サラリーマン。会社勤め。ヒエラルキー。
同んなじ会社に勤めてる事から考えるとそこの社員どもはみんな“同属”と呼べる。たとえばピラミッドの底の辺りと真ん中の辺り。たとえば富士山の新五合目と八合目。そこの一部分にすぎない奴等。そんなニュアンス。取締役も役職付けも平社員も勤務先の愚痴を誰かに言いたいのさ。だろ?
仕事を終えて帰宅。もしくは待ちに待った週末。それぞれの生活が始まる。私生活さ。プライベートさ。邪魔されたくないぜ。「キミの邪魔をしないから俺の邪魔をしないでくれ」誰もがそう思ってる。平日は同属で。週末は異属で。みんな一緒みんな違う。
スーパーマーケットの野菜コーナーで茨城キャベツと愛知キャベツが並んで売られてる。
緊張と緊張をつなぐ空間。それを“休憩”と呼ぶか。“間”と呼ぶか。“遊び”と呼ぶか。
会社の昼食時間というのが面白い。いろんな会話が飛び出す。昨日見たテレビの話題や。自分の家族の話題や。会社の愚痴や。去年の秋頃か、飯を喰いながらの同僚の会話の中でこんな話があった。保育園に我が子を預けてる彼女が言う事には「保育園の運動会があったんだけど最近の運動会は順位をつけないんだよね」。噂には聞いていた。近頃じゃぁ、競技において順位を付けない考え方があるらしい。それは小学校や中学校での話だと思っていたんだ。だがしかし、現実では保育園時代からそんな“システム”が設置されてるみたい。ビツクリした。『ぼくらは違うレールの上を走り続ける列車達さ。でも最終駅は一緒だぜ。終着駅行きのワン・ウェイ・トレイン。だったら、生きてるうちはやりたい事をやり続けよう。』20世紀生まれの俺はそんな意味合いのロック・ソングの数々を聴いてきたから。幸か不幸か、聴き続けてきたから。それこそ「みんな違うみんな一緒」そんな感じ。そして21世紀生まれのキッズ達。競争がない。順位を付けてもらえない。「みんな一緒みんな一緒」こんな感じ。これじゃぁまるで“同んなじレール”の上を走る“同んなじ列車”の“同んなじ車両”の“指定席に座ってる”みたい。それは「平等」が目的なのか。それは「個性の尊重」が目的なのか。それは恥をかかせない意味合いでの「人権の擁護」が目的なのか。すごい時代さ。でも、俺個人的にはどうでもいいんだけどね。勝手にしやがれって感じさ。バカがアホウを作るのさ。阿呆が馬鹿を育てるのさ。
“1”という数字に悩む男。それはジャヌ吉くん。
「ジャヌ吉」こと彼“1月”の心労はどんなもんなんだろう。12人の同僚の中、先頭に抜擢されたジャヌ吉くんは同僚に抜かれる事も無く、同僚を抜く事もなく。いつでも“1”の位置をキープし続けている。し続けなければならないのか、これからも。ジャヌ吉くんの先輩が言う事にゃあ「それがあいつの役目なんだぜ」だってさ。どうして年齢を重ねたやつらは物事に対していっつも、事務的に、軽く、カタカナみたいに、発言をするんだろう。「経験がものを言う」のか。北九州産の鉄100グラムとニューオーリンズ産の綿花100グラムは同重量。んで経験100グラムだってきっと同んなじはずだろう。
カレンダーの世界。表紙をめくればまずは1月。ジャヌ吉登場。とびっきりのインパクトでなきゃぁ先頭は務まらないぜ。最高のライブ・イベントには最高のオープニング・アクト。週刊誌の内容よりトップ・ページのアイドル写真。アルバム音源の1曲目はノリノリなジャンプ・ナンバー。ジャヌ吉くんは今年も頑張ってる。あなたの部屋の2012年版カレンダーで確認してみて下さい。
ところがジャヌ吉くん。“1”という数字に悩む男。ユニフォームは背番号1。彼は先頭に立っている事が苦痛でならない。まるで顔役の扱いだし。まるでリーダーの扱いだし。でも、どっちかっつーと彼は地道に自分の仕事をこなしていたいタイプなんだ。「もっと良くなるように改善をしていこう」なんて気持ちも少ないし。「ちっぽけな改善する前に元の土台を変えなきゃなんにも変わるわけないぜ」なんて冷ややかな目で見てたりもして。やる気が無いんじゃないぜ。クールなだけさ。彼は。
