最近の特におしゃれな家にはどうして深い軒や庇がついていないのでしょうか?
シンプルな質問ですが、実は現在の住宅事情、さらに日本建築の核心に迫る質問だと僕は思います。
屋根と庇の存在は日本建築史の永遠のテーマと言っても過言ではありません。
もちろん現在も、です。
建築はその土地の気候・風俗・文化によって形成され、人の生活が表出したものだと僕は考えます。
日本の建築が一般的に軒の深い勾配屋根を持っているのは、当然雨が降るからです。
それも一年を通して一定の量が降るのではなくて、モンスーン気候の影響で雨季と乾季を持ち、季節ごとの大きな降雨差があり、それゆえに繊細で華麗な四季を堪能することができると言う気候風土に培われてきた結果です。
勾配屋根と深い軒は降雨と日照に対して存在しました。
軒先と壁との距離が長ければ(軒下が広ければ)、雨が降っていても窓を開け放つことができます。
そもそも窓ガラスが一般化したのはごく最近のことです。
歴史上の、多くの時間では開口部を閉めると室内は暗がりになってしまいます。
明り取りに障子窓がありますが、それとて雨に濡れるのを避けるためには必然的に深い軒が必要でした。
雨戸の存在もまた同様です。
もちろん軒の深い屋根は、夏の強烈な日差しが室内に差し込むことも遮ることができます。
さらに大屋根下の外部空間は独特の曖昧な空間として発展します。
室内とも室外とも言えない断定できない「縁側」です。
そして僕たち日本人はこの縁側をこよなく愛しているのではないでしょうか?
夏の夕暮れ、ブタの蚊取り線香を焚いて風鈴の音を聞きつつ手にする三日月形のスイカと線香花火。
冬の穏やかな午後、北風を避けつつ干し柿などをかじりながら座布団を枕にゴロリと横になる休日。
いずれの楽しみも縁側ならではです。
外部とも内部とも呼べないような曖昧な空間での愉しみ。
自然を身近に感じる美しい生活です。
もっとも、ひょっとしたらこの曖昧な空間と共にある生活が、日本人の「曖昧さ」を形作ったのかもしれませんが。。
***
つまり日本建築の勾配屋根も、深い軒も、庇も、縁側も日本の気候風土がもたらした形ですから、本来、当然「ある」べきできわめて自然な状態だと思います。
ですが、その深い軒ができなくなる外的要因が、特に都市部では発生することがあります。
一言で言うと、土地(敷地)の狭さです。
特に東京近郊の狭小敷地では敷地いっぱいに建物を建てなくては家として成り立たないような狭い敷地の場合が(それほど珍しくなく)あります。
その場合、隣の家との間もなるべく詰めて建てるのですが、軒・庇を深く取ると必然的に建物の面積が減ってしまうことになります。
ですから、なるべく軒も庇も出さないようにして床面積だけは広く、ということになります。
「おしゃれな家には庇がない」という指摘はとてもユニークです。
逆説的ですが設計者の立場から答えせていただくと、軒や庇といった「あることが自然」なものがない場合、「ないことが不自然」にみえないように特に注意してデザインすることを余儀なくされます。
結果的に良くも悪くもデザインが主張される分、「おしゃれな家には庇がない」という結果になるのかもしれません。
ですから自虐的な言い方をすると、「おしゃれな家には庇がない」のではなくて「庇がないのだからせめておしゃれに」が正しいのかも?。
地方でも庇がない家があるのは、都市部からのデザインの伝播かもしれませんね。
蛇足ですが、前述のように敷地いっぱいに建物を建てると、隣の家との間は、もはや隙間でしかなくなります。
にもかかわらず、特に建売住宅(売建住宅も)などではその隙間に向かって窓が開いていたりします。
窓を開けたらすぐに隣の家の壁(もしくは隣の窓)では、窓があるというだけで一年中閉め切りになってしまうのではないでしょうか。
場合によっては雨戸、或いはシャッターまで下ろしっぱなしになるかもしれません。
設計者はもっと実際の生活を考えて努力するべきです。(自戒をこめて)
***
最後に、それでは「家作りドキュメント」の小住宅はどうして軒も庇もないのか?
この小住宅は都心部ではなく、郊外の、新興住宅地に建っています。
比較的敷地にゆとりもあり、軒の出を作ることも庇を設けることも可能でした。
事実、第二案、第三案では図面を良く見ると屋根伏図に軒の出が計画されています。
日本の風土に建つ以上、それが普通の状態です。
しかし基本設計が完成するときには軒が消えていました。
なぜか?
これは一言で説明するのは非常に難しいのですが、立面計画・外観デザインの過程で軒がなくなったと言うより他にありません。
小住宅(建坪:14坪)であるが故に深い軒の出を持つデザインがしっくりこなかったとも言えます。
僕に「軒」「庇」と言ったあるべきものをデザインするだけの技量が足らないというご指摘があるなら、甘んじてお受けするしかありません。
正確に言うと、計画時には各開口部上部に「霧避け(キリヨケ)」とも呼ばれる20数cmの出を持つ庇が設けられていました。
残念ながら見積り時にコスト調整のため、建築主と相談の上「『無い』状態で生活してみてどうしても必要になったら、その時に付ける(後付可能な商品があります)」と言うことになりました。
理由がどうあれ、軒・庇が「あってもなくても良い」という類のものではないと僕自身思っています。
その部分での、設計者としての最後の判断が、「家作りドキュメント」で最後に書いた「オーニング」の存在へつながっています。
(だからと言って僕の総合的なデザインの能力不足という指摘から逃れられるものではありませんが。)
僕は、「軒・庇」そして大きな意味での「屋根」という存在を、「機能」として、また「記号」としてもう一度問い直す必要があると感じています。
それは日本建築について、日本文化について、そして「住む」と言うことに対してもう一度考えることかもしれません。

5