夕方、男がやってきた。
簡単な挨拶と名刺交換(実際ボクは名刺を持ってなかったが、初対面な大人同士の儀礼的作法イメージな言葉として使用)をすると彼はボクが事前に用意しておいた来客用スリッパに履き替えもせず靴下のまんまホコリだらけの部屋に入っていった。
バインダーに挟み込まれたチェック用紙に次々とレ点、○印、数字のいずれかを記入していく。作業が一通り終わると彼はボクにその日の日取りと時刻、そして場所を訊ねる。教えた。代金がはじき出される。ワンボックス・カーから荷造り用のダンボールが次々と搬入される。「当日までにダンボールに詰めておいて下さい。あんまり重くならないようにね」そして最後に彼がひとこと「ナカムラさんの荷量は独り暮らしの男性の平均量の3倍ありますね」
引越しをするんだ。17年間過ごしたアパートから。男は引越し屋さんだったって事さ。
今のアパートに移り住んだ17年前(西暦1992年)はボクにとって何かの変化点だったような気がする。“独り暮らしを始める”って事以外でも変化点だったって事。
その年の2月にテレビの歌番組において、ある男の演奏を見た。当時からとても有名な男だったし。知らない仲でもなかったし。ヒット曲だったらそこそこ知ってるし。でもそんなに気に掛けてなかったんだ。『自分が嗜好する音楽性にリンクしてんじゃぁないかな?』ぐらいの存在だったって事さ。
人の好みはどんどん変わってゆく。マールボロが好きだったのにラッキーストライクに変わって、キャスターマイルドになって最終的に辞煙(禁煙ではない、辞めてしまうんだ)してしまうとか。ホンダCB400Fourが好きだったのにハーレーダビットソンに変わって、最終的にスクーターのベスパになってしまうとか。ボクの当時の音楽嗜好性と言ったら極端に黒人音楽寄りだったんだ。ブルース、ソウル、リズム・アンド・ブルース。
そしてその男。2月のテレビ番組出演の男。派手なメイクに派手な衣装で派手な振り付けで唄っていた。ニッポン語でスタックスばりのジャンピン・ソウル・ナンバーを。「おぉ〜カッコいいじゃん」って。後日、雑誌で調べるとテレビ放映されたその曲を含むニュー・アルバムが3月発売、そして4月にツアーが開始されるとの事。ボクは名古屋公演のチケットを入手する事になる。
4月前半の土曜日に引越しを済まし数日後、初めてその男のライブを名古屋で観た。
独り暮らししようか悩んで、そしてする事に決定して、当時のバンド仲間の助けを借りて引越しして。そんな2月から4月までの2ヶ月間と、この男との出会いってのは完全にダブるんだ。まるで7インチのシングル・レコードのA面とB面みたいに。ボクの思い出ん中でね。
『マイクを持つとヒトが変わる』って喩え方は昔っからよく聞く。おそらくマイクなんていう近代文明の花形製品が発明される前からあったに違いない、そんな喩え方は。人間なんて生き物、昔も今もそんなに変わっちゃいないよ。声のデカイ奴は知らぬ間に偉そうな奴になっちゃってる。蚊の鳴く様な声しか出せねぇ奴がマイクロフォンの増幅機能を使えばまるで鬼の首でも捕った様なツラしてテメェの自慢話をしかねない。みたいなもんさ。
90年代に入ると以前にも増してバラエティ傾向の番組がテレビ業界でハバを利かすようになった。才能も無いのにお笑い芸人ヅラぶら下げた奴がテレビ画面でくだらんギャグをかますような時代になっちまった。
ある日彼がまたもやテレビの歌番組に出ていた。引越しシングルのアナザーサイドの男。司会を担当するお笑い芸人との応対はホントに素人風で。キャリアをひけらかす素振りもなく。それは外国人の彼がニッポン人の司会者と会話してるようにも見えて。そして演奏が始まる。唄いだした。
マイクを持った彼はやっぱりあの時の彼と同んなじだった。まるでそれは『マイクを持つとヒトが変わる』んではなくて『ヒトから変身』してるようだった。外国人ではなくヒトから変身。テレビ特撮物とかアニメ物とかSF物の宇宙人みたいに。
引越し屋が荷量調査で部屋にやってきたのは5月2日。西暦2009年5月2日。
そしてその日、宇宙人みたいな彼が死んでしまった。ホントに宇宙人だとしたら死んだんではなくて別の場所に移動したんだろね。彼も引越ししたって事さ。
5月末に行われるボクの新居への引越し。どうやらボクの気持ちん中の新しい7インチ引越しシングル・レコードのアナザーサイドには彼がまた登場しそうさ。
彼の名は忌野清志郎。
いつまでも愛してます。

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