多くの企業が連休を設ける12月末からの休み。いわゆる『正月休み』。
その日程の決め方の話。例えば1月5日が土曜日で6日が日曜日だとする。おそらく多くの企業は前年の12月29日(土)から連休入りし1月6日(日)までの9日間を連休と制定するであろう。ところが今年2012年のように1月1日が日曜日の場合は最悪さ。仕事始めが5日(木)であったり場合によっては4日(水)の事もありえる。こんな場合、多くの人々はこう言うんだろう「ばかやろう!今年の1月の土日の配列が悪すぎ!4日から仕事かよ!」。1月には何の罪もないのに。どちらかと言えば前年の12月の配列の影響なのに。でも1月は悪く言われてしまう運命なのさ。練習とか努力とか勤勉とかだけじゃ変えられないものがこの世の中にはあるんだ。
「曖昧な言葉」と「明確な言葉」。「自己弁護」と「自己主張」。「みんな一緒」と「みんな違う」。
1という数字の形状はシンプル。アルファベットのアイの字と見間違えるぜ。曖昧な形状。そして234567890のどの数字より単純な形。そして1という“数字”は「先頭」ではあるが、1という“記号”は「最高」の意味でもなく「極上」の意味でもなく「平等から突き抜けた存在」の意味でもないんだ。むしろ「1番美味い店」「1番下手なキャッチャー」「1番一般的な意見」「1番憧れる鮎川 誠とポール・ウェラー」「1番ステキな美保 純」「1番ダサいギター弾き」など《形容詞+名詞》とのセットでなきゃぁ自己主張できないような。ちょうけてる奴さ。
ジャヌ吉くんはもういい加減に背番号1のユニフォームを脱ぎたい。脱ぎたくてしょうがない。だけど脱げない。のさ。
だって1月は真冬。寒くて寒くてたまらなく。やっぱり彼は背番号1を着続ける。衣装として着続ける。防寒着として着続ける。
みんな自分が大切。そして他人に意見する。自分の庭の草花木に水をやりながらチラ見した隣家の草花木にも水をぶっ掛けるように。
1995年発表、森高千里のシングル『一月一日』。これは『ジン ジン ジングルベル』というシングル曲のB面に収録されてるジャパニーズ・スタンダード・ナンバーのカバー曲。数年前までの正月恒例番組だった『新春スターかくし芸大会』でのテーマ曲もこれだったと言えば「あ〜なるほどね」ってみなさま思われるでしょう。実は彼女の声、好きなんだ。ベスト盤も1枚持ってるし〜。個人的には『渡良瀬橋』がフェイバリット。超名曲だと思う。
1972年発表、ギルバート・オサリバンのアルバム“HIMSELF”。A面2曲目に『JANUARY GIT』収録。この盤は彼のアメリカでの1stアルバム。彼の代表曲といえば『ALONE AGAIN』。世界中で大ヒットしたこの曲自体は本国イギリスでは2ndアルバムに収録なんだけど米盤ではこの1stにねじ込んじゃってる。これは60年代から続く英国ミュージッシャンの伝統的手法を用いたんじゃないかな。そんな事よりも目を引くのがジャケ写。VネックセーターにGマーク!
1970年発表、はっぴいえんどのアルバム“はっぴいえんど”。A面1曲目に『春よ来い』収録。唄い始めが♪お正月と云えば 炬燵を囲んで〜♪でいわゆる1月の曲。実ははっぴいえんどにのめりこんだのが昨年12月から。ベスト盤を購入して聴いたら「なんじゃこりゃぁ〜すげぇ〜!」って。ニッポン語のロックにこだわる俺がなぜ44歳になるまではっぴいえんどを聴いてこなかったのかというと、それはバンド名。しかも平仮名で“はっぴいえんど”。「ダッセーなぁ」みたいなノリ。こんな感じな数々のバカみたいな個人的理由で俺はいい音楽に出会うチャンスを今まで失ってきたのだと思う。それを知ったきっかけは昨年に佐野元春さんの素晴らしさに気付いた事から。「偏見みたいなノリで避けてた音楽をもっと聴いてみよう」って決めたんだ。

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