GWだとか土日でない時のお休みの楽しみと言えば
やはりワイドショーである。
今年はまたワイドショーを始めとするメディアが大はしゃぎ
してしまうような事件が起きてしまった。
自分のような下衆な人間を喜ばせるために下衆な人間が
作っているのであろうことは承知しているのだが
(でもN●Kのニウスでも似たようなもんだったが)
それにしても相変わらず被害者の残した映像やブログなどを
ああまで丁寧に晒し者にする事に何か意義があるのか
疑問に感じてしまった。
「こんな方がこんな目にあいました」と同情を誘いたいのか?
それとも視聴者がそれを観て何かを推理することによって
事件の謎を解こうとでもいうのだろうか?
確かにネット上に発表した時点である意味、世間への公開は
フリーだろうと言う解釈もあるだろうが、哀しみを誘うBGMを
付け役者さんの芝居ッ気たっぷりの朗読と言うのは演出過剰では
ないだろうか?
そんな事は考えたくもないがこんな世の中いつどこで何が
起こるかわからない。
もし自分が何か事件に巻き込まれたりしたらこのぶろぐも
テレビで紹介されたりしてしまうのだろうか?
例えばテレビでは放送できないような言葉を散りばめておけば
・・・とかも思ったけれどあんまり意味は無いか・・・
もっと意味不明な言葉になっていない文字の羅列にしようか
・・・これは更に意味が無い
それならば後で誰に観られても恥ずかしくない「清く正しく美しい」
美辞麗句を並べ立てておくほうがいいのかも知れないがあいにく
そういう人間ではないので虚飾にまみれたものになることは
目に見えている。
そしてどんなモノを遺しても訳知り顔の精神科医とか評論家どもに
知ったかぶりされて適当に分析されてしまうのであろう。
せめて自分の代わりにこれを読む役者さんやBGMなどを指定して
おけばその通りにしてくれる・・・と言うのならなあ・・・

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