠藤周作を読んだり、「新潮文庫の100冊」を片っ端から読んでみたり、なんてことをしていましたが、村上春樹のこの短編集は僕が好んで読んでいたどの作家とも違っており、カレシさんは僕と同級生なのにずいぶんオトナっぽいものが好みなんだな、なんて思った記憶があります。
中でもふとしたことで時々意識に上ってきていたのが「自分が学生だった頃に生まれたガキどもがもうオナニーする歳になっているんだ」というようなことを述べた短編で、今回ひょんなことで再読する機会を得、懐かしい表紙をめくって最初にしたことは、その小説のタイトルが何かを見究めることでした。そしてすぐにその題名が分かりました。
「午後の最後の芝生」
そうか、そういうタイトルだったのか。
正直、ストーリーは全くといって覚えていませんでした。
しかし僕が村上春樹に対して抱いているイメージは濃厚にそこにありました。
曰く、染み入るような「個」の意識だったり、過ぎていく時間や経験を定点で観測するかのような態度だったり。
このいわば諦念のようなもの。
僕は何かを変えたい人でカレシさんは受け入れる人。
カレシさんとの日々の諍いも、結局はこういった生きるということに対する構えの違いだったのかな。
あれから25年の年を経て、僕も「ガキ」ではなく当時の著者の年齢すら過ぎる齢となり、おそらくは17歳の頃とはまた違った感覚でこの短編を読みました。
久しく会っていないカレシさんですが、今どのように暮らしてるのかしらね。

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